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砦は、未だに慌ただしかった。右へ左へ、人が走り回っている。どこからか漂う腐臭に顔を顰め、思わず口元を覆う。敵勢はここにまで侵入してきたのか。無理も無い。一度目の襲撃時にこじ開けられた穴は、まだ完全に修繕できてはいなかった。わざわざそこを避けて襲ってくるくらい優しいなら、初めから牙を剥いたりしない。
帰還したルドヴィーコたちに構う者はいない。そんな余裕は誰も持ち合わせていないようだ。
そんな中、おなじく慌ただしく動いていたランベルトが、ルドヴィーコとラウラに気付き、足を止めた。
「ジーノ!」
呼ばれた名に、「なに、ルドヴィーコだって?」「帰ってきたのか!」とあちらこちらで声が上がる。どうやら無視されていた訳ではなく、本当に気付かれていなかったようだ。
「数日ぶりだな、ランベルト」
「──随分、余裕があるみたいだね」
安堵と困惑を織り交ぜた表情を浮かべた彼は「きみたちが命を落とした、なんて嫌な話を聞かされるより随分と良いけど」と続ける。魔界に連れ去られたことがまるで嘘のように、平然と振る舞うルドヴィーコに対する困惑は、早々に捨てることにしたらしい。ランベルトは安堵一色となった顔に笑顔を浮かべた。
「おかえり」
「ただいま」
お互いの無事を喜び、いつも通りの挨拶を交わす。
「……ジェラルドは?」
「さあ、どこだろう。なにせドタバタしているから。同じ班の人と動いていると思うけどな」
「なるほど」
混乱に乗じて、騎士団を離れ身を隠す──などという結論に至っていなければいいのだが。
浮かんだ不安は、いち早くルドヴィーコたちの帰還を察知したらしいフィリンティリカに引っ張られたジェラルドが現れたことで払拭された。ウーノの手勢から攻撃を受ける最中に力を使ったのか、フィリンティリカの身体は坑道で魔力補給した時に比べるとまた小さくなっているような気がする。そのまま何もせずにいれば、本来あるべき姿になれるのだろうに。彼女はこの先もそういう生き方をしていくのかもしれない。
小さな手に背中を押されたジェラルドは、不満げにフィリンティリカを一瞥してから、ルドヴィーコとラウラの姿を交互に確認した。
「……無事か」
短い言葉に感情はほとんど表れていない。
あくまで普段通りに見える彼に、ルドヴィーコは「そっちこそ」と返した。怪我をしなかったこと、騎士団に変わりなくいること。そのどちらもの意味を含んでいる。
しばらく言葉を探して視線を動かしたルドヴィーコは、結局ストレートに訊ねることにしたらしい。
「……また旅に出るのか?」
「いや、フィーはもう大丈夫だからな」
無理に各地を回る必要も無い。元々、『自ら危険に身を投じるつもりはない』と公言していた彼だ──騎士団に在籍する以上、危険はつきものではあるが、ひたすら危険地に足を踏み入れる生活と比べたら、死のリスクは低いだろう──。
それに、とジェラルドはおもむろにフィリンティリカの首元へと手を伸ばす。銀のチェーンに通された小瓶の中に、キラリと光る魔石がある。
「仮にこの魔石が壊れるようなことがあれば、またあの坑道に行く必要がある。だから──」
「ここにいたいだけでしょう? ジェイったら素直じゃないのね」
ジェラルドの言葉を遮り、フィリンティリカが舌足らずな声で指摘する。くすくす笑う声にジェラルドはバツが悪そうに眉を寄せた。
「……フィー、余計なことを言うな」
「本当のことだものー」
これまで言葉を交わせなかった分もあるのか。フィリンティリカはお喋りだ。
「──それより」
話を逸らすためにか、珍しくもジェラルドが自分から口を開く。
「団長から、もしルドヴィーコを見掛けたら、団長室に来い、そう伝えろと」
「……ジェラルドに言ったのか?」
誰がルドヴィーコの帰還を知るともわからない状態で伝言など可能だろうか。首を捻れば「あの人は存外知識がある」とジェラルドがぽつりと零した。
どうやら話を聞けば、フィリンティリカならばルドヴィーコたちが魔界から戻ったことに気付ける、と踏んだ上で伝言を頼んできたらしい。確かにな、とラウラは納得した。妖精の方が“知っていること”は多い。ただ人間ほどそれを活用しないだけだ。頼めば、自分たちが来たかどうかなどすぐにわかるだろう。
存外、と称するのは失礼だろうと思ったが、実際妖精に関する知識など、持ち合わせている人間の方が少ない。ジェラルドだってフィリンティリカがいなければ、全くの無知のまま過ごしていたに違いない。驚くのも無理はない、とラウラは同調する。
「確かに伝えた。俺は仕事に戻る」
「ええー。ジェイ、もう戻っちゃうの」
名残惜しそうにチラチラとラウラたちを見るフィリンティリカに「当然だろう」と言わんばかりの視線を寄越すと、彼は一切振り向くことなく歩き去った。まだ他にやるべき仕事が残っているのだろう。
「それじゃあ、僕もそろそろ戻るかな」
怪我人がそこらかしこにいて、それを診るのだという。アレッタは、と問えば、ミラが見ていてくれるから大丈夫だ、と彼は微笑んだ。
「この件が落ち着いたら、一度王都に行くつもりだ。父と母に、きちんと話をするよ」
最後の休みは、魔獣の襲撃でろくに取れなかった。だから代休を無理にでも貰うよ、と彼は言う。その時間を使って、実家に戻るつもりらしい。常に周りを遠慮して行動する彼にしては、“自分勝手”な決定だった。それを嬉しく思う。
「騎士団に残るのか、家に戻るのかも。──どちらになるにしても、逃げてくるのではなくて、今度はちゃんと決めて、胸を張って立てるようになりたいと思う」
瞳に灯る決意に、ルドヴィーコは口元を緩めると、拳を上げる。
「どれを選んでも俺はランベルトを応援するよ」
意図を察したランベルトもまた、拳を作った。こつり、と合わせる。
「ここに来る前も、王都にいる友と、こうして別れた」
ルドヴィーコが呟く。
「良い友だね。僕もそうなれていればいいけど。……少なくとも、ジーノが僕の応援をしてくれるように、僕もきみのことを応援してる」
「ありがとう。お互い、自分の道を生きよう」
ああ、と応え、ランベルトが笑う。ルドヴィーコを横目で盗み見る。彼もまた笑顔だった。気の置けない友に見せる顔だ。蜥蜴は喜びを示すように、ぐるると鳴いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
団長室に行くと、誰もいなかった。呼び出した割に、待ってはいないらしい。
当然といえば当然か。ルドヴィーコとラウラがいつ帰ってくるかなど、誰にもわからない。
机の上に無造作に折り畳まれたメモが残っている。書かれた宛名はひどく読み難いが、おそらくルドヴィーコの名前が記載してある。
手に取り開くと、でかでかとした殴り書きのような文字でメッセージが残っていた。
『連絡機を使ってソフィアに報告を』
──何故、副団長?
端的すぎる指示に首を傾げながら、言われた通りに連絡を取る。
『はい』
「ルドヴィーコ=クエスティです。只今帰還しました」
『了解。無事に戻ってきて何よりです』
世辞であったとしても身に染みる。ありがとうございます、と目を伏せる。
『早速本題に移りますが、──このまま真っ直ぐ王都へ向かってください』
「王都へ? なんでまた」
『事情は後で説明します。電車は準備してありますから、すぐに向かってください』
問答無用で通信が切れた。それ以上に話すつもりは無い、ということだろう。それにしたって情報が少な過ぎる。
「無茶苦茶な指示だ」
しかも、嫌な予感しかしない。
「どうする?」
明らかに行きたくなさそうな主人に、ラウラが訊ねれば、彼は「行くしかない」と諦めたように肩を落とした。彼の心中を思い、合掌。ルドヴィーコは恨みがましく蜥蜴を睨んだ。
「他人事だな」
「……そうか?」
バレた。ラウラが視線を泳がせていると、ルドヴィーコは、まあいい、とばかりに息を吐く。電車を待たせているという背景もあり、もはや逃げ場はないと悟ったのだろう。
あー、と気の抜けたような声を上げると、よし、と気合いを入れ直し、しっかりした足取りで部屋を後にした。
電車は、ルドヴィーコが乗り込んで席に着くと、早々に出発した。本当にルドヴィーコが乗るためだけに準備されていたようだ。
「…………」
かくり、と彼の首が傾く。危うく潰されるところだった。非常に眠そうだ。船を漕いでいる。どうやら疲れているらしい。無理も無いことだ。いくら平気そうに見えても、魔界では常に気を張っていただろうから。ラウラはなるべく静かにしていようと、身を固くさせた。この姿で存在感を消し、ジッとしていることは慣れている。
がた、ごと、と心地よい揺れを生み出しながら、電車は王都へ向かう。




