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ルドヴィーコの足元に、巨大な──ラウラがこれまで見た事も無いくらい大きな魔法陣が描き出される。
ひっきりなしに飛び掛かるひどく単純な“本能”で動く魔獣すら、思わず怯んだように足を止めた。
魔獣だけではない。周囲全体が騒ついている。無理も無かった。魔法陣は、いまや強大な魔力を孕み、空を突き抜けんばかりの光を放ち始めている。ラウラに供給される魔力さえも遥かに凌駕した、魔力量。普通の魔法では有り得ない。
「さ、最上級魔法……? 死ぬ気か、貴様!」
ウーノが取り乱している。
最上級魔法。ラウラは口の中で復唱する。確かに、学園の授業で彼は唯一その真理を読み解いた。だから、“使用すること”は可能だ。当時は魔力不足でできなかったが、今は違う。今は──ラウラを“召喚”していない分、魔力はそっくりそのまま彼の中に収まっているはずだ。
周囲はウーノの言葉を受け、しかし慄くどころか、「最上級だってよ」「すげぇもん来るのかな」と呑気な反応を見せている。さすがは命よりも戦いを選んで集まってきた阿呆どもである。
いや、それよりも。
死ぬ気か、という不穏な言葉に、ラウラは慌てて主人へ目を向ける。こんなところで命を捨てる必要性など、どこにもありはしない。
その視線を受け止めたルドヴィーコは、安心しろと言うように口元を緩めた。
「…………」
少し間を置き、ラウラはその言葉を信じた。ルドヴィーコが大丈夫と言っているのだ、何かしら策があるのだろう。
第一、今から何をしようというのか。
最上級魔法とは、はて、なんであったかな、とラウラは首を傾げる。生憎と授業の内容など寝て過ごしていたから憶えていないし、ウーノと違いラウラは“魔法”は基本的に使用しない。魔力を伴った物理攻撃を行うのみだ。
解を提示するように、魔法が発動した。ぶわり、とラウラの長い銀髪が風に煽られた。ルドヴィーコを中心に、魔力がまるで爆風のように駆け抜けていく。
──しかし、それだけだ。
んん、と首を傾げる。あの大量の魔力は霧散して、既に無い。では魔法は……?
(失敗したのか?)
最上級の魔法では、有り得ない話ではない。むしろ十分に可能性はあった。
首を捻るラウラに反し、ルドヴィーコは「……ああ、なるほど」と得心が行ったように、自らの手を眺め、握る。
「力が入りやすくなった。身体も軽くなった。怠かったのは、薬の所為じゃなくて、魔力があった所為か」
納得顏のルドヴィーコに、「そんな馬鹿は話があるか!」と状況を忘れて叫ぶ。
「けどな、現に身体が軽い。いい感じだ」
軽く飛び跳ねてステップを踏むルドヴィーコは、確かに先程よりも身軽そうだった。そんな馬鹿な、と再度呟く。
「そもそも、魔法はいったい──」
どし、と何かが倒れる音が、した。
ひとつではない。複数だ。それも、数え切れない程の。
あれ程の数の魔獣が、一匹残らず、地に伏せている。アンデッドとなったものも──もはやただの骸と化している。それに関してだけいうのならば、“正常な状態に戻った”ということなのだろうが。
しかし次々と魔物が倒れ、魔界人が苦しげに呻く状態は、明らかに異常だった。
ぐ、と呻き声が聞こえた。見れば、ウーノが苦しげに頭を押さえ、片膝をついている。
「あ、あれだけの魔力を放出して、どうして生きているのです……!」
化け物か、と彼は呟いた。
がしりと髪を掻き上げたルドヴィーコは、その呼称に対して苦笑を灯した。
「そもそも、魔界人と人間じゃあ、身体の作りが違うからな。前提から覆る」
そりゃあ違うだろう。何を当然な、と目を瞬かせるラウラに目を向け笑いながら、「魔界でも人間界でも、“最上級魔法”のことを、別称で“自爆魔法”と呼ぶんだよ。でも同じ言葉だけど意味が違う」と続けた。よくわからなくて、こてりと首を傾げる。自爆したはずのルドヴィーコは、ピンピンしている。つまり、……なんだ?
ルドヴィーコは地に伏せた魔獣を見回した。
「この魔法の効果は、放出した魔力量が相手の持つ魔力量よりも少ない場合に、身体的負荷を与えるものだ」
とはいえ、苦しげに呻くウーノや、怠そうに肩を落としているトサカ男たちを見れば、たとえ魔力量が上回っていたとしても、効果はゼロというわけではないようだ。
「代償は自分がその瞬間に持つ全ての魔力」
「なに!? 自殺行為だ!」
「うん、そうだな」
目をくわりと剥いたラウラを宥めるように、ルドヴィーコは軽い相槌を打った。
「確かに魔力が命である魔界人にとっては、全魔力を投入することは自爆だろうけど」
でも人間は違う。人間は、魔力がなくとも生きられる。そういう風にできている。だから、同じように“自爆魔法”と称されつつも、意味合いが異なるのだ。
「人間界で“自爆魔法”と言うのは、魔力持ちは魔力に頼った戦法を取る傾向があるから、結果的に魔力の枯渇が“自爆”と同義になることに由来してるんだ」
「……ジーノは」確認するようなことですらなかったかもしれない。「魔法が使えなくても、平気そうだな」
当然だ、と鷹揚に頷く。
「俺には剣がある。魔法が使えなくても問題無い、というか、魔力は邪魔だ」
至って真面目な顔で暴論を吐いた直後、ルドヴィーコは、く、と眉を寄せた。
「今は、その剣が無いんだけどな?」
銃も壊れた、と、降参するかのように両手をひらひらと動かす。打つ手なし、と言うかのようなポーズを取りつつ、しかし表情に悲壮感は一切漂っていなかった。
「でも俺には──」
刹那、視線が絡んだ。
何か奥の手でもあるのか、とラウラの主人を警戒するウーノに、ラウラは──素早く龍の姿に変身すると、ウーノに飛び掛かった。
ぐあ、と口を大きく開く。
────ばく
「あ」
間の抜けた声が響いた。
「い、痛い痛い!」
「なんだお前、軟弱な」
「咥えながら喋らないでください! 食べないで!」
いちいち大袈裟な。
別に強く噛んだわけではない。身体にはそんなに牙が刺さらないように、手加減はしている。よしんば刺さっていたとしても、ちょっと抉れるだけだ。そもそもウーノは食べても美味しくなさそうである。口の中に臭いが残っては堪らない。頼まれたって食べるものか。
ふん、と鼻息を荒くした拍子に、噛む力が強まったらしい。「あ!」ともう一度叫んだウーノは、直後、身体をぐったりと弛緩させた。気絶したようだ。たわいない輩だ。
「わあ、ウーノが食われた!」と騒ぐ連中を無視してルドヴィーコが颯爽とラウラの鼻先に立った。
「──俺には剣も銃もなくても、お前がいるからな、蜥蜴っ子」
今の私を見てそれでも蜥蜴と称すか。くつりと笑いながら「当然だ!」と咆哮した。ウーノの身体が、地面にどしゃりと落ちる。
「ウーノ倒れたけど、どうすんべ」
「あー……とりあえず、暴れる?」
残されたウーノ派連中は──これも当然、と言うべきなのか、やはりトップが倒れても崩れることはなく、暴れることを優先したようだ。
やれやれ、これはまた終焉が遠そうだ。ラウラは目を細める。いつぞやの反復のような現象に辟易していると、隣に立つルドヴィーコが拳を握り固め、胸の前で構えた。
「……ジーノ、それでやるのか?」
「ま、できないことはない。ちょうど身体も軽いし」
止めてもやる気らしい。それならば仕方ない。なるべく早く終わらせなくては。
歯と歯の間から、くゆる煙の広がる先に視線を見やりながら、自制を心掛ける。無理をして倒れたら、ルドヴィーコはきっと悲しむ。それは避けるべきことだ。そのような思考回路が自然と確立されている自分に、苦笑する。
隣に並び、武器を向ける。むくむくと気分が高揚している。一人の時は、むしろ群がる連中は鬱陶しいだけだったのに。
そういえば、彼と出逢う直前も、こんな風に囲まれていた。けれどその時の高揚感とも、違う。全てを破壊し、暴れまくってやる、と。そういう気持ちとは程遠い。
心の中は穏やかだ。暴れることだけに専念できないくらい。自分よりもよほど小さな存在がいるだけで、とても嬉しい。共闘できることが、楽しい。
ああ、こうも、自分は変わったか。
(……まあ、悪くはないな)
何故そう思うかなど、もはや愚問だ。
ラウラは大きく翼を広げた。




