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「──そうか」
金色が悪戯げに輝く。
「それなら、まあいいか」
「“まあいい”?」
何が、と訊ねるつもりで、首を傾げる。
「もしきみが僕の大事な娘を、ただ可愛いからってだけの理由で傍に置いたり、強いからってだけで利用したり、──彼女しかいないから仕方なく縋り付いているって意識でいるなら、いくら我が友人に似ていたとしてもやっぱり性質が悪いから、ここいらで八つ裂きにしてしまおうかなあー、とか思ってたんだけど」
「は……!?」
その瞳に本気の色を見つけ、たじろぐ。どうやら自分は思い掛けず、命の駆け引きをしていたらしい。ひくり、と口元が引き攣った。
「そんな目をされちゃあねー」
「目、目って、なんだ」
立ち上がった拍子に躓き、小さく悲鳴を上げたところで、ようやく自分がひどく動揺していることを自覚する。考えてみれば、目の前の彼は、ラウラの父親なのである。体勢を立て直したところで、再び躓く。
「えー、どんな風だと思う?」
「ど、どんな……って」
ぐるり、と思考を巡らす。今、何の話をしていたか。どんな気持ちで話し、どんな顔をしていたか。幸か不幸か、それらはぐるぐるした頭でも無事に思い出すことができた。
どのように話していたか。正確なイメージを頭に浮かべる。ああ、まるで──思わず、天を仰ぐ──まるで告白のようではないか。
何がどうしてそんなことを、本人ではなく、その父親にするような事態に陥ってしまったのか──いや、理由はわかっている。目の前の男が、先代のことを知っていたからだ、それでつい。だからといって、必要以上のことを口にした気は、心底、している──。本当に、自分の神経が知れない。
頭を抱えた。そうするしかなかった。
「若いねえ。若いって良いねえ」
追い討ちを掛けるような言葉に、ぐ、と詰まる。にまにまとこちらを見ている双眸を今すぐにでも塞いでしまいたい衝動に駆られたが、残念ながら二人の間には鉄格子が立っている。
「でもほら、僕の娘って母親に似てモッテモテだから、油断してると掻っ攫われるよ」
「……それは、知ってる」
人間界でいうところの惚れた腫れたの話であるかは正直疑問だが、大事にされていることや憎からず想われていることは、知っている。
わざわざ指摘してくる魔王は、別段ルドヴィーコに忠告をしようという訳でも、当然応援をしている訳でもなく、どう考えてもこの状況を面白おかしく引っ掻き回そうとしているとしか思えないが。言っていることは真実だ。
「欲しいものは欲しいって言わないとね」
自分が一番苦手意識がある点を刺されて、再び黙り込む。なんと返そうか、と思案している間に、くあ、という欠伸の声と、ジャラ、と鎖が擦れる音が響いた。
「さて、夜も深まってきたことだし、僕は休むとするよ。睡眠欲は、人間と変わらずあるからねえ」
反射的に呼び止める声が口から出そうになり、押し留める。話を続けて誰が最も困るって、間違いなく自分だ。
「おやすみー。いやー、いい夢が見れそうだ」
「……それはそれは。よい夢を」
苦し紛れに吐いた言葉は、彼に届いていたかどうか。
途端にシンと静まり返った牢獄で、ルドヴィーコは自分の頰に手の甲を押し付ける。熱い。普段とは違うことが、自分でもわかる程度には。
「……参った」
油断していると……。そう、魔王は言ったが。
確かに、慢心はあったのかもしれない。彼女に対してというよりも、自分に対して。“高を括っていた”のだ。これまで、こんなにも動揺したことは無かったものだから。
まさか、こうもわかりやすく、自分が顔やら行動やらに感情が漏れ出るタイプだとは、思いもしなかった。逆に隠すのが上手い方だと自負していたのに。
これは、参った。
あー、と無意味に声を漏らす。初めての感覚だ。
彼女はとことん、自分に様々な希望を持たせる。熱い顔をそのままに、ふ、と笑った。
こんな風に、心からじんわりと染み出したように、笑えることだって。
自分は、知らなかったはずなのに。
彼女は出会った頃から変わらない。変わらず前を向いている。ルドヴィーコを導く気などないだろうに、自然と引っ張っていく。
それによって自分は、どれだけ変わったことか。
「──んとに、参った」
これだけのものを貰って、返すアテがない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「朝だ!」
「そして飯を食え!」
この声で起きるのは二度目か。
さあ食え、と言って目の前に出された物に、これを食えと言われるのも二度目か、と苦笑する。
前回の反省を活かしたのか、どうなのか。パンとジャム、サラダが乗った大きめの皿の横に、ちんまりとした皿が鎮座する。そこにこんもりと乗った、白い粉。位置付け的には、食後のデザートだろうか。それにしては物騒だが。
「これは?」
「うむ」
トサカ男と鼻輪男の二人組は、並んで腕を組んだ。心なし、いつもよりも顔が凛々しい。
「ウーノにバレた!」
「で、良いからさっさと食わせろ、今日の朝に食わせろ、とお達しがあった!」
「それはまた」
彼らにお咎めが無かったことを、まず喜ぶべきなのかどうか。今度こそ、拒否という選択肢は無いようである。パンを頬張りながら、ちらちらと白い粉を見やる。
しっかしなぁ、とトサカ男が鼻を鳴らす。
「人間も大したことねぇな」
何故急にそんな話になったのだろうか。眉を寄せながら、サラダに取り掛かる。
「人間の“トウダイ、モトクラシ”という言葉に倣って、ウーノのベッドの下に隠してみたんだけどよ」
「あの壺、大きいだろ。だから食事の度に隠してたら──なんと、ベッドからはみ出た」
「結果このザマだ!」
「……それが人間の所為になるのか」
思わずポロリと文句が漏れた。フォークで突き刺したサラダがポトリと落ちる。あんまりな主張だ。
第一、一食ごとに壺をひとつずつ隠している辺りが、バレた要因ではないか。中身を少しずつ減らせば良かっただけだろうに。一食一壺消費するなど、狂気の沙汰だ。もしそんなことを本当に実行に移し、アレをかっ喰らおうものなら、今頃ルドヴィーコは死んでいる。
そこまで考え、肩を竦める。彼らに指摘をしても仕方がない。初日に無理にコレを食べさせられなかっただけ、随分とマシだ。
もう二度と“トウダイ、モトクラシ”なんて信じない、などとぎゃあすか騒いでいる二人組を見て、それでもやっぱり、何故だか憎めないなあ、と苦笑した。
(魔界人だと、ひとつまみで動きが鈍る、だったか)
果たして、人間で同じことをしたら、どういう結果になるのだろうか。普通の人間よりも頑丈であるはずの自分に、今は感謝しなければ。
人差し指と親指で、粉を摘む。
これで死んだら、ラウラは怒るだろうか。
きっと怒るだろうな。
グルル、と唸る彼女を想像し、口元を緩める。
「おや、随分と余裕だねえ」
奥から声がした。
「そうか? そうでもないけどな」
ただまあ、と視線を上方へと移す。
「無事に乗り切れたら、ラウラに話をしようと思って。さてどうして話したものかな、と。そっちの方が気になってる」
話すのか。魔王が笑う。それもいいかもね。そう言って。
「ラウラなら受け入れてくれると思ってるから話すのかい?」
「……どうだろう。でも彼女なら、こう言うだろうな、と。思っていることはある」
はっきり言い切ったためだろう。自信があるのか、と魔王が問う。ルドヴィーコは答えずに、ただゆるりと笑った。
「早くしろってぇの」
「こっちは暇じゃないんだぞー」
二人組がぶーぶーとルドヴィーコを急かす。
わかったわかった、と返し、指を持ち上げる。口の真上で止めた。指先の力を緩めれば、白い粉がぱらりと零れ、口の中に吸い込まれるように入っていく。
ひとつまみ分摂取した後に、再度魔王へと目をやった。
「貴方はここから出ないのか?」
いつまで手枷をつけられた状態で過ごすつもりなのだろうか。
魔王は悪戯っぽくにんまりと笑う。そうやって笑うと、やはり娘と似ている。
「どうせなら穴を掘って脱獄しようと思って」
「それはまた、気の長い話だな」
穴を掘るには手を使う必要がある。手枷を外す方法など、力技なりなんなり、いくらでもあるだろう。穴を掘って逃げるなど、もはや完全なる趣味の域である。
気長にやるよ、と笑う彼は、それに、と言葉を続ける。
「──別に僕がいなくても平気だろう?」
違いない、と返す前に意識が遠退く。傾いだ身体が、あまりに無造作に地面にぶつかった。せめてクッションくらいは引いておくべきだったか、と反省する。
懐に手を入れる。目的の物を掴んだ。硬い感触が指先に触れる。やれるだけのことを、やるつもりだ。でなければ、あまりにも不甲斐なくて、彼女の隣になんて立てっこない。
遠ざかる現実の隅で、声が聞こえる。
「きみたちが歩く道に多くの光があることを願っているよ。我が友人共々、ね」
ああ、その言葉は。
いつかどこかで贈られた、門出を祝い、そしてその先の幸運を祈る言葉だ。
確かにこの場には相応しいのかもしれない。
そう思いながら、ルドヴィーコは目を閉じた。
ジーノさん、わかりやすく動揺する、の巻。




