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蜥蜴の忠誠、貴方に誓う。  作者: 岩月クロ
第7章 魔界 反乱編
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 魔王は、難しい顔をするルドヴィーコの前で、軽やかに口を開く。


「昔々、……とはいえ、僕にとってはそう遠くもない、昔。ある魔界人が、人間と恋に落ちた。ひっそりと育まれた恋は、やがて愛となり命を宿した」


 まるで御伽噺の語り部のようだ。ルドヴィーコは、微かに零れ落ちた感情を拾い集め、扉を閉ざすように顔から表情を消す。


「生まれ落ちた子は人間界で育った。そちらの方が良いだろうと周りが決めた。当時、魔界は荒れていたからね。ただ……その子供は、魔界人とするには理知的で、人間とするには身体能力も魔力も高い。最も驚くべきことに、彼の使い魔は白き龍だった。その神々しさに、人は畏れを抱いた。加えて、“彼”は長寿でね」


 彼、と口にした時に、魔王はひっそりと目元を和らげた。懐かしき姿を脳裏に描いたのか。



「──人間は、彼を、化け物と呼んだ」



 親しみを持っているにも関わらず、大した怒りも宿さず、彼はその単語を口にした。ひどくアンバランスでありながら、深い心遣いが含まれる声は、まるでその単語が“瑣末なこと”であるかのように錯覚させる。


「そんな折だ。魔界で発生した反乱が、人間界にも影響を及ぼした。人間は恐れた。その未知の恐怖への対処を、人間とは到底思えない力を持つ彼に頼った。彼はその役目を受け入れ、龍と共に──“魔王”を討った」


 ガシャ、と金属音が鳴る。魔王が枷のついた手でジェスチャーを振るおうとしたのか。対するルドヴィーコは、無遠慮に響く音に不快の色を見せるでもなく、ただひたすらに微動だにしない。

 あまりにも静かな暗闇の中、聞いているのかすら怪しかった。話し手が魔王でなければ、やあ聞いているのか、と野次を飛ばしたかもしれない。


「そうして、人間界に英雄が誕生した。人々は、彼を褒め称え、崇め、人間(じぶん)たちの救世主だと謳った。人間界ではきっと、彼が恐れるべき対象であった記録など──もっと直接的に言うなら、そう、“迫害した”記録など──、どこにも残ってはいないだろう。彼は、最初から、そして今もなお、“強く、優しく、誇り高き英雄”だ」



 金の双眸が動き、ルドヴィーコを捕らえる。どう思う、と訊ねるように。見せてくれよ、と揶揄するように。

 ルドヴィーコは、ようやく深く息をした。



「──記録は、あったよ」

 静かに観念したように、彼は口を開く。

「記録は確かにあったんだ。“彼”の日記の中に。俺はそれを、読んだ」

 淡々とした表情を崩して、困ったように笑う。

「読む必要があったんだ、“俺”が生きるために。彼は決して誰かに読ませるためにソレを書いたのではないだろうけど」


 物心がついた頃か、あるいはつく前から、読み聞かせられていたのか。ルドヴィーコの記憶は、自然と実家の古びた屋根裏部屋から始まる。

 私たちの“先祖”はここで寝泊まりし、生きたのだ、と。父は厳しい顔で言った。その横顔を、ルドヴィーコは見上げていた。そんな記憶だ。屋根裏は、大事に手入れされてきたのか、年季は感じても、カビ臭さは無かった。

 後から思えば、両親は、否、それよりも前の世代から、ずっと、ずっと。クエスティ家はその屋根裏部屋を大事にしてきた。その記憶を、彼の存在を、いつまでも忘れぬように。

 一生涯を他者から利用されることで生き延びた、ご先祖のために。

 その先に自分たちが在るのだという、戒めのために。


 まさかそれを、我が息子のために“使う”ことになるだなんて、父は考えもしていなかっただろう。母はきっと、泣いただろう。その(・・)前夜、母が赤く腫らした目をしていたことを、ルドヴィーコは何故だか鮮明に憶えている。あの時母は何を想い泣いたのか。ルドヴィーコは、未だに訊けずにいる。



 ともあれ、ルドヴィーコは、そこで“彼”の日記を読んだのだ。今後、“生きる”ために。



 ルドヴィーコ=クエスティの運命は、生まれた時に既に決まっていた。


 生まれ落ちたその子供が、『魔法の一族』と有名なクエスティ家においても、異常だと言わざるを得ない程の魔力を纏っていた時。

 その身体能力が、並みの子供のものではないと判明した時。

 成長するにつれ、その容姿がますます“彼”と瓜二つであるとわかった時。



 ──英雄の再誕だ、と誰かが言った。



 まるで先代が生きた道をそのまま歩くように。

 ルドヴィーコ=クエスティは、将来の英雄となることを、定められた。



 周囲の視線に違和感を覚えた頃合いを見計らってか、父はルドヴィーコを屋根裏に連れて行った。幼い頃から連れて来られた、その場所。かの英雄はここで寝泊まりをして生きたのだ。いつもの呟きを聞いた。

 備え付けの本棚から、薄汚れた冊子を抜き出し、ルドヴィーコへと差し出す大きな手。読みなさい、と父は言った。


 心のどこかで、こうなることを、予想していた。



「彼の日記には、彼が日々思ったことが、隠されることなく、ただひたすらに綴ってあった。辛いことも楽しいことも。──人間への恨み言も、全て」

「彼はなかなかに内に溜めるクチだからねえ、いやはや、普段穏やかな人間は、裏の顔が怖いものだ」

 大真面目な顔をして、うんうんと頷く魔王に、先代はそのような人間であったのか、とルドヴィーコはきょとりとした。日記を読む限りでは、穏やかさとは無縁の人なのだと思っていた。伝承では、“強く、優しく、誇り高き英雄”だったそうだが、そんなことは欠片も信じてはいない。信じてはいけない。


「……それでも俺は、彼が羨ましかった」

 ぼそぼそと、声のボリュームが小さくなってしまったのは、そう思うことへの後ろめたさもあったからかもしれない。

「彼は苦しんだけれど、少なくともそれら全ては、彼自身のものだ。俺は罵倒されることもなく、ただ、あの(・・)英雄たれ、と。それは最初から舞台を用意され、物語の役柄を演じることを要求される。強く、優しき英雄で在れ。それ以外など、あってはならない、と。だけど、それは、まるで、」

 言葉を切る。その逡巡は、いったい何が生んだものだったか。



「──俺ではないような気がした」



 彼らの目に映る“英雄”は、ルドヴィーコ=クエスティの個人的意思など持っていないかのようだ。人々の幸せ以外をちらとも考えていない、清廉潔白な、御伽噺の主人公。

 では、今を生き、思考する“自分”は、ここに確かにいるはずの“自分”は、いったい誰だ。

 認識されないのであれば、この“自分”は、本当にここにいるのか?

 考えたけれど、答えは出なかった。



「次第に諦めていた。反抗し過ぎるのは疲れるし、考えても意味が無いことだ。どちらにせよ、俺はどうしたって周りの人間と共に生き、共に死ぬことはできない。“化け物”が生きることは、……一人では、無理だ──そうまでして生きる必要があるのかって話もあるけど──それも含め、もう、どうでもよかった」


 剣の技術を培い、知識を養い、人と程良く距離を置いた“円満な”関係を築き、至って順調に“英雄”像の通りに生き──


「蜥蜴っ子を使い魔として召喚して、彼女が龍で無かった時も。それが原因で英雄ではないと烙印が押されようが、引き続き英雄であることを求められようが、どちらでもよかった」


 ──その中で、それはもしかすると、“綻び”だったのかもしれない。


「でも、きみは今、ラウラの相棒になりたいんだよね」

 優しい響きに導かれるように、「ああ」と素直に肯定する。



「楽しかったんだ、とても」



 それ以外は、無かった。本当は当時、様々なことを考えたが、突き詰めればそれだけだ。

 それ以上に重要なことなど、何も無かった。


「蜥蜴っ子をキッカケに、初めて友人ができた。初めて、人の想いに真正面から向き合った」


 自分にとって都合の良い、ただの(・・・)蜥蜴でいてはくれないことを、なんとなくは気付いていた。もしかしたらこれも、ただ先代の道を歩いているだけなのかもしれないと思った。──それでも。


「他の誰でもなく、俺が悩んで、選んで、歩いた」



 もっと、歩きたいと思った。

 結局全てが“その道”に繋がるのだとしても。


 夢を見た。“英雄”ではなく、ただの“ルドヴィーコ=クエスティ”として生きるという夢を。


 だから騎士団に入った。王家直属ではない。遠方の地だ。甘えも何も許されない、ただ人は人としか見られない場所だと聞いた。そこでなら、もう少しの間くらい、ルドヴィーコ=クエスティとして生きられるかもしれないと思った。

 そこに行ってようやく、嫌になるくらい自分の弱さを知った。これで“英雄”など、おかしいもんだと笑ってしまうくらい、自分は弱くて。護りたい者を護れなくて。


 ──強くなることを望んだ。遠ざけていたものに、自ら近寄った。

 英雄のためではない。国のためでもない。友のためであり、何より自分のために。

 初めて、欲しいものができた。



 一人では折れていた。一人では、歩くことなんてできなかった。歩こうとさえ思わなかった。

 ラウラが傍にいてくれたから、自分は“自分”を見失わずにいられたのだ。背負った称号に囚われずに、やりたいことを、ただ純粋に口にすることができた。


 感謝という言葉で、それを表していいのかどうか。

 彼女が困っている時に、助けられるような力を身に付けたいと思った。せめて、その背中を押せるようになりたい。彼女の隣に立ちたいと、渇望した。


 ……その気持ちは。


 英雄だからではない。

 彼女が龍だからでもない。


 むしろ──



「俺の人生の全てが借り物だとしても、俺は彼女を召喚した自分を、誇りに思う。定められた運命にだって、感謝するよ」



 ──英雄であっても、龍であっても、構わなくなった。

 彼女に出会うために、自分が英雄であることと彼女が龍であることが必要不可欠な要素であったなら、それでも良いとさえ思った。




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