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「えーと、……なんですか、それ」
鼻輪男の手には、大皿がひとつ。そこに盛り付けられた、山、としか呼べない、いかにも身体に悪そうな、白い粉。
「見りゃわかるべ、食事だよ、食事」
「人間はそれが無いとマズイんだろ? 死ぬんだろ?」
「それを食べても死にそうな気がします」
正直に意見を添えれば、「何!?」とトサカがピンと天井を向いた。
「テメェ俺らが作ったモンが食べらんねぇのか!」
「魔界人は食べられるんですか」
白い粉の山。……果たして、なんの効果が含まれているのか。
トサカ男は、無言で相棒の手元を見る。
「……白いの退かしたら、食えるぜ?」
やっぱり身体に悪いものなんじゃないか。じっとりとした目で彼を見る。
「だってウーノが人間は食わないと死ぬって言うし、ラウラ様来るまでは死なせるなっていうし」
「おまけに動きが鈍るように弱らせろって言って、これ渡すし。でも人間にとっての適量なんてわからんべ」
殺さずに生かすのってマジ大変だわー、と白々しく言ってのけた彼らは、特に罪悪感など覚えていないに違いなかった。まかり間違ってルドヴィーコが死んだとしても、「死んだべ」「仕方ねぇな」「人間弱ぇわ」などと言っていそうである。
「それは例のアレだね」
魔王は離れたところにおり、しかも身動きができないというのに、さも近くからしっかり観察したように、断言した。
「魔界商店で売られている目玉商品、“食べてビックリ! ジビレる身体! これであの子もイチコロさ☆”だね」
「…………は?」
あまりにもふざけた商品名に突っ込むべきか、それとも魔界商店という謎の団体に突っ込むべきか。多すぎる疑問に、あんぐりと口を開ける。
(イチコロ……?)
まさか惚れ薬という意味ではあるまい。ならば──致死率が高いという意味だろうか。
どちらにせよ、恐ろしい代物だった。
「イカす商品名だ」
「いや、センスねぇべ」
意見が割れて睨み合っている二人組を無視して、「それは人間にも効果があるのか?」と訊ねれば、魔王はやけに胸を張り、モチロン、と答えた。
「抜群の効果を発揮するだろうね!」
やはりそれはよくないのでは。
「……魔界人の場合は、適量って……?」
「そうだね、この粉をひとつまみして舐めると、しばらく動きが鈍るよ」
「それは結構な効果だ」
どうやら毒によって“イチコロ”になる話であったらしい。ふざけた名前の割に重い症状に顔が引き攣る。
食事に振りかけられたら、一巻の終わりだ。いくら取り除かれたとしても、一口食べたら適量とやらを悠に超えていくだろう。
なんとかして、食べないように画策しなければならない。
ルドヴィーコは、改めて二人組に向き合う。
「これを俺に使うのは、無理があると思いますよ」
「なんでだよ」
なんでもなにも。一片の曇りもなく、ひたすら純粋に不思議そうな顔をする彼らに、肩を竦める。
「もし痺れたら、食事も水もとれなくなりますし、寝返りも打てません。そうなれば人間は死ぬ──そういう生き物です」
「そ、そもそもこのアイテムが駄目だってことか……くっ」
「でもウーノにバレるとまた面倒だべ。なんで言う通りにしないんだーって」
顔を見合わせ、どうすんべ、と悩むトサカ男と鼻輪男に、「それなら」と声を上げたのは、魔王だ。
「使ったことにしちゃえばいいんだよ、薬。どっか見つからないとこに隠してさ」
「……おお!」
それは良いアイデアだ! と言わんばかりに盛大にポンと手を打った二人組に、胸を張る魔王。魔界は、これで本当に良いのだろうか。ルドヴィーコは疑問を禁じ得ない。繰り返すが、……良いのか?
早速隠してくる、と傍に置いてあった壺を抱え、えっちらおっちらと重い扉を潜って去って行く。ギイイイ、と扉を引き摺る音の後、ガコ、と隙間が埋まる音がした。
再び訪れる静寂の中、ルドヴィーコは身体を倒し、冷たい床へ背中を預けた。
じんわりと広がる冷気に、少し、落ち着く。
しばらくしてから身体を起こし、もうひとつの牢屋に向き直る。姿勢を正し、深く頭を下げた。
「助かった。礼を言う。ありがとう」
「なんのなんの、全ては僕のためだからね。きみが死ぬと娘は怒り狂うだろうし」
怒り狂うだろうか。……怒りそうではある。何故かは分からないが、彼女は自分を護ろうとしてくれているようだから。
これまでの数々の行動に記憶を巡らせながら口元を緩める。
「──それに」
だからだろうか。
その次に発せられた言葉に、感情をそのまま顔に出してしまったのは。
「きみは、僕の“友人”に似ているから、どうも放っておけない」
探るような声ではない。
それよりもむしろ──確信に満ちている。
はっと息を呑んだルドヴィーコは、しばし、魔王と対峙する。
迷い無き瞳が、自分の全てを見透かしているような気がする。それは錯覚だ。錯覚ではあるが、居心地が悪い。
きつく唇を結んだルドヴィーコを許すように、魔王は目を柔らかく細める。
「ところで、ひとつ、訊きたいことがあるんだけどね」
「……答えられることなら」
消極的な返事に、薄く笑う声がする。
警戒心をそのままに質問を待つ。
「どうしてラウラを護ってくれたのかなと思って」
「護る?」
その言葉が予想外であったかのように、ルドヴィーコは目を瞬かせた。現に、想像していたものとは、違っていた。
あの小さな蜥蜴を、護っていた、とは思っていない。蜥蜴が食われるのではないかという心配は常にあったが。
何故そんなことを思うのか。視線のみで訊ねる。
「ラウラは否定するかもしれないけど、召喚した時点では無力な蜥蜴だった訳だろう? 放り投げたって良かったわけだ」
「それは……」
そうかもしれない。ただ、送還すれば良い。それだけの話だ。使い魔をずっと連れ立っている方が、珍しいくらいで。
そうしなかったのは、ひどく単純な理由だった。
「最初は──とにかく、どうでもよくて」
小さな蜥蜴。自分の力には決してならないだろうと思った。無理に呼び出されたというのに、教師に「なんで蜥蜴が!」と言われるその生き物を、不憫に思った──わけでもなく。
ただ、全てが、どうでもよくて。
使い魔が、強くても、弱くても、何も変わらないと思っていたから。仲良くできるなら、まあその方がいいか、とどこか他人事のように考えた。放り出すも、出さないも、それすらあまり重要ではなかった。
まるで何かを祝うように、空は鮮やかな青色だった。心地よいと表されるであろう風が吹いていた。その全てが、自分の心から遠かった。
金に輝く目が、地面近くから、自分を見上げていた。
『よろしく、蜥蜴さん。俺は、ルドヴィーコ=クエスティ。ジーノって呼んでくれ』
当然返事が来るわけはない。
しかし何故か、その蜥蜴はにやりと不敵に笑った気がした。
思えば、それが“はじまり”だった。
「初めはどうでもよかったけど、今は、相棒になりたいと思ってるんだね。“どうでもよくない”になったわけか」
「ああ」
ルドヴィーコは力強く頷く。それは、本当のことであったから。他ならぬ、ルドヴィーコ=クエスティが望むことであったから。
──たとえ全てが予定調和であったとしても、それだけは本当なのだと。心の底から彼女の相棒で在りたいのだと、胸を張って言える。
それがどれだけルドヴィーコにとって大きいことであるか、あの蜥蜴は知らないだろう。
『食べてビックリ! ジビレる身体! これであの子もイチコロさ☆』
名は体を表す、を地でいくステキ商品。




