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おおよそ成人前、年の頃でいうと十と少し程度の外見へと変化した妖精を見、ラウラは(妖精は低燃費で良いなあ)と少々場違いな感想を抱いていた。自分ならこうはいかない。多分ここから先、彼女は徐々に、本来あるべき姿に戻っていくのだろう。
未だ実年齢に対しては小さな体躯を、ジェラルドは大事そうに支えている。……憎んでいる、と彼は言ったが、おそらくはそれだけではないのだろう。そうでなければ、あのように労わるように触れたりはしまい。
良かったな、と無粋に声を掛けることは憚られて、ラウラは腰に手を当て、周囲を警戒するフリをしながら、目を背ける。
この部屋から外へ這い出た魔獣は、どうやらラウラにも探知できるようだ。外側にいる時は、一切感じなかったのに。……ここの作り、何か特別な施しでもされているのか。
反面、逆側の扉から追ってきた魔獣に関しては、ラウラの網に引っ掛かったり、引っ掛からなかったり、様々である。アドルフォの方には、ラウラよりも幾分か多くヒットしているようであるが。
その差は何か、と問われると、単にその能力に関する実力の差だろう、と結論が出せる。
で、あるならば当然、相手は、ラウラの探知能力以上、アドルフォの探知能力未満の“気配を断つ”能力を持っている、ということになる。
しかし魔王の娘を凌駕する能力を、一介の魔獣が、しかも一体ではなく数十体が持てるものだろうか。──否、そんな訳はない。
ならば、何故。
(……うーん?)
何か、引っ掛かることが、あるような、ないような。やっぱりあるような。
顎に手をやった、その瞬間。
ぶあり、とそれまでには無い気配が隣の部屋から漏れ出した。一瞬のことである。一瞬にして出現した、その気配は、
「ジーノ?」
──蜥蜴の主人と共に、再び掻き消えた。
やられた、と顔を青くする。
今のは、──ああ、今のは知っている。とても、よく。思い出した。
“道理で私の探知を掻い潜るわけだ”!
慌てて、部屋から身を乗り出す。蠢く魔獣がそこらかしこに放置されている、まるで地獄絵図のような光景の中に、アドルフォはいる。セルジュもいる。しかし、案の定というべきか、主人の姿は無い。
「なあラウラぁ、なんかさぁ、今さー、気のせいじゃなければさー」
アドルフォが能天気に敵を殴っている。そんな場合じゃなかろうが! と怒鳴りたくなる。
怒鳴るところまで至らなかったのは、凄まじいスピードでラウラたちのいる場所へ接近してくる気配を感じ取ったからだ。
“それ”はずんずんと突き進み、自分の前にいる障害物を問答無用で押し飛ばしながら、ラウラたちの前に参上した。
前足を振り上げ、大きく嘶いたのは──燃えるような鬣を持つ、馬だ。
馬は興奮しきった様子で、鼻から息をフンと噴き出す。まるで湯気のようだ。事実、その息はひどく熱いはずである。あれは、そういう生き物だ。──ラウラは、そしてここにいる魔界人二人も、そのことをよく知っている。
「な、何故貴方がここにいるんですか、ヴィゴール!」
突然の乱入者に、セルジュが目を──いや、牙を剥いている。臨戦態勢だ。やんのかコラ、の粋である。おかしい、魔獣たちよりも余程“正しく”仲間の範疇であるはずだが。余計に殺気立っている。
普段はソレに乗って暴れ回るヴィゴールは、しかし今回、そうはしなかった。
大きく上げた太い前足をそのまま地面に下ろす。周囲を囲んでいた魔獣が思わず体勢を崩す程に、地が揺れる──おい、ここは坑道だぞ、もう少し自重しろ、という言葉は、自分も他人のことは言えないことに気付いて飲み込んだ──。
「俺ぁ、仕事熱心なんだよ。サボっていなくなったお前と違ってなぁ、セルジュ?」
「……私はこの阿呆狼の見張り役をしていただけですがね? それも仕事の一つなもので。一つのことだけをしていればいい貴方とは違って、やることがいろいろとあるのですよ」
「ほーお? どうせ大半は仕事じゃなくて趣味だろぉがよ」
勝手に現れ、勝手に喧嘩をおっ始めようとしている馬鹿二名を、「いい加減にしろ」と一言で制する。
「で、なんの用だ、ヴィゴール」
ひょいとヴィゴールは片眉を動かす。
「だから、仕事だってぇの。一番足が速くてしかもすっげぇ強い俺様に適任の仕事──伝書鳩ならぬ、伝書馬ってなぁ。ま、文なんざ持ってねぇけどよ」
持たせても食うだろうな、こいつ。裏でそんなことを考えながら、続きを促す。
馬がにやりと笑う。
「喜べ姫サン、魔界で反乱だ! 存分に暴れられるぜー? しかも魔王サマが捕まったとなりゃあ、あんたが出ねぇわけにはいかねぇよな」
「…………」
「…………」
「…………」
一瞬の静寂の後、
「よ……喜べるか阿呆がああああ!」
ラウラは全力で吠えた。
──しかしながら。
出ないわけにはいかない、という発言には、残念ながら全面賛成せねばなるまい。
父はまあどうでもいいとして──おそらくあの“気配”からして、大事な主人も、そこにいるのであろうから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ラウラとしては、そのまま魔界にすっ飛んで帰りたい気分だったのだが、寸でのところで自分の近くに人間がいることを思い出した。さすがにここに放置したら、死ぬかもしれない。それではここに来た意味が無い。
「別に平気だ」
先程までの熱情はどこへやら、いつもどおりの無表情を貼り付けたジェラルドの言葉は、正直いってあまり信用できない。フィーもおりますよ! と握り拳を固める妖精も、ちょっと信用ならない。
この二人、なんだかんだいって一番無茶をしでかすペアなのでは、と慄く。
消えたルドヴィーコの行方について、ジェラルドはえらく気にしていた。騎士団では他者と深い人間関係を築かず、一匹狼のきらいがある彼であるが、元来は仲間を大切にするところがあるのか──そうでなければ、村のことをこれ程までに気に掛けたりはしないか──、「行き先を知っているのなら、早く行った方がいいんじゃないか」としきりに訴える。
「心配無用だ」
ラウラは毅然として答えた。反乱を起こした者の名は、既にわかっている。
「“あいつ”は、割と重度の卑怯者だから、そう簡単に“人質”を殺したりはしない。搾り取れるだけ搾り取るまでは、生かしておくだろう」
「その信用の仕方はどうなんだ」
ごもっともである。しかし、事実だ。
「それに」ラウラは、口元を柔らかく緩める。「──ジーノだぞ? 大丈夫に決まってる」
ぷつりと口を閉じた彼は、しばし黙り込んでから、「そうだな」と少しだけ笑った。
砦に戻り、ざっと事情を説明する。
ルドヴィーコが連れ去られたという事実を聞くなり、ソフィアは眉をピクリと動かした。まあ落ち着けよ、とドナートが軽く宥める。
「そういうわけだから、私は魔界に戻るが」
言葉を切ったのは、不可抗力だ。
荒々しく扉を開け放った団員が、焦った顔で入室する。
「団長、遠方に大量の魔獣の姿を確認しました」
「ふーむ、このタイミングでか? とすると、さっきの魔界の反乱とやらが関わってやがんな」
途端に責められた気分になり、ラウラは眉を寄せた。可能性は、否定できない。むしろ、十分過ぎる程度に、ある。
「なあに。責めてる訳じゃあない。逆にあれだ、細々とした調査をしなくて済みそうで、幸運だな。がっはっはっは!」
「……そういう訳なので、気に留める必要はありません」
ソフィアがゴーグルに触れながら、断言する。
「それよりもこちらとしては、根源を絶ってくれる方が助かります。魔界とやらに反乱を起こした者がいるなら、ついでに退治してきてくれると助かるのですが」
「ん。まあ、ついでに、な」
本当に、ついでに、だ。お灸を据えてやる程度のこと、したってよかろう。
でもあいつ苦手なんだよなー、と嫌そうに顔を歪めると、隣に立っていたヴィゴールが「姫サン、あからさまに顔に出てんぞ。まぁ俺もヤツぁ好かんがね」と頭の後ろで手を組みながら、毒を吐く。
「そうー? 俺は好きだけどな、お菓子くれるし」
反乱者同士、通ずるものでもあるのか。それとも単にアドルフォが菓子につられているだけか。
「……ラウラ様、私はここに残って、魔獣の殲滅に努めましょう」
「お前がか?」
なんでまた。首を捻る。セルジュならば、人間界のことなんて知ったことか放置しましょう! などと言うかと思った。
「人間が絡んだごたごたは厄介だから嫌いなんですよ、やつら、ひとつの出来事を十倍大きくして語りますから。そんなことでラウラ様のお手を煩わせることになっては大変です。未然に防いでおかないと。まったく! だから人間界には手を出すなとあれ程常日頃から忠告しているのに誰も気にしやしない! ああ、まったく! なんでああも頭が弱いのか!」
魔界で暴れ回るだけなら好きにしたらいい、で終わったんですけどねえ。と恨みがましい目をしている。
瞳の奥でごうごうと燃える妙な炎に、どうしたんだお前、と声を掛けたくなったが、やめておく。厄介ごとのにおいしかしない。
「おおかた、数ヶ月前の人間界でのゴタツキが心底気分が悪かったんだろうよ」
ヴィゴールが、やれやれ、と首を振る。あああの自分を探しに来た時期か。しかし、はて、ラウラの記憶違いでなければ、他人面しているこの男もまた、そのゴタツキの要因であった気がしたが。
「仕方ねぇから、俺もここに残って、セルジュが下手を打たねぇか見張っといてやるかな」
「うん、私はお前もお前で心配だがな?」
しょうがない、と言いつつも、思い切りヤる気の赤髪に、ラウラは胡乱げな目を向けた。見張りという名目で居座り、暴れる気だろう、これは。
「だーいじょうぶだってぇの」
信用ならない。大丈夫になど思えない。が、現時点では確かに戦力にはなるので、重宝はされるかもしれない。
「その二人がこちらに残って、反乱の制圧は大丈夫なのですか」
ソフィアが確認のように訊ねる。
「失礼な人間ですね、あんなのラウラ様一人で十分ですよ!」
「同感だな。つーか姫サンと一緒だと取り分が少なくなるから嫌だ」
「おい赤髪、本音が漏れてるぞ、お前」
やっぱり暴れる気満々じゃないか! 口元を引き攣らせるラウラを一瞥し、ヴィゴールは満足げに「そーいうワケだから」と片手を上げる。
「姫サン、魔界はテキトーに任せた」
小馬鹿にしているようにも思える──少なくとも敬意なるものは見えない。逆にあったとしたら、思わず「お前は誰だ? 頭でも打ったか?」と疑うだろうが──その発言に、盛大に肩を落とした。
やれやれ。仕方あるまい。
──まあ。
「実際、私一人で余裕だからな。安心しろ」
ラウラはにんまりと笑った。
第6章 騎士団 坑道調査編[完]




