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フィリンティリカは独りになった。行くアテも、何も無かった。どうしようかと困っている時に、近くに自分が命を延ばした少年がいたので、ついていくことにした。
少年は、ちらりとこちらを一瞥した。彼女が彼に力を注いだことも影響していたのか、どうやら彼には、フィリンティリカの姿がハッキリ見えているようであった。
彼は、せっかく救われた命だというのに、ソレを割と雑に扱った。生きる為には、命すら多少雑に扱わねば、何事も成せなかったからかもしれない。
危険地へと身を投げ、頻繁に死の淵に立っていた。その度に、フィリンティリカは彼の傷を癒した。
気が付けば、共にいることが当たり前になっていた。
気が付けば、少年とフィリンティリカは契約を結んでいた。
気が付けば、少年は無謀な挑戦はしなくなっていた。
気が付けば、少年は妖精に合う魔石を探すようになった。
気が付けば、少年は青年と呼べる歳になっていた。
それでも、少年の──かつて死に掛けの少年であったジェラルドの瞳の奥は、確かに自分に対する憎悪があった。それは、変わらず、そこに在った。
妖精は、彼の傷を癒し続けた。
そうやって長い月日を共にしてようやく気付く。
大事な主人の、大事な友人の、大事な人を前にして。怪我をして今から死が訪れるという時に、自分の決断の結果に納得したように口元に弧を描く、その少女を見て、気付く。
自分が何故、彼の傷を癒したのか。
(だって、あなたは、決して──)
「フィー! フィリンティリカ!」
名を呼ぶ声に、目を開く。微睡む意識はそのままに、掠れる命が、光を抱いて膨れる。初めて感じる心地良さに、ああ、自分の“半身”はここにあったのか、と思った。身体が満たされていく。見知らぬ満腹感に、戸惑いを覚える。
「ぁ……」
少年と出逢って以来、一度も聞くことがなかった自分の声に驚く。記憶にあるよりも、か細く、高い。思わず口に手を当ててから、自分に実体があることに気付く。その手もまた、つい最近の自分とは比べ物にならない程に大きい。
フィー、と呼ぶ声が、すぐ近くで聞こえる。
ゆるゆると視線を向けると、彼はいつもと同じように、フィリンティリカを見つめていた。
──フィリンティリカを、憎むような眼差し。
だから、仕方がないだろう。
初めて交わせる言葉に、会話に、その話題を選んだのは。
「あなた、は、憎んで、いますか?」
何を、と言わずとも、ジェラルドにそれは正確に伝わった。それは、彼がずっと抱き続けていた感情だったからに他ならない。
分かっていたからこそ、彼が迷いも無く「ああ」と認めた時は、それ程のショックを受けなかった。
「憎んでいる。恨んでいるよ、お前のことを」
もしかすると、自分の村を滅ぼした、あの魔獣たちよりも、余程。
そう続いた時には、流石に悲しかったけれど。
「フィーが、あなたを、助けたから?」
「ああ、そうだ」
「でも──」
舌は徐々に言葉を思い出す。伝えることを思い出す。
「でも、あなたが、ジェイが、自分の死を望んだことなんて、なかったもの」
そうだ。だから助けたのだ。
死の淵に立ちながら、その瞳には、意思があったから。
フィリンティリカが、持たなかったもの──持とうとさえしなかったもの。それを、彼は掴んでいた。
“諦めたいと望むこと”と、“諦めること”は違う。方向性は似ているようで、明確に違う。
前者はそれでも掴んでおり、後者は既に手放している。
ジェラルドは前者で、──フィリンティリカは、後者だ。
生きることを諦めようとして、それでも諦めきれずに、必死に掴む。だというのに無力である自分が生きていることを憎んでいるようにもみえるジェラルドを、フィリンティリカは歪だと思った。歪だけれど、その在り方は正しいようにも思えた。少なくとも、彼女が泣きたくなるくらい自分の生き方を恥じる程度には。
フィリンティリカは、自分が持たざる者であることを受け入れていた。『持たないのだから、仕方がない』。そのことを疑問視することすらしなかった。何故なら、周りはみな、持たない彼女を責めはしなかったし、“格下”になることもなかった。あくまで平等だった。
それは、おそらく、ひどく幸運で、幸せなことなのだろう、と。フィリンティリカは思う。
けれど、狂おしい程に生を渇望し、力を欲するジェラルドを前にすると、力を持たないからという理由で何もしないことは、許されないことのように感じた。周りが許しても、彼が許しても、フィリンティリカ自身が、許せないように思えたのだ。
力に、なりたいと思った。
たとえこの身が削られようとも。
「死に逃げることを許してくれなかったのは、お前じゃないか、フィー」
責めるように、ジェラルドが口を開いた。
「俺はあの時、死んでも良いと思ったんだ。死ぬことは嫌だけど、あんな輩に殺されることなんて、屈辱的で仕方がなくて、許せなくて。だけど村のみんなと共に散れるのなら、それでも……。だから──仕方がないと、諦めようと、したのに」
お前がそれをさせてくれなかったのだ、と。激情を抑えて低く唸り、彼は語る。
生きる手段を、目の前にチラつかせて。生を与えられ。
自ら死を望むことは、できなかった。あの日を越し、それなのになんの理由も持たずに死ぬことは、あまりにも、村のみなに顔向けができない気がした。せめてやつらに一矢報いなければ、そう思った。そのためには力が必要で、多少の無理を強いた。その過程でなら死んでも構わないと思っていた。それならそれで、その程度だったのだ、と理由ができる。
それなのに。
それすらも、小さな妖精は許してはくれなかった。
いつだって、フィリンティリカはジェラルドの命を救った。やがてそれが決して、なんの代償も無しにできることではないのだと知った。
余計に、死ぬ訳にはいかなくなった。
死んだ方が楽なのに、と何度も思う。
あの時命を落としていた方が、あるいは幸せであったかもしれない、と。
けれど。どうしても。
目の前に、生きる道があるのなら。
その道を選ばなければならない。
だから、と彼は語る。
「だから俺は、今この瞬間だって、お前を憎んでいるんだ」
いつもと変わらぬ瞳を見据え、フィリンティリカはふわりと笑った。
「……それでいいのよ?」
彼はきっと、“ひどいこと”を言って、自分を遠ざけようとしているのだと思った。魔石さえ手に入れば、フィリンティリカは一人でだって生きていける。ジェラルドの所為で死ぬことは、まず無い。
だから、フィリンティリカが魔石を手にした時点で、もう彼が“自分の所為で命を削る妖精への義理のために”フィリンティリカの傍にいる理由はなくなった。もし彼がフィリンティリカが傍にいることを望むなら、それは、きっと──フィリンティリカを犠牲としてでも彼自身が生きるため、だ。
それを知っているから、いやたとえそうでなくても──そう、それはひたすら簡単な話だ──結局のところ、フィリンティリカは彼を死なせたくはないと思っていて──だから、彼の要求を飲んでやる気は起こらない。
それはもう、自分が一番初めに彼を前にして抱いた“恥ずかしさ”のためであるとか、そういうことですら、なくて。
「ジェイは、命がこの地に還るまで、ずっとフィーを憎んでいていいのよ?」
不器用な彼が生きるために、理由が必要なのであれば、いくらでも。馬鹿な妖精が勝手についてくるから、でも、なんでも、いい。それで彼が憎しみを自分に向けようが、構わない。
フィリンティリカは、彼に生きて欲しいと思っているから。彼と共に生きていたいと思っているから。
妖精としては、きっと駄目な願いだけれど。
「──お前は本当に、酷い妖精だ」
俺を楽にさせてはくれないのか。
その言葉を前に、フィリンティリカは眉を八の字にした。
「でもジェイは、楽になりたいなんて思っていないでしょう?」
苦しくても、彼は立ち上がる。彼はそれをフィリンティリカの“所為”にするけれど、妖精がいなくたって彼は立って歩いただろう。
たまたま、フィリンティリカがいただけだ。そんな彼だから、フィリンティリカは離れられない。
その苦しみを、一部でもいいから、分けて欲しいと願う。
「本当に、酷いやつだ」
ジェラルドが繰り返す。
「もし魔石が見つからなかったら、死んでいたんだぞ」
わかっているのか、と責め立てる声は、心なし、先程よりも強い気がする。
「でも見つかったもの」
「そんなものは結果論だ」
「結果論だと、だめなの?」
強い口調に気圧されて、妖精は身体を縮める。結果的に良かったのなら、それで良いではないか。
怯えた表情を見せるフィリンティリカを前にして、ジェラルドの唇は、言葉を探すように震える。迷った末に、選び取ったものは、様々な感情を綯い交ぜにしたものだった。
「お前が死んでいたら、俺も死んでいた」
怒りが見える。悲しみが見える。その感情の色は、『そうであれば良かったのに』という願望と、『そうでなくて良かった』という安堵を含んでいる。今のこのやり取りが、自分の状態が、“正解”であるのかわからないという顔をしている。
だから、フィリンティリカはあえて朗らかに笑った。
「それならやっぱり、魔石が見つかってよかったのよ」
ただそれだけのことだ、と笑ってみせた。
ジェラルド本来の愛称はジェリーなのですが、おおめに見て頂けるとありがたく。
ジェリーっていうと、あれですよね。
とっ●ーとじぇりー!なっかっよっく喧嘩しな〜♪




