07
ルドヴィーコの焦った顔が視界いっぱいに映った。彼は、ラウラを見つけた途端に、明らかに安堵した表情に変わった。額には汗が浮かんでいる。
「あ〜……焦った。お前……確かに落とした俺も悪かったけど、返事くらいしろよ。ほんと、どこに行ったのかと……心配しただろうが」
どうやら、女性を明るいところに連れて行く際に声を掛けたが、見つからなかったらしい。当然だ、その頃にはラウラはその場にいなかった。仕方なく、女性を連れて、ひとまず馬車に押し込んで、再びラウラを捜しに来たらしい。
女性は、やはり無理矢理に庭に連れ出され、襲われたらしかった。パーティ会場から連れ出される時にも助けを求めたが、騒めく会場は彼女の声を掻き消してしまったらしい。
「もう少し、警護もどうにかする必要があるな。結局相手の男は分からずじまいで、お咎めも無いし、再犯するかもしれない」
(安心しろ、本格的に絞めたし、再犯防止もしておいた)
ラウラは得意げに、ぺろ、と舌を出したが、ルドヴィーコは気付かなかったようだ。独り言なのか、それともラウラに聞かせているのか、先程からブツブツと「極力関わり合いたくないが、しかし、殿下に話を通すべきか……」などと言っている。
確かに、犯罪者はあの男一人では無いので、根本的な対策も必要だろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
後日、ルドヴィーコがジュリアに話をすると、彼女は青い炎を背中に背負い、輩の駆除を約束した。
「わたくしのパーティでそのようなことをする度胸ある御方がいるとは。ふふ、よろしいですわ、きっかりばっさり根元から刈り取ってあげましょう」
敵の敵は味方だった。いや、女サイドという意味では、正しく味方だ。女の敵は、倒すべき相手である。もう倒した後だが。
直接対面している時には、恐ろしい娘だと思ったが、よくよく考えると自分も他人のことは言えないラウラであった。
「ところで、ジーノ」
「なんでしょうか、ジュリア殿下」
「──貴方、銀髪の女性をご存じ?」
ドキリ、と心臓が飛び跳ねた。ビシリと固まった蜥蜴には気付かず、ルドヴィーコは少し考えてから「申し訳ありませんが、銀の髪を持つ知り合いはおりません」と答えた。
「それが何か?」
「あら、貴方も見てないのね。仮面舞踏会に不意に現れ、男を掻っ攫って、フッと消えた幽霊みたいな銀髪の美女の話よ」
美女、と言われると首を傾げてしまうところはあるが、おそらくラウラのことだろう。掻っ攫った覚えも、消えた覚えも無いが。あと幽霊でもない。
「実はわたくしもその時は、ちょうど会場を抜けておりましたの」
会場に戻ってみると、興奮しきった貴婦人から、「あの綺麗な方はどなた!?」と押し掛けられ(仮面を付けている、という前提など忘れてしまったらしい)、事を知ったらしい。
「でも、わたくしの招待客に銀髪の女性なんておりませんの」
それにしても釈然としない、と言わんばかりのジュリアに、ルドヴィーコは「気のせいでしょう」と言った。興味は無さそうだ。
「もしくは髪色も変えたのでしょう。何しろ昨夜は仮面舞踏会でしたから。幽霊なんかいやしませんよ」
相手がバルトロであれば、「馬鹿馬鹿しい」と続いたであろう口調だった。
「まあ! 夢が無い方ですこと!」
「幽霊話のどこに夢を見出せと……」
肩を竦めたルドヴィーコは、「とにかく、庭園の件はよろしくお願い致します」とこれ以上付き合っていられないと話を切り、その場から離れた。ラウラにとっては幸運だった。何が理由でバレるか分からないのだ。いや、まさか物言わぬ蜥蜴が人間になるなんて、誰も思わないだろうが、それでも。
教室に戻る途中で、女子生徒に呼び止められた。栗色のふわふわな髪をした、可愛らしい女子生徒だ。
「昨夜は、ありがとうございました!」
「昨夜……?」
彼女は、頰を赤く染めた。
「あの、庭で助けて頂いた件です。あの、蜥蜴さんを探していらしたので、ルドヴィーコ様かと……」
「……ああ」
彼女は、昨日悪漢に襲われていた女性らしい。コレット=パーニと申します、と可愛らしい笑顔を浮かべた。
「一言でもお礼を言わなくては、と」
「別に良いのに」
「良くありません! 礼儀はしっかり、ですよ!」
コレットはふくりと頰を膨らませ、ずいと顔を寄せた。それから、パッと花が咲くように笑う。
「本当にありがとうございます!」
「いや、間に合って良かったよ」
全くだ。こんなに可愛らしい娘が、傷付くような事態にならなくて良かった。
そう思いながら、ラウラはどことなく面白くない気分だった。
出会ったキッカケはあまりよろしくないものではあったが、その後ルドヴィーコとコレットの交友が始まった。初めは「何か返せたらと思って……」とクッキーを渡されたことから、始まった。その後も、廊下で会う度に、挨拶をしたり、時折話を交わしていき、気付けば屈託無く話せる間柄となった。ルドヴィーコも初めの頃は、社交的な笑顔を見せていたが、今では本心から笑い合う、名実ともに、互いに認める“友人”だ。
(…………むう)
何故か、胸がざわざわした。
一番困るのは、コレットが本当に良い子だからだ。彼女は、ルドヴィーコ同様、物言わぬ蜥蜴にもしっかり話してくれたし、ラウラの父のように可愛い可愛いと蜥蜴姿のラウラを褒めそやした。ちょっと懐かしい気持ちになったなんて、……そんなことは、無い。はず。
──何よりも。
「蜥蜴さんも食べたいんですか?」
「あ、コレット、蜥蜴っ子は食べ物は……」
ルドヴィーコが止めるよりも早く、コレットは、自分が焼いてきたシフォンケーキの切れ端を、ラウラの口元に持ってきた。制止の声に気付いたコレットが、え、と声を上げた時には、ラウラは舌を伸ばして、ぺろんと久々のお菓子に舌鼓を打っていた。美味しい!
「え、……あ! た、食べさせちゃだめでしたか!?」
「いや、……蜥蜴っ子、お前、食えるの?」
返事をするように、グルルと鳴いた。蜥蜴らしくないと言われようが、これはラウラにとって非常に大事なことだったのだ。
その日から、この蜥蜴が非常にグルメであると知ったルドヴィーコが、少しだけオカズを分けてくれるようになった。
ラウラには、コレットが救世主のように見えた。
……その救世主を、何故疎ましく思ってしまうのかは、謎のままだったが。
ジュリア殿下の報復は恐ろしいです(ボソッ)