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しばらく進むと、アドルフォがその場でぐるぐると周り始めた。
「この辺り、におい強い」
セルジュは周囲を見渡す。
「争った形跡がありますね。ここで戦闘があったのでしょうか」
「……まだ温かいな」
地面に膝をついたルドヴィーコが、果てた魔獣に手袋越しに触れる。
温もりがあるということは、そう離れていないはずだ。
しかし、忘れてはならない。
血の臭いは魔獣を呼び寄せる。
ピクリとラウラの尻尾が揺れる。他の三人も、周囲を警戒し始めた。
興奮した息遣いが聞こえる。飛び掛かる機会を窺っているのだろう。アドルフォが、いつでも迎え撃てるぞとばかりに体勢を低くする。彼の目はギラギラと輝いていた。
諸々の事情により、長引かせるのはよろしくない。ラウラは肩から身を投げると、人型をとる。それだけで空気は一変した。
強大な力差を前にして、後退りする程度の知性──あるいは本能──は残っているようだ。
ラウラは気を良くし、にんまりと笑った。
「ああ、流石ラウラ様!」
「…………」
どこからか聞こえてきたうっとりした声は、意識的に捨て置くことにした。しばらく大人しくしていたから忘れ掛けていたが、セルジュはやはりセルジュだった。そういえば、あの妙な観光事業はしっかり頓挫してくれただろうか。
「怯んでいるうちにとっとと距離を詰めるぞ」
アドルフォの名を呼び、先を促す。彼は名残惜しそうにラウラと、それから各種気配がする方向を見たが、「肉、追加」という言葉に素直に従った。
「にっくにく〜」
「……魔界は食糧に困っているのか?」
あまりにも食欲に従順な狼に、ルドヴィーコが思わず漏らす。
「いや特には。魔力があれば飢えはしない」
「でも“食べ物”は貴重ですね」
「ああ、貴重だな。特に人間界の甘味は」
「鶏の丸焼きも捨て難い」
他の魔界人二人も、無言で口元を拭う。
みんな同じなのか。
その呟きを、そんなことはないのだけどな、とあまり説得力を持たない顔で否定する。
例えばここにはいないヴィゴールなんかは、ほとんど衣食住に頓着しない。着られるなら良いし、食事は魔力で十分だし、住まいだって寝て起きられたら良いのだ、と言って憚らない。
逆にラウラは食住には興味が強い方だ。唯一、衣は興味が薄い。ジャラジャラとした装飾をこれでもかと付けている輩を見ると、あれは動く時に邪魔ではないかと思ってしまう。彼ら曰く、音が鳴るのが楽しい、らしい。
とはいえセルジュのように衣には一定の拘りを見せつつも、ジャラジャラは嫌いなタイプもいるので、一概に「衣=煩いもの好き」としてしまうのは語弊を生むのだろうが。
「要は人それぞれだ。実際見たらわかるぞ」
まあ、魔界に人間が行くなど無理だろうが。
そう思いながら口にすれば、同じようなことを考えでもしたのか、ルドヴィーコは「機会があれば」と苦笑した。
「さて、そろそろか?」
気を引き締める。
「なんか、前方から剣の音がする」
心なし、アドルフォがそわそわし始める。毛がぶわりと逆立っている。興奮状態にあるようだ。
足を速める。
ラウラの視界にも、複数体の魔獣と交戦するジェラルドの姿が入ってきた。彼女が主人に伝える前に、ルドヴィーコもまた「見えた」と言った。
魔獣がこちらの存在に気付く。その隙を突いてジェラルドが一体を斬り捨てる。
「加勢する」
「俺も! 俺もする!」
「貴方は大人しくしていましょうか」
すかさずセルジュがアドルフォを羽交い締めにした。残念ながら、というべきか、今、一番重要となるのはアドルフォの能力で、このため彼に魔力切れを起こさせる訳にはいかない。理性がきくタイプなら、放置しておいてもそれなりにセーブするだろうが、この狼は違う。
キャンキャン鳴く彼を追い越し、ラウラとルドヴィーコは跳躍する。剣で捌いていく主人を横目で一瞥すると、ラウラは魔獣の頭を鷲掴みにすると地面へ叩きつける。ビシリという音を聞き、しまった力加減を間違えた、と反省。
順調に前に進んだルドヴィーコは、ジェラルドと背中合わせになり、短く言葉を交わす。苛立ったような、戸惑ったような、ジェラルドの声が背後から耳に届く。
「どうして来た。それに、後ろのは……」
「話は後で」
今は、まず目の前のことを。
再び離れる。
残る魔獣は少ない。三人で多少の無理をして掛かれば、終わるまでは短かった。
敵が完全に事切れたことを確認。アンデッド対策のために四肢を切断してから、ようやく剣をしまう。
話をしたいところだが、ここに留まっていることは得策ではない。
「アドルフォ、ジェラルドは見つかった。お手柄だ」
「そうだろー。俺、すごいだろ!」
ルドヴィーコからの手放しの称賛に、アドルフォは鼻高々だ。誇らしげに胸を張っている。セルジュに羽交い締めされたままなので、あまり格好はついていないが。「次も頼む」と言えば、任せろ、とばかりに吠えた。
……何故だろう。自分の主人は、本当に、あの単純馬鹿の取り扱いが上手くなっている気がする。
それを誇るべきなのか、それとも同胞のあまりの単純さを嘆くべきなのか。
「要は、魔力濃度が濃いところに行けばいいんだろー?」
くんかくんか。鼻をひくつかせる。こっちだー、と彼はセルジュの腕から逃れ、走っていく。
あんまり勝手に動き回るなよ、と注意しつつも、本気で止めに入らないのは、なんだかんだいってもアドルフォの能力が高いからだ。多少の不測の事態、自力でなんとでもなる。戦闘センスは抜群だ。今は戦闘モードになられると困るが。
なし崩し的に行動を共にすることになったジェラルドは、いつもの無表情に少しの動揺を走らせている。
「おい、どういうことだ」
「団長からのご命令だ。俺とジェラルド、二名にな。魔界人の支援を受けながら、坑道の調査をせよ、と」
「……なんだそれは。俺は坑道の調査なんて」
「結果的にそうなる。だろ?」
ジェラルドは、ゆるゆると頭を振る。
「無茶苦茶だ」
「我らが団長と騎士団に、それ以上に相応しい言葉は無い。付け加えるなら、俺もお前もその騎士団の一員だ。……言っとくけど、先に無茶したのはお前だからな?」
それに関しては、反論の余地は無いといったところか、ジェラルドはむっつりと口を閉じた。無茶でもやるしかなかったんだ、とでも言いたげである。
しかし、アドルフォたちの協力なくして、ここまでスムーズに移動することはできないだろう。闇雲に動けば、魔獣にあたる。どれだけ体力を削られることか。
「妖精さんは、大丈夫なのか?」
「……ああ、今のところは」
おおよそ安心はできない言葉に、しかしまだ間に合わない段階ではないのだと、安堵する。
話したのか、と少しばかり責めるような視線に、ラウラはペロリと舌を出した。さほど悪いとは思っていないが、許せ。
会話は、そこで一度打ち切りになった。魔獣の群れと遭遇したためだ。
魔力濃度が濃いところに向かっているということは、言い換えれば魔獣が多い道を突き進んでいるということだ。しかも、進めば進む程に数は増す。ラウラの警戒網にも幾分かヒットするようになる。全てが全て、気配を断てる訳では無いのか。見えない敵がいる以上、信頼を置けない情報である。大して重要視できないどころか、そちらに気を取られていると敵に挟まれる危険性があることも、痛い。
ラウラが戦えば、セルジュも仕方なさそうにそこに加わる。人間と共闘などプライドが許さないが、それに拘り過ぎて道を誤る程、彼は愚かではない。むしろ止める相手がいなくなり、戦闘に加わり始めたアドルフォの方が心配だ。勢い余って坑道を壊さなければいいが──かくいうラウラも油断すると壊しそうである──。
リスクを楽しんでいるのか、小さな狼の姿のままちょこまかと動き敵を翻弄し、隙を打って噛み殺している。その小さな体躯に宿る瞳は好戦的に揺れている。
積極的に動き始めた魔界人とは打って変わって、人間二人は、慎重に、仕留められるところから確実に仕留めていく。無茶な行動をしている割に、戦い方は冷静だ。そうであることを自身に強いているのかもしれない。状況に飲み込まれることが一番怖いからだ。
魔獣を撃破しながら、第一のポイントへと辿り着く。奥に、ラウラの作ったソレとは比べ物にならない程に大きな、魔力の結晶。
「ジェラルド、どうだ!」
戦闘行為を行いながらであるためだろう、ルドヴィーコが叫ぶように声を発する。ジェラルドは、魔石を取り出しフィリンティリカの様子を見る。もしここが彼女の魔力と合えば、変化が見えるはずだ。契約者たるジェラルドには、それが分かる。しかし、彼は首を横に振った。
「駄目だ。ここでは駄目だ」
「ま、そう上手くはいかないよなあ」
ラウラは意識して気楽そうな声を上げた。
──妖精は繊細だ。下手したら、この坑道のどこを探しても、“正解”は無いかもしれない。
そんなことを言っても、仕方がない。
「そうと分かればここはサッサと撃退して、次に行こうか」
「回る場所が増えたら、ご褒美も増えるか?」
ぱたりと尻尾が揺れた。当然といえば当然か。妖精の生死など、彼にとっては重要ではない。ルドヴィーコが苦笑混じりに、「増えるよ。正解を引き当てたら、更に増える」と答えると、アドルフォはより一層やる気を出し始めたようであった。
「次も外れたら良いな! で、最後に当たれば尚更良い!」
勘弁してくれ。おおよそ道中や帰りのことなど考えていないであろう彼の発言に、ラウラは肩を落とした。ご褒美につられて、魔力残量のことなどちっとも考えていないに違いない。そういうタイプだ、この狼は。




