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ダン、と膝を打つ音がした。
「ようし分かった!」
ドナートが歯を剥いて笑う。面倒ごとさら受け入れた、と。
「ちょうど今しがた、坑道の調査が必要だと考えていた頃だ。ただの定期調査よか、余程難易度が高いわな。とはいえ、砦の防衛が手薄になってもいけねぇ。──そこへ偶々、協力を申し出てくれた魔界人サンがたがやってきた。しかしどうもルドヴィーコ、お前の相棒がいることが条件のようだな。それじゃあ仕方ないな。お前が行くしかないじゃないか、……なあ、ソフィア。どう思うよ?」
同意を求めるように、ソフィアを見やる。彼女は、ゴーグルに触れながら、「そうですねぇ」と零した。
「穴はいろいろありますが、……まあいいでしょう。よしんば失敗しても、騎士団の損害は最小限ですからね」
その発言に、セルジュがあからさまに顔を顰める。「人間風情が」とまたボソリと聞こえた。人間如きに利用されている状態が、ひたすら不快なのだろう。その上、“失敗しても”、などと言われては、神経を逆撫でされても致し方ない。
ソフィアの物言いは、本心でもあり、また相手の本性を見極めようとあえて過激な言葉を選んだようにも思える。セルジュが反論を控えたのは、「相手の思い通りになどなってやるものか」という矜持が働いてのことだったのだろう。そこまで見越した上での発言であれば、天晴れだ。
「さあて、副団長殿の許可も出たことだ。──ルドヴィーコ、ジェラルド両名に、坑道調査の任務を与える。大役だ、心して掛かれよ」
「は」
深く、深く、ゆっくりと味わうように、礼をする。騎士団がする、ソレとは違う。だからラウラは、それはただただ感謝を込め頭を下げたのだと、理解した。
ここにはいない、彼の分まで。
退室しようと踵を返したルドヴィーコの背中に、低く笑う声が被さった。
「──役目なんざ気にせず、好きに暴れてこい」
団長、と咎めるソフィアの声を聞きながら、そのまま部屋を出る。
ドナートの言葉を受けた瞬間、表情を硬くさせたルドヴィーコは、しかし次第に柔らかな──それでいて、仕方がないと笑うような、そんな微笑を浮かべた。
どうかしたのか、と舌で首を擽ると、止めるように指で頭を押される。
「役目、か……」
蜥蜴の耳が、主人の微かな声を拾う。
「そういえば、忘れていたな。ああ、すっかり忘れていた。これが、俺の役目か……?」
蜥蜴にはサッパリ分からないことを呟いたルドヴィーコであったが、すぐさま頭を切り替えたように──あるいは追及を恐れ、話を打ち切ったかのように──「さて、坑道へ向かう準備をしなければな」と普段通りの声を放ちながら、また足を進め始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「良かったんですか」
「何がだ」
「転がりようによっては、王に目を付けられますよ。投獄、下手すれば死罪かもしれません」
ソフィアの発言に、ドナートは彼女を一瞥する。
「その発言はバレると不敬に当たんじゃねぇか? 相手は一国の王だぞ」
「バレなければ良いのです」
しれっと返した彼女に、悪びれた様子は一切ない。付け加えるならば、泰然たる態度で、そうだがよ、と応えたドナートにも、そのような気持ちは無い。
「予期せぬ魔獣の動き。これが王都に広まれば、民衆の不安を煽る。対策が進まなければ、不満が高まる。──その時に、希望がいるかいないかで、事態は大きく変わるでしょう」
揶揄するように、そうでなければ批判するようにも聞こえる言葉を選んでいるくせに、彼女は関心が薄そうだ。
魔獣の発生率が高い国境、その防衛の要たるハイドィル南部国境警備騎士団は、自由な強さを誇り、“そのような人員”が集まるが故に、忠誠心、愛国心の面ではやや不安がある。全ては、団長たるドナートが惹きつけ、纏めているといっても過言ではないのだ。
だからこそ。
「バレなきゃいい、だろ?」
「……バレずに済むとは思えませんが」
文句を言い嘆息しながらも、ソフィアがその決定を否定し、覆すことはない。
「なぁに、そん時はそん時だ。幸い将来の王様には、好きにさせろ、とお達しが来ているしなぁ」
「切り捨てられる可能性もありますが」
そんなことは知らぬ存ぜぬを突き通されたら、どちらの意見が押し通るかなど、考えるまでもないことだ。
しかしドナートは獰猛に笑う。
「──簡単に切り捨てられる程、俺たちの価値は薄かねぇしよ、王子サマも馬鹿じゃあねぇ」
だろ、と同意を求めてくる上司を、じっと見つめる。
「なら是非その価値を損なわぬよう、速やかに被害報告書を書いて、補修金の申請を行ってください」
「……今大事なのは、現場を回すことだろうよ」
苦し紛れの発言は、すぐに切り返された。
「現場は貴方がいなくとも回ります。補修金は団長が申請しなければ入ってきません」
「ソフィアお前がやれ」
「嫌です」
にべもなく拒否され、ドナートはげんなりとした顔で天井を仰ぐ。「全くなんでこんな面倒なモンが存在するんだか」と世の仕組みを嘆く言葉に、「団長の暴走防止のためでしょうね」と部下は素っ気なく返した。もしこのような仕組みがなければ、いっそ魔界人のような思考を持ち合わせているドナートは、周囲の被害を考慮せずに思い切り暴れ回った上に、反省することもなく、「いやーよく壊した!」と笑うのだろう──現に砦に侵入した魔獣を撃退した後、そのようなことを言っていた──。それでは困る。だからだ。
その豪傑さが魅力だということも知っているが、そんなことを言おうものなら、調子に乗ることは分かりきっているので、絶対に言わない。
何か起こってくれないか、その混乱に乗じてこの場を逃げられないか、と考えている様子のドナートを横目で見ながら、ソフィアは微かに口元を緩めた。
魔獣襲撃の日とは打って変わり、不気味な程に砂が鎮まっている外へと視線を移す。
『──俺は、戻ってきた時に、ここに居場所が欲しい、……です』
戻る場所として“ここ”を選ぶ気持ちが、ソフィアにはよくわかる。ならばこそ、戻る場所を失う訳にはいかない。
「……──」
同じ気持ちを、志を持つ者に、密やかな祈りを。
どうか、彼らが無事に戻るように。
「なんだ、えらく殊勝なことしてやがんな」
面白いもんを見たとばかりに、にやにやしている顔を睨む。
「ま、なるようになるさ。なにせルドヴィーコもジェラルドも、俺の部下だ」
それから、不意に悪戯を──質の悪い悪戯を思いついたようだ。
「──おまけに片方は我が国の英雄殿だ」
悪気もなく完全に揶揄する響きに、「思ってもないことを」とため息を吐けば、ガハハハと彼は笑った。
第5章 騎士団 休日編[完]
残り二章です。頑張って走りきります。




