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「細かいところはさておき、大まかな事情はこれで掴めた。さて後は、どうするか、だな」
顎に手をやりながら、ふうむ、と口を結ぶ。
「団長たちに黙って後を追ってもいいけど、それだとあまりに勝算が無い。ラウラもあの狭さだと戦い難いだろ?」
「べ、別に大丈夫だぞ!」
強がってみせたが、実際あそこで戦うのは、思い切り暴れられないので少し嫌だ。目が不自然に泳いだのを見て取ったルドヴィーコは、「わかったわかった、頼りにしてる」とひとまず流す。あんまりにおざなりな返答に、ラウラはしょんぼりとへたり込んだ。
魔界なら良かったのに。そうしたら、こんな体たらく見せずに済んだのに。あちらならもっと活躍できるのに。──言っても詮無きことがつらつら浮かぶ。
そうこうしている間に、太陽が地平線から顔を覗かせる時間帯となった。ラウラの魔力もほぼほぼ回復したところだ。ぶるりと身体を震わせる。
未だに難しい顔をしているルドヴィーコに、「根詰めても、出るもんさえ出なくなる。掃除でもして頭をサッパリさせよう」と提案し──ようとして、
「ラーウラー!」
突然目の前の上空に沸いて出た小さな狼に、「のあ!?」と悲鳴を上げた。
見事に一回転して着地した狼は、キラキラと輝く目をラウラへと向ける。
「ラウラ、ラウラ、ラウラ! 遊びに来た!」
遊ぼ、遊ぼ、とはちきれんばかりに尻尾を横に振るアドルフォの背後に、再び渦が出現。顔を覗かせたのは、セルジュだ。その顔は、まさに憤怒そのものであった。
「あああ、もう、この阿呆狼が! あれ程勝手な行動はするなと言ったでしょう、私は!」
「えー? 勝手な行動なんてしてないだろ? ちゃんと『ラウラんとこ行ってくる』って言ったし、俺!」
「直後に返事も待たずに目の前で消えやがったでしょうが!」
凄んだセルジュに、アドルフォの尻尾がくるんと丸まる。少々怖かったようだ。ただ理解はしていないようで、その顔は「何故彼がこんなに怒っているのかわからない」という疑問に満ちている。
耳をへたらせた狼は「だってさぁ」となおも言い募ろうとしたが、セルジュの尖った目を見るなり、口を噤んだ。防衛本能が働いたらしい。
「さあ、とっとと帰りますよ」
「…………」
「返事は?」
「…………けーち」
瞬間、セルジュの腕がアドルフォの首に絡まり、ぎりぎりと締め付け始めた。ギブ! ギブ! と小さな狼は手足をバタつかせている。
流石にそのまま落ちかねない。ようやく我に返ったラウラが、「ま、待て! 待たんかこら! 下手したら死ぬぞ!」と慌てて止めに入る。
「死にますか。結構なことです」
「あ、阿呆! お前、前に“人間界で死なれたら困る”って言ってただろう!」
「私が殺る分には、むしろ狼の寝首を掻いた男と箔がつきます!」
卑怯でもなんでも、勝てばよろしい。むしろ大いにやれ。──魔界人が魔界人たる所以である。
アドルフォの顔色が青くなってきた。
仕方ない、実力行使で止めるか。人型に変化しようとしたラウラよりも早く、ルドヴィーコが「待て」と声を上げる。
「人間風情が私に指図とは、身の程知らずにも程がある」
嫌そうに顔を顰めたセルジュに対し、慌ててラウラも言葉を重ねる。
「私も、止めろ、と言っているだろうが」
「ご心配には及びません、ラウラ様! 貴方様の手を煩わせることは一切ございませんから!」
「そういう問題じゃない!」
イイ笑顔に向かって炎を噴き出せば、ようやくセルジュは狼を解放した。けほけほ、と咳き込むアドルフォであったが、すぐにケロリとして毛繕いを始めた。相変わらず頑丈だ。
「今回はラウラ様に免じて許して差し上げますが、代わりにあちらでしっかり罰を受けて頂きますよ」
覚悟なさい、という声は、そもそも許す気などちっとも無いように感じる。
待て、とまたルドヴィーコが声を上げる。先程よりも、少し焦った声で。
「帰るのは、少し待ってくれ。その狼は“鼻が効く”んだろう。なら俺は、そいつに用がある。力を貸して欲しい」
「だから! 人間風情が我らに何を──」
「いいぜー!」
きゃん、とアドルフォが吠えた。ぱたぱたと尻尾を振っているのが見える。
「つまり、ここにいて良いってことだよな!」
ラウラと遊べる!──そう理解したらしい。
セルジュは目を見開き、しばし言葉を失ったようであった。何言ってんの、この狼。彼は顔で語っている。
一瞬の隙を突くように、ドアの開く音が聞こえた。クルトだ。ビシリと背筋を伸ばしたルドヴィーコと、それから魔界人と狼を順々に視線を動かすと、一言。
「騒ぐなら、時間と場所を考えろ」
ごもっともであった。
それから、と彼は続ける。
「団長は団長室にいる。話は通せよ」
ぱちりと瞬きするルドヴィーコに「貴重な団員が減るのはこちらとしても困る」と普段と変わらぬ調子で返す。
勝手にいなくなるな。ルドヴィーコがジェラルドに掛けた言葉と同じだ。
「やるなら、団長も上手く使え」
上司からのアドバイスだ。それだけ言って、扉は再び閉まった。
ラウラは、ルドヴィーコと顔を合わせる。つまり……どういうことだ?
首を捻る二人の足元から、「なあー、いつまでそうしてんのー。どっか行って暴れんじゃねぇのー」と狼の退屈そうな声が響いた。隣に控えるセルジュは、もはや諦め顏だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はー。で、なんの策も持たずに俺んとこに乗り込んでくるとはなあ! よくやるもんだ! はっはっは!」
「勝手ですね、しかも無謀です」
大笑いするドナートの横で、ソフィアがため息を吐く。どうやら、隙あらばサボろうとする上司の見張り役に徹しているようだ。いつものことである。
彼女は、“あの時”とは違い、ゴーグルを嵌めている。目が見えないだけで人外じみた印象が薄れた。……あるいは、そういった効果があるがために付けているのか。
団長と副団長の前には、ルドヴィーコと蜥蜴姿のラウラ。そこから一歩分下がった場所に、セルジュと、彼に抱え込まれた──“押さえ込まれた”と表現した方が的確かもしれない──小さな狼。本来“部外者”をこの部屋に通すことはあまり無いのだが、魔界人を野放しにすると危険である。なにせどこで殺し合いを始めるか、分かったものではない。
「いいじゃねぇか。で、何がしたい?」
直球な言葉に、ルドヴィーコは一度、唇を湿らせる。
「……ジェラルドに協力するために、坑道に行こうと思っています」
「勝手に行くだけなら、メンバーは程々じゃねぇか?」
彼は魔界人二名に目をやり、笑う。確かに、時間制限のリスクはあるが、魔界人三人とルドヴィーコ、ジェラルドがいればどうにかなるだろう。それ以上の人数がいても、動き難くなるだけだ。「私は行きませんけど」とぶつぶつ言っているセルジュも、……押し通せば、なんとかなるだろう。
幸運なことにセルジュは、ラウラが絡まなければ比較的理性的な方で、坑道で暴れ回って破壊し、自ら生き埋めになるような馬鹿な真似もしなければ、させもしないだろう。
ならば、残る課題は何か。
「──俺は、戻ってきた時に、ここに居場所が欲しい、……です」
なんの飾り立てもせずに言うなら、それだけだった。
ルドヴィーコだけではなく、ジェラルドにも。おそらく、彼も自分も、ここを離れたいとは思ってはいない。
たとえ今、それらを捨てる覚悟で、動こうとしていたとしても。
叶うなら。
ただ、純粋に望んで良いのなら。
自分だけではどうしようもできない望みは、それだ。




