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──と、綺麗には終わってくれない事情がある。
片付いていない問題は山ほどあるのだ。
第一に、そもそもあの魔獣たちはなんだったのか、ということだ。自然災害の言葉に括ることなど、到底無理だ。結論付けずに終わるなんて以ての外。かといって、原因追及をするには、証拠がほとんど無い。
第二に、ジェラルドのことだ。
あの妖精のことを、どうするつもりなのか。
勤務態度は至っていつも通りだが、やはり顔色が優れない。ラウラの主人はそれを気にしている。
他にも諸々あるとはいえ、今のところ優先順位が高いものは、この二つだ。
そして、その内のひとつは、今、次の展開を迎えようとしていた。
見回りの騎士を除き、皆が寝静まった中──いや、複数の団員のイビキが喧しいので“寝静まる”と称して良いのかは怪しいところだが──、ラウラは薄ら目を開けた。そうして、むくりと上体を起こす。
もうあと一、二刻すれば、朝日が昇る頃か。
「──お前、何も言わずに行く気か」
自分達に背を向けたジェラルドに、声を投げ付ける。いつかとは明確に違う、もうここには戻らないのだという覚悟を、その背中から読み取る。
彼はピタリと足を止めると、振り向くことなく答える。
「あんたが護るべきは、あんたの主人じゃなかったか?」
「それは……そうだけどな」
何も自分が必要以上に首を突っ込むつもりは無い。無いが、しかし、ルドヴィーコはランベルトの件にも首を突っ込んだ。ならばジェラルドの件も、無心ではいられないだろう。どうせ助けるハメになるのなら、面倒は少ない方が良い。ここで彼を一人行かせることは、その“面倒”に含まれる気がした。
その主旨を伝えれば、彼は「俺とランベルトじゃ、ワケが違う」とラウラを突き放す。
「下手を打てば命を失う。上手くいっても職を失うだろうな。俺はそれでもフィーを救う必要があるが、あんた達は違うだろ?」
確かに、違う。何が何でも小さき妖精を救う心意気は、少なくともラウラにはない。ルドヴィーコは……どう言うか、わからないが。
むう、と押し黙ったラウラであったが、ジェラルドが足を動かし始めたことを見て、再度口を開く。
「お前、……あの坑道へ行く気か? 単独で行って勝算がいくらある」
「さあ。ただフィーを助けるために、無関係の連中が命を散らす必要は無い。俺が死ぬなら、そこまでだったというだけの話だ」
──フィリンティリカを救うため。
そう言いながら、彼は自ら、自分の死へと向かっている気さえした。積極的にそうしている訳ではない。ヤケクソになっている訳でもない。ただ、そうなっても一向に構わない、と無感情に考えている気配がする。
それは決して、妖精への愛情深さではなかった。自分の命をあまりに軽く取り扱っている、その結果だ。
無理にでも、引き止めるべきか。
今、彼と共に行動することはできない。ルドヴィーコを起こせば、彼も一緒についていくことになるだろう。だがそれは悪手だ、と予測する。かといって、代替案は浮かばない。
「…………」
完全に黙したラウラに、ジェラルドは初めて無感情を崩した声を発した。
「主人に似て、あんたも大概お人好しだな」
少しの笑みを含んだ声。
「どうなるにせよ、フィーがあの二人を救ったことを、俺は誇りに思う」
あの二人。ルドヴィーコと、アレッタだ。ランベルトの大切な人。フィリンティリカが命を削って、救った者だ。
彼はその言葉を、いったいどのような心中で、口にしたのか。
多少の柔らかさが感じられた声は、すぐに冷たく硬いものに戻る。
「──フィーのことは、あんた達が背負う責じゃない」
だから気にすることはない、と突き放す言葉は、彼の優しさでもあった。
──おそらく。
ここでラウラがどれだけ言い募っても、騒いで周りを起こして無理に止めさせたとしても、彼は止まらない。そう、悟る。
足音が遠ざかる。
ラウラは力なく舌を出し入れした。ああ、なんと面倒な人間。次いで、無性に何かを壊したい衝動に駆られる。補償行動として、バンバンと前足でバスケットの底を叩く。無力な蜥蜴の力だ、さして大きな衝撃にもならない。
何度も何度も繰り返す。
「蜥蜴っ子」
びくりと身体を震わせた後、振り上げた前足をゆっくりと下ろす。
「……結局あいつ、黙って行ったか」
悲しげに眉尻を下げる。周囲を巻き込めないというジェラルドの考えもわかる為だろうか、ルドヴィーコは複雑そうだ。
「今は追い掛けられないぞ」
「わかってる」
そう言いながらも、唇を噛み締めている。まるで自分を落ち着かせるように、息を吸い、ゆっくり吐く。
「ラウラ、ジェラルドのことを教えてくれ」
刹那、蜥蜴はジェラルドとの約束を思い出したが、「聞かれたら話そうって前に決めたからな」と割合罪悪感を抱くこともなく、それを反故にした。大体、今更黙っていることでもない。わかった、の意を込めてちろりと舌を出す。
「ここだと迷惑が掛かるか」
他の団員は、まだ寝ている。しかしこの煩さの中で眠れているのであれば、少しくらい会話したって、誰も気付きそうもないが。そんなことを考えるラウラを掴んで、ルドヴィーコは立ち上がった。場所を移動するらしい。
とはいえ、遠くに行く気はない。
扉を出てすぐのところで、壁に背を預ける。
さあ話せ、と言わんばかりの目を向けられたラウラは、尻尾をゆるりと振った。
「まず、アレッタの傷を治したのは、ジェラルドの──あれは、なんだろうな。ペット? 使い魔? 相棒?」
いい言葉が出てこなくて、首を横に傾ける。そもそもあの二人が何故共にいるのかは、ラウラには与り知らぬことだ、無理もなかった。
そのいずれかとして、と疑問を打ち切る。
「ともあれ、アレは妖精だ。しかも癒しの妖精というちょっと特殊なやつだな。妖精は、魔界人と同じく、“魔力”を糧にして存在する。魔界人と違うのは、基本的に攻撃性のある“技”を持てないことと、糧とする魔力が厳密であること、だろうな」
妖精は、自分の身に合った魔力が供給されなければ、生命を維持することができない。
「通常の“契約関係”であれば、魔力の相性が良い相手を契約主に選ぶことが普通だが……」蜥蜴は首を捻る。「そもそもジェラルドは魔力持ちではないからな」
しかし魔力を持たないジェラルドは、フィリンティリカの姿を視認し、その上で“命令”を与えていた。ならば、あの二人が契約関係であることに違いはないのだろう。あまりに“不釣合い”な契約関係だが。
「つまり、その妖精は、生命維持のための魔力補給ができない状態だったってことか?」
「そうだ。その上で妖精の力を使ったから──放置すれば、程なく死ぬ」
妖精の概念からしたら、“死ぬ”よりも“消える”と表現するべきなのかもしれなかったが、ラウラにはそちらの単語の方が、より適切であるように感じた。
むっつり押し黙ったルドヴィーコは、やがて言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。
「……ジェラルドが向かった先は?」
「坑道だろうな。あそこは、ここらだと一番魔力が溜まっている。それでいて人の手が入らず長らく放置されているだろう? 魔石ができている可能性が高い」
どこにあるのか、そもそもあるのかさえ曖昧な、魔石。それが運良くフィリンティリカの体質に合えば、回復するはずだ。妖精は魔界人と違って“少食”なので、正常に生きる分には困らない程度の魔力を得られる。
しかしながら、どこまでも勝算の薄い話だ。
「このタイミングで、坑道か」
思わず、と言わんばかりに唸る。気持ちはわからないでもなかった。普段から、魔獣が溢れ返っている危険なゾーンだ。まして今は、何が起こるのかわからない。
元々ジェラルドには各所を渡り歩いてきた実績があるとはいえ、今回ばかりは勝手が違う。
「参ったな」
蜥蜴の主人は、苦笑いする。
「助けないわけにはいかない。でも良い案が全く浮かばない」
助ける。それ以外の道は考えられない、とハッキリ言ってのけた主人に、首を傾げる。その仕草に気付いたのか、ルドヴィーコは口元に笑みを浮かべ、けれど双眸には真剣な光を灯して、静かに呟く。
「アレッタや──俺の怪我を治したことで、ジェラルドの友人が、俺にとっての命の恩人が、死にそうになっている、ということだからな」
断定的な発言に、目を見開く。ジェラルドとの会話を聞かれていたか、それとも元から勘付いていたのか。
「ラウラが人型になった時、ジェラルドは全く驚いた様子を見せなかったからな。あいつがいつも無表情っていっても、流石に顔色ひとつ変えないのは、なかなかない。だからひょっとしたら、俺が話す前から知っているんじゃないかって思ったんだ」
ルドヴィーコは腹部を摩った。斬られたあたりだ。微かに記憶に残るところがあるのかもしれない。
「……できれば直接聞きたかった」
紛うことなき本音だったのだろう。ラウラは聞かなかったフリをした。




