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砦の被害状況は、割合大きかった。備品の破損と同程度に、建物への被害も多い。攻め込まれることも考慮に入れた造りにはなっているので想定の範囲内で修復は可能、とはいえ、その道のプロを呼ばねば完全復旧は難しいだろう。ひとまずの応急処置をして、業者が入るまでは凌ぐこととなった。総出で対処すれば明日中にでもどうにかなるだろう。いや、なるだろう、ではなく、する、のだ。
死傷者も出ている。追悼式は遅れて行われることになる。心情的にはすぐにでも弔ってやりたいが、現状では難しい。生きている者を優先せざるを得ない。
怪我人の中には、アレッタの名も挙がっていた。これまでこのような経験など、当然ながら一切無かったであろう彼女は、そのためなのか他の理由があるのか、夜中を回っても目を覚まさない。怪我人のために用意された簡易ベッドの傍には、今、ランベルトが控えていた。彼とて、自分の業務がある。特に今は光魔法による治癒能力がある者として、引っ張りだこだ。せめて近くにいられる時間は、隣についていたい。
ミラが「こんな時だとしてもね、女の子だから気を遣ってあげな。……どうせ魔獣が侵入したら、薄い壁ひとつ分くらい、あっても無くても同じだろうよ」と発言したことで、少女のベッドは、衝立で見えないようになっている。それが今はありがたい。
先日に比べれば、余程血色の良くなった頬に触れ、ランベルトは静かに息を吐く。
──失うかと、思った。
あと一日、もう一日。そうやって向き合うことを避けたことがいけなかったのか。──ここが“そういう場所”だと自ら口にしておきながら。結局、分かってはいなかった。
もし彼女の命が絶たれていれば、……ああ、そんなこと、考えたくもない。
今だって、責める気持ちもある。何故こんなところに来たのだ、と。自分など放っておけば良かったのだ。あの時、ランベルトの身を引き裂かれていようとも、それはきっと天命に違いないのだから。
でも彼女は、それを許してはくれない。
目を瞑り、天を仰ぐ。
天はやはり、自分に味方などしないようだ。
自分は逃げ出したのに、彼女はここにやって来て、兄のために身を投げ出して、けれど死を跳ね除けて、目の前で眠っている。
そうなればもう、自分が逃げることなど、できないように思えた。は、と息を吐き出す。
ん、とベッドの上の彼女が身動ぎする。
「……お、にい、さま?」
幼い頃を彷彿させるような舌足らずな声で、ランベルトを呼ぶ。それだけで、泣きたくなる。
小さな頃にそうしたように、彼女の額に手を当て、微笑んだ。
「目が覚めたのか、アレッタ。よく眠れた? 調子はどう?」
しばらく視線を彷徨わせた後、彼女は至って素直に、「身体が痛いの」ぽつりと呟いた。
「でもお兄様が痛くなくて良かった」
ランベルトは息を呑み、再び目を伏せる。
──ああ、だが天におわす神よ。僕の祈りより彼女の祈りを受け取ってくださったことに、感謝を。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
昼間の騒動など嘘のように、夜はひっそりと静まり返っている。しかし忘れてはならない。あの襲撃は、間違いなく今日のうちの出来事だ。念の為、食堂横の大部屋を開放し、一階に自室がある面々は、そちらでごろ寝をすることとなった。何名かのグループで見張り役を立て、交代で休眠を取る。
ルドヴィーコも、大部屋で休むことになった。
「せめてラウラが寝るための籠があればいいんだけど」
踏み潰すことを懸念したルドヴィーコの言葉に反応したミケが、それならば、と小さめのバスケットを用意してくれた。いつも寝ている物より随分と大きいが、ここではこの位のサイズであった方が、潰される前に気付いてもらえるので良いかもしれない。
「魔力があれば、人型になっているんだがな」
いつ何時、何が起こるかわからない状態で、蜥蜴だったからすぐに動けませんでしたー、では笑えない。感知できない敵であるから、なおのこと、だ。
今からでも遅くないか? 気合いで姿を保つか? うーんうーんと唸るラウラに、「頼むから蜥蜴のままでいてくれ」とルドヴィーコが至って真面目な顔で懇願した。
む? と首を傾げる蜥蜴に、主人はそれ以上何も語らずに、とにかく人型で寝てはいけないと主張する。
なんだというのか。わけがわからない。
理由を教えて貰えないことに一層頬を膨らませながらも、ルドヴィーコがそこまで言うならば仕方あるまい、と無理やり納得させる。
バスケットの中で、居心地の良い場所を探して動き回る。やがて一番良いポイントを見つけ出すと、蜥蜴は目を瞑った。
──なんにせよ、今日は疲れた。
次に蜥蜴が目を覚ました頃、まだ大部屋の人間は起きてはいなかった。そこらかしこから、団員のイビキが響き渡っている。
クルルと鳴きながら、上体を起こす。魔力は休眠によってだいぶ回復していたが、だからといって無駄に人型になって散らすものではない。
バスケットをよじ登る。
「考え事か?」
ジェラルドは、指先で摘んだ魔石を遊ぶように弄りながら、感情の読み取り難い三白眼を無造作にラウラへ向けた。問い掛けに関しては、「別に、特には」と素っ気無い。
「そっちの、フィー、──フィリンティリカ、だったか? 回復させるアテはあるのか」
訊ねたのは、ほんの気紛れだ。到底ひ弱な人間一人ではどうにもできそうもない問題を、いったいどうしようというのか、少しだけ気になった。
魔界人の命の綱が“魔力”であるように、妖精が生命を保つために必要なものもまた、“魔力”である。ただし、単に量があればそれでいかようにでもなる魔界人と違い、妖精は“繊細”だ。魔力は魔力でも、合う合わないがある。身体に合わない魔力をいくら貯めようが、意味が無い。
魔力が切れた時、訪れるのは死だ。
今にも気配が消え去りそうなジェラルドの使い魔であるフィリンティリカは、その状態の通り、瀕死だということがすぐわかる。
「……あんたのお陰で、どうにか生き延びてはいる」
質問には答えず、ジェラルドは魔石を傾けた。キラリと光るソレの中には、フィリンティリカが眠っている。
どうやら、生命を維持するレベルには達しないものの、雀の涙程度には、役に立っているらしい。
「このまま黙って死なせるつもりもない」
彼はどうやら周りを頼る気もないらしい。
話を打ち切るように立ち上がると、大部屋を出て行く。“何がどこから現れるか分からない以上、あまり彷徨くと危険だぞ”、とわざわざ告げる程、ラウラはお人好しではない。
扉に隠れて消えた背中を見送るも、ラウラは再び、バスケットの中に潜り込む。心なしか寝苦しい。
跳ね除けられた手を、わざわざ貸す義理は無いはずだ。だがこのままでは、優しき主人は心を痛める気がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
次の日、アレッタが目覚めたというので、ルドヴィーコとラウラは、彼女を見舞った。
こちらの姿を認めるなり、上体を起こそうとする彼女を止める。流石にまだ身体が辛いのだろう、「ではお言葉に甘えまして」と彼女は素直に横になった。
「具合は?」
「お陰様でどうにか」
声に覇気は無かったが、それは単に痛みによって体力が低下している所為だろう。双眸には、強い意思が見受けられる。ルドヴィーコは微かに息を吐いた。
「……怪我をしたこと自体は、良いことではありませんが」
ぽつりと彼女が零したのは、紛れもない本音だったのだろう。
「兄とも、話すことができました」
ふっと表情を柔らかくする。
「混乱も収まらない状態ですし、場所も場所ですから核心に迫るような話し合いはできていませんが、兄が時間を作ってくれて。──休憩の合間合間に、昔のことをよく話します」
なんでもないようなことだ。あの日捕まえた鳥は可愛かった、だとか、その程度の。まったく飾ることのない日常の話だ。
もう二度とできないのではないか、とさえ思っていた、その日々の話だ。
「だから、ちゃんと話をすることもできると思うんです」
今すぐには難しくても、いつかは……きっと近い内に。アレッタはそう続けた。
「死ぬかもしれないと思った時、私、思ったんです。もっとぶつかれば良かった、って。それが急いた行為であったとしても。──だって自分や相手に残された時間がどれくらいかなんて、誰にも分からないんですから」
ありがとう、も。ごめんなさい、も。私はこう思ってるんだよ、という想いも。
わかり合うどころか、知られることさえなく散っていくなんて。それはやっぱり──ひどく自分勝手でもあることを自覚してなお──嫌だ。そんなのは嫌だ。
兄が、自分の所為で妹が死んだのだと責めることも嫌だし、自分は所詮独りでいるべきなのだと諦めることも嫌だ。それが自分の死によって引き起こされるなんて、許せない。そのくせ兄が命を落とすことも嫌で、咄嗟に身を乗り出してしまった。我儘ばかりだ。でもその我儘を通したかった。
「だって、ジーノさん。私は──私は、やっぱり兄のことが大事なんです、とても。大切な人に、私のことだけじゃなくて、自分のことも大事にして欲しいんです」
穏やかに燃える瞳に、既視感を覚える。
コレットだ、とふと気付く。彼女の目に似ている。あの──覚悟を持って、ルドヴィーコの前に立った時の、あの目。
ルドヴィーコの記憶にも掠めるものがあったのか、あるいは別の理由からか。アレッタを前にし、彼は軽く目を見張る。それから表情を緩め、「そうか。是非それをランベルトに伝えてやってくれ」とエールを送った。
「俺も、友人には、自分を大事にして欲しいと思うから」
俺が言うよりきみが言う方が余程良いだろう。そう言って笑う。
──この二人は、ランベルトとアレッタは、大丈夫だ。
唐突に思う。根拠も何もあったものではない。ただ、辛い思いをしても、乗り越えていけるのだろう、と思った。今から、乗り越えていくのだ。たとえ時間が掛かってでも。
同じ出来事でも、そのひとが知る事柄、抱える事情が異なると、表情が違うなあ、と。




