61
不自然な静寂。それを真っ先に破ったジェラルドが、ランベルトのいる場所まで走る。その場で膝をつくと、魔石を拾う。
「ジェラルド」
ランベルトが声を上げたのは、先程妹の怪我を癒したのは、決して自分ではないと自覚しているからだ。詳細は知らない。けれど、そこに同期が関わっていることに気付いたのだろう。
「なにが、」
「──大丈夫だ」
言葉を遮り、固く重い、強い声で、ジェラルドが断言する。そうせずにはいられない、と言わんばかりの表情で。
「まだ、大丈夫だ。それより、そっちの怪我はどうだ」
「あ、あぁ……」
慌てて傷の具合を確かめる。しっかりと塞がっている。出血量からして安静にしている必要はあるだろうが、
──生きている。
見てわかる程、ランベルトの肩から力が抜けた。よかった、と震える声が続く。思わず口から漏れてしまった、本物の想い。
それを横目にしながら、ジェラルドは手の中の魔石をきつく握り締めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「外は静かですね」
ソフィアが視線を、破壊されたドアの向こうへと動かす。追加で魔獣が来る気配も無い。クルトもまた、そちらへと視線を向ける。終わったことに意識を置いておける程の余裕は、まだ無いのだ。
「団長が、魔獣を取り零すとは思えません」
「ああ、そうね」
彼女の口元が、微かに緩んだ。普段どれだけくだらないやり取りをしていても、その奥にあるのは背中合わせになれるだけの信頼感だ。
案の定、どこからか雄叫びが聞こえてくる。
「ええい、もっと骨のあるやつはおらんのかあああああ!」
ああ、大丈夫そうだな。
全員の見解が一致した瞬間であった。
まだまだ余裕を持って暴れ回れそうだ。
それからしばらくして、血塗れになった団長が食堂へ現れた。
彼は打ち壊された扉を潜りながら、「やけに通り易くなったな」とがははと笑う。「ご冗談を。修理、大変なんですよ。申請書も要りますし、報告書も書かなければ」とソフィアが続けると、ひどく苦いものを口にした時のように顔を歪め、唸った。
誤魔化すように、ソフィアの顔を見やる。
「そういや、久々に見たな、その目。綺麗なんだからごついのなんざ外しときゃ良いのに」
もったいねーなあ、という軽口に、彼女は、す、と目を細め、「ご冗談を」と繰り返す。
「そんな奇特なことを言うのは、恐怖心の箍が壊れている団長くらいですよ」
一層素っ気なくなった副団長に、そうかい、と頭を掻くと、ドナートは食堂にいる団員全員に視線を巡らせた。
「侵入した魔獣はあらかた散らした。扉は突貫で塞いでおいた。──ただまあ、外の輩は、一匹残らずいなくなっているがな」
「倒したんですか?」
驚きに目を見開くクルトを一瞥することさえせずに、忌々しそうに顔を歪める。
「蹴散らしてやろうと思って外に出たんだがなぁ、いなかったんだよ。綺麗サッパリな」
狐につままれたような気分だ。この砂の真っ只中に立つ砦から見えない場所で、そんな短時間で姿を隠すなど、おおよそ不可能だ。そもそもそれを言うなら、現れた時もそうだ。どうしてあれ程大量の魔獣が、急に出現することができたのか。
──まるで、統率がとれた軍隊だ。
気味が悪ィ、と流石の団長もこの反応である。
ともあれ、ここで停滞している訳にもいかない。
ソフィアが手持ちの通信機器をドナートへ投げて寄越せば、彼は面倒そうな顔をして、電源を入れる。
「全団員、よーく聞け。魔獣は消えた。怪我人は、食堂に集めろ。動ける者は砦内の被害状況の確認。各班、班長の指示に従って行動するように。くれぐれも気を抜くなよ」
そこまで言うと、ブツリと電源を切る。
「俺は陛下へ報告を上げる。ソフィア、クルト、来い。五班は一班と共に行動。何人かはここの警護に残しておけよ」
ふらつきながら、ルドヴィーコが立ち上がる。我に返ったラウラは彼の元へ戻る。
「ルドヴィーコ、お前は休んでいるか?」
同じ班の先輩騎士が声を掛ける。
「いえ、行けます」
存外声がしっかりしていたからだろう、その主張は受け入れられた。彼は剣を腰に差すと、その足でジェラルドの前に立つ。
「──黙っていなくなるなよ、頼むから」
ちらり、と。
声を掛けられた彼は、ルドヴィーコを見る。しかしそれだけだ。返事は無い。肯定も否定も。
「ルドヴィーコ、行くぞ。回復したならキリキリ動け」
「はい」
返事をして踵を返したルドヴィーコの後を追う。背後で、ジェラルドが立ち上がる気配がした。自分も行きます、と声を上げる。
「いや、お前はここに残れ。二班とも逸れてるだろう」
「……は、しかし」
一班の班長に諭され、微かに眉を顰める。
「──動いていた方が、気が紛れる」
それはあまりに小さな声で。
ラウラでさえ首を捻るくらいの小さな声で。
「何か言ったか?」
「……いえ、何も」
無愛想に首を振った彼は、ぐったりしたままのアレッタを見下ろし、「医務室と倉庫に行って、毛布などを取ってきます」と口にした。
「だからお前はここに待機していろと、──おい、ジェラルド!」
指示を無視して個人行動をし始めた彼を呼び止めるが、それで止まるくらいなら最初から留まっていたはずだ。
ああくそ、と悪態を吐く。
「ルドヴィーコ、行って来い」
「……新人ペアになりますけど」
「生きて帰ればそれで良い。帰れるだろ」
一瞬ラウラの方を見たのは、どういう意図があったのだろうか。いや、分かりきっているが。別に悪い気はしない。むしろ当然だ。……ただ今は少しばかり、魔力が枯渇しているのだが。
使い魔の状態を知っているはずのルドヴィーコであったが、しかし彼はそこには一切触れず、「わかりました」とだけ返した。
小走りになってジェラルドの後を追いながら、ルドヴィーコは手を伸ばす。これは、乗れ、ということだろう。素直に蜥蜴に戻って腕を這う。やはり彼には蜥蜴が限界ギリギリであることは分かっていたようだ。ならば何故、そのことを進言しなかったのか。──ああ、訊くまでもないことか。
同期の横に並んだところで、ルドヴィーコはようやく歩速を緩めた。
「……なんで来るんだ」
「一人で動くのは禁止されてるだろ」
ジェラルドは、しばしその発言の真意を探るような瞳を向けた後に、諦めたように息を吐いた。
その手のひらには、未だに魔石が握られている。蜥蜴は目を細める。そこから感じ取れるのは、自身が込めた魔力と、……希薄な妖精の気配。まだ消えてはいない。けれど時折揺らめき、無に限りなく近い状態になる。
“観察”しているラウラに気付いたのだろう、不意にジェラルドと視線が絡む。
言うな、と。
その目は語っている。
ふうむ、とラウラは心の中で唸った。
義理を立てる為──あとは、わざわざ時間を取って話すことでもなかったので──、主人にも黙っていたが、はて。ここまで来てなおラウラが事実を黙っていることによる利は、はたしてあるのだろうか。
なにぶん、恩義を大事にするのと同じくらい、魔界人は勝手気ままで移ろい易く、おまけに他人をしょうもない理由で裏切ることも頻繁にあったりするので。
しばし真剣に考えた蜥蜴であったが、魔力不足で頭が回らないことを言い訳にして、結局『後で考えて決める』ゾーンに放り込んだ。最悪、ルドヴィーコが知りたがっていたら話せばいい。
蜥蜴さん、省エネ中。




