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圧勝かと思われた直後、身体を不自然に反らせた魔獣の口に、不穏な黒い光が集まり始める。何かをぶっ放す気か。ソフィアは舌打ちをし一歩分後ろに下がると、勢い良く脚を振るう。打ち出された光の矢が魔獣の身体に突き刺さった。バランスを崩したものの、黒は一瞬揺らいだだけで、止まらない。
魔獣の背後で、刃が煌めく。ソフィアとは別方向から間合いを詰めたのは、どうやら魔獣を追って来たらしいジェラルドだった。彼はダンと魔獣の身体を踏み付けると、そのまま上方へ跳ぶ。頭上まで上がりきったところで、剣を引き抜いた。
重力に従い落ちるスピードを利用し、一閃。
斬りつけられた魔獣はギャアと悲鳴を上げ、溜めた黒の塊を無造作に放った。向かう先は、食堂の一角だ。ラウラたちのいる方向とは真逆──数名の団員がいるその場所だ。寸前でランベルトが割り込み、光魔法の防御魔法を発動する。
黒い光と衝突する。少し威力を落とした黒はそのままランベルトの腕を擦り、壁に激突した。
その行方を目で追ったソフィアは、のたうち回る魔獣にとどめを刺そうと、地面を蹴った。しかし斬られたことが変に刺激となったのか、魔獣の動きは更に変則的になり、対峙する団員を手間取らせる。
「クソ野郎! こんなとこで暴れんじゃねぇよ!」
誰かの悪態が聞こえる。身動きの取れない仲間がいる場所で暴れられては、確かに堪ったものではなかった。
ルドヴィーコは、青い顔のまま立ち上がろうとしているが、やはりここまで来るのが精一杯だったのだろう、足に力が入らない様子だ。舌打ちが聞こえる。かくいうラウラも、割と辛い。動けないこともないが、この状態の主人をほっぽり出していくのは、不安だ。
さてどうしたものか。優先順位の通りにいくならば、ここにいれば良いだけの話だが。
少しの迷いを見せている間にも、魔獣と騎士団員たちの交戦は続いている。
流石のソフィアも、ずっと動き通しだ。徐々に体力が奪われ動きが鈍くなりつつある。あの人型、図体がでかい分だけ、一撃を凌ぐために消費するエネルギーが多いのだ。まかり間違ってあんなのまでアンデッド化されたら、それこそ地獄だな、と考えながら、戦況を窺う。
団員が隙を見て、魔獣の肘から下を斬り落とす。バランスを崩した魔獣は、しかし驚くべき身体能力で前のめりに倒れることを防ぐと、そのまま腕を振り回し始めた。腕が壁に当たる度に、部屋が揺れる。
あと少し、あとほんの少し──決定的な一打が足りない。怪我人が増えていく。
蜥蜴の身であるはずなのに、全身にじっとり汗を掻いている錯覚を起こす。
「行きたいか?」
不意を突くように、ルドヴィーコが口を開いた。「まさか」ラウラは笑う。しかし、ラウラの主人はそれでは許さなかった。
「さっきから尻尾が、俺の背中を叩いてるんだけどな」
「む……」
言われてみれば、苛立ちに任せて、いつものように尻尾を振り回していたような気がしないでもない。
ルドヴィーコは──そんな余裕があるとも思えないのに──ふっと笑う。
「行ってくればいい」
「だがな……」
「俺が心配か?」彼は、眉尻を下げた。「お前の足枷になっているなら、強くなろうとした意味が無いんだけどな」
それから、自分の状態を確認するように視線を落とした。
「確かに、情けない状態だなあ」
だけど、と彼は肩の上の蜥蜴をそっと手に乗せる。腕を伸ばして、彼女を前へと持って行く。
「流石に、自分の身を自分で護るくらいの余力はある」
だから好きにすればいい、という言葉に、蜥蜴はしばし悩んだ。ちら、と魔獣を見る。本能は疼かない。根底にあるのは、もっと別のものだ。
「──死んだら承知しないぞ、ジーノ」
「当たり前だ」
手のひらから飛び降り、人型に戻りなから、ラウラは肩越しに主人を見やる。
「行ってくる」
「ああ」
短い返事と同時に、ラウラは駆けた。
身体は、先程よりも軽い気がした。少し休んだお陰だろうか。それとも不思議な力でも湧いてきたのか。
とんでもない速さで距離を詰めてくるラウラにあちらも警戒心を抱いたようだ。こちらに腕を伸ばしてくる。だがしかし、──遅い。ソフィアたちが相手をした分だけ、敵も疲弊しているのだ。
寸前に迫ったところで、ラウラは体勢を低くし、腕を避ける。しゃがんだところから跳躍。魔獣の眼前に躍り出る。
拳を、一度後ろに。勢いを乗せて、突き出す。
ドゴッ、と鈍い音が響いた。
魔獣の身体が後方へ揺らめく。轟音を立てて地面に落ちた身体。絶命、あるいは気絶か。どちらにせよアンデッド化の危険性がある以上、早急に消し炭にしたいところだ。
光の矢がラウラの下を通り抜けた。無数に放たれたそれは、巨体を囲むように地面に突き刺さる。ラウラが着地した時には、既に“破壊”は完了していた。
「よし、どうにか──」
「駄目ッ!」
団員の安堵に満ちた声を切り裂くように、少女の悲鳴が響いた。駄目、……何が?
ラウラたちが声の方向を見、答えを把握する前に、少女の肩から赤色が噴き出た。
少女の身体が、奇妙に傾ぐ。突き飛ばされる形で下敷きとなったランベルトと共に地面に打ち付けられた。
ランベルトの見開かれた目がラウラの視界に映り込む。直後、突如黒い塊が目の前に出現し全てを覆った。
反射的に下にはたき落とすと、ソレは床を抉り、深く埋まる。それだけのスピードが出ていた。その黒が先程、魔獣が放った物だと認識すると同時に、ラウラは力強く踏み付け、木っ端微塵に破壊した。
舌打ちする。初めから破壊しておけばよかった、と。避けただけでは駄目だった。ランベルトが弾いた先で、方向転換をして再度襲い掛かったらしい。そういう仕組みだったのか。
「あ、アレッタ……?」
呆然とした声が響く。あまりにも間の抜けた声だ。誰かが「治癒を!」と叫ぶ。弾かれたようにランベルトが動き始めた。
光が彼女を包む。しかしそれを嘲笑うかのように血が止まらない。今朝見た時は血色の良かった顔が、今は見るからに青くなっている。
別の場所にいた担当医も駆けつけるが、いかんせん出血量が多い。
「頼むから止まってくれ……っ!」
今にも泣き出しそうな色を含んだ声が、悲痛に響く。本来、受け身の取り方も知らないような少女だ。咄嗟にランベルトを庇うことで精一杯だったに違いなかった。傷が、深い。
担当医が首を振る。これ以上、一人の人間に魔力を注ぎ続けることはできない。そういう判断であった。怪我人は、彼女だけではない。助けなくてはならないのは、他にもたくさんいるのだ。
「お願いです、もう少しだけ、」
「──おに、いさま」
もう、いいですよ。
彼女は口を震わせる。それが笑顔を作ろうとしているのだと、気付けたのはどうしてか。
死にたくはないのだ、と語った口で。
覚悟はあるか、と問うた。ここは危険な場所なのだ、と言った。
しかしそれが実際に彼女の身に振り掛かって欲しいなどとは、実感し証明して欲しいなどとは、一度だって思ったことはないのに。
少女の命が消えていく──その時だ。
小さな光が、ランベルトとアレッタの間に乱入した。小さな体躯の妖精は、自分の主人へ目をやると、柔らかい表情のまま一度ぺこりとお辞儀をし、傷付いた人間に手を翳す。
「フィー! 待て!」
ジェラルドが、普段の彼からは想像もできない程に声を荒らげた。
妖精が癒しの力を使う。
その身体が、大きくブレた。まるで掻き消えそうになっているかのように。
まずいな。ラウラは呻く。おそらくは、まずいということに気付いているのは、ほんの一握りのみだ。少なくとも、ラウラと──ジェラルド。その両名が実力行使で止めに掛かるよりも早く、フィリンティリカは傷を塞いだ。
そうして、ひどく満足げに笑う。
「傷が……」
喜びと驚きを混ぜたようなランベルトの横で、カランと音を立て、いつぞやラウラがフィリンティリカに渡した魔石が落ちた。肝心の妖精の姿は無い。どこにも、なかった。
あぶない。素で今日が木曜だと忘れてました。
新年初ボケを防げた。よかった。




