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「ぐわっはっは、よく生きて帰った!」
野太い笑い声が、彼らを出迎えた。
「大広間に残っている魔物をさっさと退治して、上にあがってこい! それとも俺が助けてやろうか、ん?」
「結構です。隊長のお手を煩わせる程のことではありませんから」
即座に拒否したのは、ソフィアだ。可能な限りに顔を歪めている。ゴーグルが無い分、表情の変化がはっきりとわかった。そこには、この男に暴れる口実を与えてなるものか、という意思が見て取れる。
門の内側──大広間にいるのは、ルドヴィーコたちだけではない。門の周辺に控えていたフォロー役の騎士団員が数名、残党となった魔獣が数頭。数はこちらが優勢だが、アンデッド化した彼らを退治できる人間は限られている──一応、物理的に消滅させるという処置を含めれば、“資格不要・誰にでもできる”ことにはなるのだが、そんなトンデモナイ所業ができる人間はやはり限られている──。
一階に待機していた団員が、クルトへ報告する。
「クルト班長。二階へは魔獣の侵入を許してはいません。一階の居住区にいた人間は、全員二階以上に避難しています」
「了解。援護、感謝する」
短く返事をすると、クルトは剣を構え直す。
ある程度任せても大丈夫か。ラウラは、ソフィアの余裕ある表情も確認し、そう判断する。
「ジーノ!」
蜥蜴の一番は、この国でも、この騎士団でも、他の団員ではなく、あくまで主人であるルドヴィーコ一人だ。護衛の立場から退き、ラウラはルドヴィーコへと駆け寄る。
顔色の悪い彼は、青い唇を噛み締め、しかし気力で立ち、剣を掲げている。ラウラ、と彼は呟く。
「おい、顔色が」
「ラウラ、引き続き援護を。……二階まで持つか?」
瞳には鋭い光がこもっていた。
何が彼を、そこまで突き動かすのか。
自分が助かる。そのためだけでは、無いと思った。
それは騎士としての誇りか。それともルドヴィーコの意地か。
どちらでも構わない。彼がそれを望むなら。
「──当然だろう」
なんのために、私がここにいると思っているんだ。告げて、笑う。
立っていることがやっとの状態なら、立っているだけで構わない。その間に、全て片付けてしまえばいい。
既に魔獣の何頭かは、倒されている。あとは残り少ない。
ラウラは左右へステップを踏みながら、アンデッド化した魔獣へと迫る。こちらの残量もあと僅か。だが──
(持たせるしかないだろ!)
手に、魔力の塊を。光さえ放つソレを、盛大に打ちかます。
消滅。跡形も無く消え去った魔獣へはそれ以上の注意を払わず、次のターゲットへ移る。あまり長引かせる訳にはいかない。
額に沸いた汗をそのまま放置し、ラウラは跳ねる。二頭目を貫く。着地した直後、背後で強い発光。ソフィアも順調に敵を撃破しているようだ。
他の団員も、何人かで合わせて敵を身動きできないように封じ込めている。
人間にしては、やるもんだ。
ふ、と笑みを零し、顔を引き締める。
あと少しだ。
最後の一頭を倒す。警戒は解かないままに、順々に階段を上る。ルドヴィーコもその中に含まれている。無事に二階まで辿り着いたことを確認すると、ラウラはひとまず安心する。
最後尾を務めたソフィアと共に、二階に到達する。くらり、と眩暈がする。流石に魔力を消費し過ぎた。
手すりを掴みながら、は、と息を吐く。
「食堂が簡易休憩所になってる。ひとまずそっちへ」
「了解」
よし、と気合いを入れ、ラウラは手すりから手を離す。
食堂では、テーブルやら椅子やらに、怪我人が座り込んでいた。その合間を縫うように、ミラやアレッタ、それからランベルトが忙しなく動き回っている。騎士団の担当医は、奥で重傷患者の傷を診ているようだ。
こっちへ、と扉付近にいた団員──あれは、別班の班長だったか──が、空いたスペースへと誘う。
「なにぶん急な襲撃で、数が数だ。怪我人も出てなぁ……」
ちなみに、と彼は続けた。
「敵勢の攻撃を背後からモロに受けたはずの団長は、そのままいつもの調子で暴れ始めたけどな。喜べ、我らが団長の化け物説が濃厚になったぞ」
「それは何よりだ」
クルトは表情を崩すことなく、首肯した。ドナートのことでいちいち驚いていては、心臓が持たない。
その傍ら、ルドヴィーコは崩れ落ちるように座り込んだ。顔には薄ら、汗が浮いている。ラウラは彼の傍に寄る。しかしどうにも彼女自身も身体が重い。
こうなれば無理に人型を保つよりも、一度蜥蜴に変化した方が得策か。最悪なことに、蜥蜴になったところで感知能力は頼りにならないが。
ぽすんと空気が抜けたような音と共に蜥蜴の姿を取ると、彼の肩にへたり込んだ。近付くと一層彼の辛そうな息遣いが耳に入る。
「無茶をする」
「お互い様だろ」
自身の肩の上を一瞥したルドヴィーコは、は、と笑った。──今回に限っては、否定できない。むう、と口を尖らせる。
鞘に収めた剣を、杖のように地面に立て、なんとか体勢を保っている。心配になって首を舌でちろちろと撫でた。あまり無理をしてくれるな。
(それにしても……)
思うのは、無理をする原因となった、“あれら”のことだ。これまでにも定期調査には数回程度行われているが、こんな事態になったことは無い。覚えがあるのは、初回の奇っ怪な魔物と、──それから、薬運搬の際に出現したアンデッド化した魔物か。どちらも、この付近では一般的ではない。つまり、“異常”だ。
逆にそれ以外の場面では、異常事態は起こっていない。先の二つにしたって、このような大規模に急に発展するようなものでもないように思えたが。ひょっとしたら、水面下で何かが進んでいたのか。
ラウラは眉を寄せる。今回を合わせ、三つ。その全てが魔獣絡みで、自分が居合わせている。それを無関係と見るべきか、否か。こんな風に遠回しに狙われる覚えなど、ちっとも無いのだが……。自分ではないのなら、ルドヴィーコか、もしくはどちらの場面にも居合わせたという意味でいうならクルトも入るか。正直言って人間界の事情には疎いので、サッパリだ。
しかし、ああも思い通りに魔獣を操れる人間がいるかもしれないなど、想像したくもない。ならば魔界人が絡んでいると見る方が──
「あああぁあああ゛……ッ!!」
悶々と悩んでいるところに、突如悲鳴が響き渡った。“断末魔”。そう称せば良いのか。──魔獣のものでは、ない。
異常な声に、そしてその声が突如ぶつりと途切れたことに、意識がある者はみな、身体を強張らせる。
ド、と音がした。地面を踏み鳴らすような音が。なにか重いものが、不器用に移動しているような音。それは連続的に鳴り響き、そして次第に食堂に近寄って来ている。
二階にまで侵入してきているということだ。幾人かの団員だけで対応できるものではない、と。つまりそういうことだ。
ド、か、ダ、か。とにかく濁音混じりの音がどんどん近くなってくる。
──扉が吹っ飛んだ。
手を赤く染めたソレは、首を90度に倒し、赤一色の瞳で食堂を覗いた。異様に長い手足。不自然に痩せ細った、大きな体躯。
坑道で一度見掛けた、人型の魔獣によく似ている。同じ個体か、否か。少なくともラウラには判断がつかない。
しかし、アレが何故ここに。
疑問に音を与える前に、巨体が、その身体に見合わぬ速度で滑走する。机や椅子が薙ぎ倒される。奥で横たわる団員の元に行き着く前に、その身をソフィアが受け止めた。
細い体躯の、いったいどこにそのような力があるのか。……否、あれは人間の力ではあるまい。だからといって魔力で動いている訳ではない。そうであれば、今頃ラウラ同様、身動きが取れぬはずだ。この騎士団には厄介者ばかりが集まる、というのはあながち嘘ではない。
彼女は表情ひとつ動かさぬまま、「団長は何をしているのです」と悪態を吐いた。魔獣を追ってか、あるいは伝令役か、遅れて食堂に到着した別の団員が叫ぶ。
「砦内に、大型魔獣が二体侵入! 人型の、巨大な魔獣です。扉が壊され、他の魔獣も押し寄せています。大型一体と小型は、大広間にて団長が交戦中。もう一体は……ええと、そいつです!」
「見れば分かりますよ」
ソフィアは、自分の頭の二つ分は余裕でありそうな敵方の頭をジッと見る。
「二体ですか。やけに簡単に侵入してくれましたね。ただ……」
ぞっとするほど、綺麗な笑みを口元に浮かべる。
「この砦は、入ってからが“キツイ”ですよ」
貴方に言葉を理解する学があるかは存じませんが、と彼女は続け、直後に一歩前に踏み出した。ズ、と大型魔獣の身体が、押しやられる。
「退室願います」
徐々に速度が上がる。床に引っ掻き傷を作りながら、食堂の中を流れていく。
あくまで冷静な副団長の様子に、誰もが、この化け物も今に彼女に屈するに違いないと思った。
読み返すと、ラウラさん、ヒロインらしくはない。
なんかこう……ヒロインらしくはない。




