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「聖水、これで最終となります」
「やはり最後までは持たないか。仕方ない」
これまで以上にじりじりと進むことになるだろう。砦はもう間近だというのに。余計に焦りが募っていく。あまり良い精神状態ではない。
一歩一歩を噛み締めるように進んでいく。近付く程に、魔物の数は増加する。これは思っていた以上に重労働だ。かといって後方の護りを解くわけにもいかない。
(もうひと暴れするにも、魔力が足りないか)
おそらく、その時点で人型を保てなくなるだろう。さて、どちらがいいか。天秤に掛けながら、敵を蹴散らす。
ぐあ、と背後から悲鳴が上がる。前衛も限界が近いのだろう。魔界人たるラウラならいざ知らず、人間に長時間の攻防戦がいつまで耐え切れるか。
ルドヴィーコの様子を窺う。幸い、目から光は失われていない。余裕は無さそうだが、あれなら大丈夫だ。
「──ん?」
突然首を捻ったラウラに、同じく後衛にて敵を迎撃しているクルトが視線を寄越した。応えるように、呟く。
「誰かこっちへ来ているな」
対魔物に関するレーダーは、いったい何が原因か、未だ死んだままだが、通常であればこのように接近が把握できる。記憶に掠めていることからして、知り合いの誰かだ。
敵の間をすり抜けているのか、それとも重なる敵を撃破しながら来ているのか、とにかくこちらの部隊とは比べ物にならない程に速く、それも単身で向かってきている。距離はみるみる詰まっていく。
──ラウラ並みの乱暴加減で、魔物の体躯が前線付近まで吹っ飛んできた。
おう!? と妙な悲鳴を上げた団員たちの目の前で、吹っ飛ばされた魔物は周囲のアンデッドを巻き込みながら、地面に“縫い付けられる”。
光り輝く矢に射止められた彼らは、動く間も無く、矢と共に爆ぜ、消滅した。ランベルトの光魔法を“救い”と表現するなら、この矢は“破壊”、あるいは“純粋な暴力”だ。どことなくラウラの力と似ている。
線状に開いた空間の先で、“彼女”は悠然と立っていた。
「あまりに時間が掛かっているようでしたので、迎えに来ました」
揶揄も傲慢さも見受けられない、ひたすら落ち着き払った声色で、ソフィアは少しの乱れも無いブロンドの髪を揺らした。透き通る声は、このような場であってもよく通る。いつもと違うことがあるとすれば、それは──このアリエナイ状況と、彼女の色付きゴーグルが、額にまで上げられていることか。
その双眸は、瞳と呼べるものがなかった。白目が全体を覆い、更に微かに黄色く発光している。“人ならざる”副団長を見るのはルドヴィーコ含め全員初めてであったのか、そこらかしこから息を呑む気配がした。若干の恐れすら混ざる視線を、けれどソフィアは物ともせずに跳ね除け、普段通り静かに叱咤する。
「ボサッと突っ立っている場合ですか。さっさと動きなさい」
「は、……は!」
返事をしている間にも、ソフィアは脚を振るう。その軌跡から生まれた光の矢が、曲線を描きながら、複数体のアンデッドを仕留めていく。しなやかな動きには無駄が無く、最小の攻撃で最大のダメージを相手に与えていた。副団長に相応しい強さである。
“活路が開けた”。──まさしく、その通りであった。
砦までの道は、目の前にある。一人の犠牲も出さずに、生還する道が。その希望こそが、まさしく前へ進む力を生んだ。
長時間の戦闘で精神的にも体力的にも疲労していたはずだが、彼らの動きは先程よりもむしろはっきりしている。
おかしなものだ、とラウラは思う。しかし助かった。護る者が多ければ多い程、動き難い。
格段に上がった進行速度を補助するように、ラウラはふっと息を吸い、
「────ッ!」
巨大な炎が後方より迫る魔物を捕まえた。
まだ生を閉じていないものも、閉じてなお立ち上がるものも、全てまとめて覆い尽くす。
消し炭になった命だったものだけが、後に残った。
けふ、と煙を吐き出す。さてこれでしばらく後方からくる敵勢の戦力は削がれるだろう。
ラウラはバックステップを踏み、隊の横へつく。反対側では、ソフィアが順調に敵勢を減らしていた。
(負けるのは性に合わんな)
口元に、笑みを浮かべる。指先に乗せた僅かな魔力で、近寄る軍勢を力任せに再起不能にしていく。要は生きていようがいまいが“物理的に動けない状態”にすれば良いのだ。
──ああ、楽しくなってきた。
竜の姿でもないというのに、本能が疼く。金色の瞳が残虐な光を強めていく。辛うじて抑えられているのは、視界の端に主人の姿があるからだ。そうでなければ、敵味方関係無く明け方まで暴れていたかもしれない──今の魔力残量でそんなことをしたら、己が滅ぶことは明白だというのに、いかんせん魔界人は本能に身を委ねるとそれを忘れる傾向にある──。
本能に手綱を渡さないのは、暴れた時の爽快感よりも、ルドヴィーコと共に過ごしている時の幸福感の方が強いからだ。
(……ああ、なるほど)
そこにまで思考が至り、ラウラは息を吐く。
どうやら自分は、自覚している以上に、彼を大事だと思っているらしい。
例えばそれは、相手を想うがあまりに身動きが取れなくなったランベルトのように。
例えばそれは、相手を想うからこそ自ら未来を変えようと動いたアレッタのように。
形が違えど、その根底は同じところにある。
おそらく、自分のこれも同じだ。
つまり、それは。
この気持ちの正体は────
眼前に敵が迫り、ラウラは二度目の炎を吐いた。今度は本能に引き摺られない。あくまで冷静に撃墜していく。ラウラが効率的に動けば動く程、進行の妨げとなるものはなくなっていく。単調に、あくまで作業的に。
「門が見えたぞ!」
歓喜に震える声が響く。直後に「気を緩めるなよ!」というクルトの一喝も。
「砦の中に誘き寄せた魔物もいるので、くれぐれも油断しないように」
アンデッドを蹴散らしながら、ソフィアが状況を端的に伝える。
クルトたちの進行に合わせ、門が開いていく。門付近にいた魔物が砦に侵入していく光景が目に入った。開門は、砦内部にいる仲間を危険に晒す行為でもあるのだ。
だからこそ、チャンスを逃す訳にはいかない。
一足先に門に辿り着いたソフィアは、脚で風を起こし、周辺の敵をあらかた片付けた。後を追うように他の団員が門を潜っていく。
「くそ、侵入した魔物が存外多い……!」
騎士の呻き声を掻き消すように、「退いてください!」と鋭い声が通り抜けた。ルドヴィーコだ。彼は左手で懐へ忍ばせた魔銃を掲げ、無造作に引き金を引く。
撃てる訳がない! 今朝の時点で、空発だったのに!
ラウラの心配を嘲笑うように、銃の先に溜まった魔力が放たれる。朝に見た銃弾よりも余程弱い。けれど、数体の魔獣を仕留める分には十分な威力。
「……っ」
ラウラは動揺を一瞬で抑え込んだ。主人の頑張りを無駄にする訳にはいかない。弾を放った後、ルドヴィーコは苦しげに眉を寄せた。──撃てる訳がない。その状態で、撃ったのだ。負荷が掛かっていないはずがない。
目の前を一掃した銃弾の軌跡を、ルドヴィーコたちが駆け抜ける。魔獣の侵入を食い止めるべくしんがりを務めたクルト、ラウラの二名が通り抜けた頃を見計らい、門はその重量に地面を揺らしながら、ガシンと閉まった。
当初は出す予定の無かったソフィアさんが、何故だかおもむろに出てきました。設定は作ったけど活かすことはないだろうなー、と思っていたので、自分でもビックリ。
プロットなしって怖い。




