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朝食をとると、すぐに点呼が始まる。簡単な身体慣らしの後、個々人に割り振られた荷物の最終確認を各自で執り行う。
「──よし」
入念なチェックを終えたルドヴィーコは、荷物を背負い、ゴーグルと防塵マスクで顔を覆った。今日もまた、いつぞやを彷彿とさせるように砂の霧が出現している。
「ルドヴィーコ=クエスティ、準備完了しました」
一言放ち、待機。全員の準備が終わったところで、早速出発となった。
砂が、足取りを重くする。
アドアール山脈の坑道は、まだまだ先だ。これまで同様、山脈近くにあるオアシスで、一度休憩、体制を整えた上で挑むことになるだろう。集中力が切れることが、一番怖い。
一歩一歩を、着実に進む。
「──クルト班長、前方から何かが!」
突如響く鋭い声。
(なに?)
慌てて気配を探るが、ラウラのレーダーには何もヒットしていない。しかし、長年の勘が、その報告は“真実”だと告げている。
“何か”がいる。そこに。
「後方からも、近付いています!」
次いで上がった言葉に、ラウラは動揺を辛うじて抑えた。近寄られても感知できない。その存在は──まるであの、坑道の魔獣のようではないか。
足音がする。それ程近くに迫っている。彼らはまるで渦を巻くように、ルドヴィーコ達を取り囲み始める。砂が邪魔をしている。敵の姿が正確に見られない。
グル、と苛立たしげに唸ったラウラを、ルドヴィーコが撫でる。落ち着け、と。静かな指示だった。それに応えるように、ラウラは深く呼吸をした。
感知できない。しかしそれがなんだと言う。
蹴散らしてしまえば良い話だ。
囲まれていることは明白だ。緊張感が高まる。
ルドヴィーコが剣に手を掛けた。
──砂の中から黒い影が飛び出す。
まずは一閃。後を追う前に、砂煙の中に消えていく。感知はできないが、血の臭いで場所を特定する。しかしその一体だけに注目している訳にはいかない。
目が封じられているのは、人間側だけのようだ。敵勢の迷いの無い攻撃に、防戦一方になっている。
このままでは、体力を削られたところで仕留められる可能性も高い。
「ジーノ、私が砂を払う」
「──任せた」
声に応じ、手足を服から離す。風に煽られて舞い上がる。魔力を解放。身体を光が包む。
「グゥアアアアアアア──ッ!」
咆哮が、空気を震わせた。翼を大きく広げると、魔力を込めた風を引き起こす。それだけで竜の身に風を纏わせれば、ラウラ視界は一時的に塞がる。
主人から目を離す。その一瞬を耐えてから、風を上空へと鋭く放った。雲さえ突き破った風は、周辺の砂を一挙に巻き込み、彼方へと広がる。
開けた視界を、夥しい数の魔物が埋め尽くした。様々な種類の魔物だ──とても自然現象とは思えない。一班、五班の周囲を何重にも囲む、もはや軍勢と呼んでも差し支えはない、その数。それはラウラに、あの忌々しい反乱の光景を思い出させた。これは大仕事になりそうだ。ああ、面倒な──そう言いつつ、緩む頬を、唸ることによって隠す。
ラウラの瞳が不自然に煌めいたことに気が付いたのか、ルドヴィーコが戒めるように彼女の名を呼んだ。
がう、とくぐもった声でひと鳴き。翼を畳むと、魔物の群れへ突っ込んだ。爪と牙で敵を刈り取り、太い尾を振り回して周辺の敵を一度に薙ぎ払う。
燃やしてしまいたい気分になっているが、しかしそれでは周りを巻き込む可能性が高くなるため、必死に自制する。口の端から、くゆり、と煙が漂う。
そろそろか。砦方向に立つ者の姿は、既に無い。地に沈んだ亡骸を横目に、巨大な竜の姿から、人型へと移った。
ひとまず第一目的である『砂を吹き飛ばす』はクリア。おまけに敵の数を減らすこともできた。上々だろう。ふん、と鼻を鳴らす。
「ラウラ!」
名を呼ばれる。彼はラウラの横を通り過ぎ、剣を振るった。がしゅ、と肉を断つ音。
「──な」
驚きに意識を離したのは一瞬。すぐに立て直して、迫り来る敵の身体を掴み、遠方へと飛ばす。地に落ちたソレは──不自然に蠢き始めた。
見れば、他の骸にも黒い靄が巻き付いている。
「アンデッド化か? だが……」
あまりにも侵食スピードが速い。通常であれば、アンデッド化して動くようになるまで、数日間を要す。それも、瘴気が一定水準以上無ければ、発生しない現象だ。
他の団員にも動揺が走る。アンデッド対策のために聖水を所持しているが──この数のアンデッドを対処するには、あまりにも心許ない。
いくらラウラといえど、倒れても起き上がるアンデッドを相手取るのは面倒だ。まして、火力は限られる。魔界であれば話は別だが。
「撤退する! 先頭一列、聖水が切れたら後ろと交代」
クルトが全体に指示を出す。隊列を組み、襲い来るアンデッドと対峙しながら、後方より迫る“生きた”魔物を凌ぐ。
ルドヴィーコの位置は、後方だ。ラウラは彼と目配せすると、隊列から離れ、最後尾の更に後ろへ向かった。
敵を迎撃する役目に移る。隊から付かず離れずの距離を保ち、暴れ回る。派手に暴れる程、ラウラは敵の的となる。それが狙いだ。
四足歩行の獣が、ラウラの腕に噛み付く。瞬間的に皮膚を硬化させたため、ダメージは最小だった。竜の身体だ。そうやすやすと歯は立てられまい。
そのまま腕を持ち上げ、地面に叩きつける。ギッ、と上がった悲鳴を無視する。地に手をつき、次の敵を蹴り飛ばす。
自由に動ける空間があるだけ、まだ楽だ。
もし坑道に入っていたら、敵が飛んだ先まで意識していなければならなかっただろう。そんなことまで考えるのは面倒で嫌だ。嫌過ぎて、大暴れしたくなる。
命を失った身体が、むくりと起き上がった。
背中には、何度目かの「前線、交代します!」という声が投げ付けられる。まだまだ先は長そうだ。
さて、自分の魔力は砦まで持ってくれるか。
唇を舌で湿らす。見ようによっては舌舐めずりにも見えただろうか。ラウラは獰猛に笑う。
しかし、
「おい、砦が……!」
切羽詰まった声に、笑みを引っ込めた。
対峙しながら素早く状況を確認する。
砦は、煙を上げていた。何か物でも燃えたのか。時折、魔法による光も点滅する。
──どうやら襲撃されているのは、この部隊だけではないようだ。
とすると、敵勢は余程の大群だ。今、自分たちが対峙しているのは、そのほんの一部ということになる。
隊列が乱れたことを察したクルトが声を張り上げる。
「集中しろ! 団長の心配ができる程、腕に自信があるのか!」
「ありません!」
間髪入れず、ルドヴィーコの律儀な声が響いた。そんな場合ではないというのに、く、と笑いが漏れる。
確かに──ラウラは負ける気はしないが──あの人間は相当しつこそうだ。心配するだけ無駄だろう。他の団員も──ジェラルドもランベルトも、きっと無事だ。
その確認をするためにも、ここを手っ取り早く切り抜けなくては。
とはいえ、急いたところで移動速度を上げることは叶わない。ラウラのひと吐きで道を開くことは可能だが、この数だ、すぐに埋まる。移動速度を上げられないのであれば、その攻撃は無意味だ。
焦る気持ちを抑え、地道にいくしかない、と心に何度も言い聞かせる。“地道”。あちらでは無縁だった言葉だな、と唐突に思う。随分と毒されたものだ。
死と隣り合わせな職業を、忘れてはならない。ですね……。




