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直接的な事情は一切語らぬまま、彼女の宣誓は終わった。
部屋に戻ったルドヴィーコは、蜥蜴を、彼女用の籠に入れ、頬杖をつく。
「さてラウラ、俺はどこまで踏み込んでいいかな」
誰かの介入なくしても、あの二人は上手くいくかもしれない。誰が何を言おうとも、何も変わらないかもしれない。
ランベルトはあの様子だ。妹を完全に拒絶するような──そうしなければならないと思っているような。そんな状態で、部外者であるルドヴィーコが首を突っ込んでも、事情を話してくれるかどうか。重りを増やすことにはならないか。
結局のところ、人というのは、自分が決めなければ、動かない。変わらない。どれだけ人が人に相談したところで、想いを伝えたところで、最終判断をするのは、いつだって自分以外の何者でもない。
ならば何のために動く。
誰のために叫ぶ。
ラウラは端的に答えた。
「そんなこと、私が分かる訳ないだろう。人間は複雑だから、解析したって意味が無い」
「だよなあ」
はは、と笑うルドヴィーコに、「しかしな」と彼女は続けた。
「ジーノ、私はお前が“相談”してくれたことが、嬉しいみたいだ」
ちろちろ、と舌を出し入れする。ただの蜥蜴のままではできなかったことを、今している。一人で考え、一人で悩んでいた主人が、答えの無いことを問うている。
それは存外に、気分の良いことだった。
「言われた時は煩わしいかもしれないが、後になると変わるかもしれない。変わらないこともあるけどな。要するに、誰にも、何も分かりっこないんだ。それなら、せめてやりたいようにやるしかない。──間違っても、間違わなくても、私はお前の隣に立つぞ」
突き詰めてしまえば、全ては自己満足だ。
誰かを喜ばせたい、という気持ちだって。
“自分”が在って、そこから広がる。
それでも良いから動きたいと思ったなら、それは曲がりなりにも、“本物”ではなかろうか。
結果、間違いだったとしても。正しくないとしても。
今、ラウラがルドヴィーコに相談されて嬉しいと感じる心は、少なくとも“嘘”ではない。背中を押したいという気持ちも。
それでいい。十分だ。
ルドヴィーコは眉尻を下げた。
「参ったな。俺は、……どうもラウラと会ってから、他人との距離感が崩れてきてるみたいだ」
「それは良いことか?」
口に手を当てながら、ルドヴィーコはしばし押し黙った。
「良いことだと思ってる」
「それならいい」
蜥蜴は満足気に笑う。
彼が良いことだと言うなら、いいことだ。
「ジーノはどうしたいんだ?」
「……繋ぎたい。そこに繋がるものがあるのなら」
言葉にすることを迷う素振りを見せながら、ラウラの主は想いを口にした。
静かに息を吐くルドヴィーコを前にしながら、ラウラは思う。彼がこうも迷うことは初めてだな、と。
迷わず突き進んで来たように見えるルドヴィーコは、時折まるで魔界人のようにも見えていたのに、今は“まさしく人間だ”と感じる。複雑で厄介な、どうしようもないことで泣き、悔やみ、笑う、ラウラたちには到底理解のできない“人間”という種族。
不思議と嫌悪感は無かった。自分が魔界人だという優越感も無い。
「そうか。ならば、私も従おう」
蜥蜴は目を閉じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜の間に、人間が一人増えている。
「ジェラルド、戻ったのか」
「ああ」
到底休暇を楽しんでいる風ではない彼は、いつも通り口元をマフラーで覆い隠し、鋭い三白眼をルドヴィーコに寄越した。
休暇中だというのに、わざわざ朝早く起き、食堂の掃除を手伝い始める。
そうしている内に、見知らぬ人間がいることに気付いたらしい。あれは誰だ、と目を細め、しかしその疑問を口にすることはなく、ふいっと視線を外した。興味は無いようだ。
ランベルトからは、やはり彼女を気にしている雰囲気を感じるが、しかし視線は向けない。難儀だ。
「お? ジェラルド、お前、まだ休暇中だろうがよ。王都に行ったんじゃねーのか」
臨時手伝いの先輩騎士が二名、顔を出した。
「自分は王都に知り合いもいないんで」
長居する必要性が無い。と言い切るなり、掃除を再開する。二人の男は顔を見合わせると、にんまりと笑い、無理やりジェラルドの肩を組んだ。
「そーかそーか! それでこそ我らが騎士団の男!」
「身近に美少女だぁ美女だぁいねーのが俺らが俺らたる所以よなぁ!」
妙に嬉しそうだな、とラウラは半眼になる。嬉しそうに大声を出している割に、どことなく自棄っぱちに似た哀愁が漂っているが。
事情の分からぬジェラルドは、急になんだと眉を寄せ、両肩に回されている手を鬱陶しそうに一瞥した。
「はっ……まさかと思うが、美人な知り合いとか、いねぇよな?」
突然の質問に、ジェラルドは「いませんケド」と即答した。
「そーか、はは、そーかそーか!」
「はははは! そーか! それは良かった!」
狂喜乱舞する先輩の手から逃れたジェラルドは、ズレたマフラーの位置を調整しながら、ルドヴィーコとランベルトがいる方向に歩いてくる。その途中、不機嫌そうに顔を歪め、──「痛」と声を漏らした。手の甲に視線を落とし、痛みを払うように左右に揺らす。
「ん? どうしたジェラルド」
ルドヴィーコが、小さな声に気付く。
「……噛まれた」
「は?」
こんな時期に人を噛むような虫がいただろうかと首を捻るルドヴィーコの肩に乗っていたラウラは、ジェラルドの身体の後ろからひょっこり顔を覗かせるフィリンティリカの姿を見つけた。
彼女は、えらく憤慨しているように見える。口を、むーっ、と尖らせたフィリンティリカは、どうも先程のジェラルドの返答がお気に召さなかったようである。
不意に蜥蜴と視線が絡む。あ、と大きく縦に口を開けたフィリンティリカは、小さな二つの手で、恥ずかしそうに顔を赤くし、顔を覆った。妖精的には、人を噛むのは“粗相”なのか。蜥蜴はよく噛み付くが。
ジェラルドが現出したフィリンティリカに気付き、その身を覆い隠すように手を翳すと、彼女の姿は掻き消えた。
しかし。
(心なしか、前に見た時よりも“存在”が薄かったような……)
あれだけ大胆に現れた割に、感知能力のある自分以外、気付いていない。確かに妖精は元来、“人間の目には映り難い”生き物であるが。
果たして、気のせいだろうか。
そういえば、ルドヴィーコに話せばいい、と唆したが、その後ジェラルドがラウラの主に話をした様子は無い。
ラウラの正体がバレた今であっても、ジェラルドとラウラの間で交わした約束を、彼は破ろうとはしない。それは逆説的にフィリンティリカの存在を周りにバラすなという主張となる。
掃除を終えると、ジェラルドは手早く朝食を済ませて食堂を出て行った。
──あちらもあちらで、厄介そうだ。
ラウラは、しかし視線をズラす。今は、ランベルトの問題を片付けなければ。主人がそれを望んでいる。
妖精は、歯がある。




