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何か動きがあるのだろう、とは思っていたが、ここまで早いとは思わなかった。
ルドヴィーコとラウラは顔を見合わせた。
三連休あけの出勤日、入れ替わりでジェラルドが休みに入った日。いつものように食堂に向かうと、知っているが“知らない顔”の、あの少女がいた。
(結構な行動力だな)
ラウラは驚き、瞬きを繰り返した。
少女はルドヴィーコと目を合わせると、にこりと笑った。その奥から、ミラが顔を覗かせる。
「ジーノ君、早速人員を捕まえてきてくれてありがとねー」
「あ、いえ、捕まえて来たわけでは……」
ないんですけど、と。続けた言葉はおそらく彼女の耳には入っていない。多忙極める食堂──ましてや、食事前の時間帯では、悠長に話をしている暇などありはしないのだ。
新人たる少女も同じであったようで、ルドヴィーコに綺麗な一礼を披露すると、ぱたぱたと走り去り、食堂の奥へ姿を消した。
既に馴染んでいる。貴族の娘だというのに、ここに馴染むとは。その順応力には驚かされる。
「おはよう、ジーノ」
遅れてランベルト、更にその後ろからジェラルドの代行を勤める先輩騎士が食堂にやってくる。
少女に関しては、決して気にならない訳ではなかったが、こちらとて今は時間が無い。ルドヴィーコは、おはよう、と返事をすると、早速掃除に取り掛かった。
掃除が終わった頃に、他の騎士たちも食堂に姿を現し始めた。人員不足の食堂では、騎士は自分の足で食事を取りに行く。たとえ団長であろうと、例外は無い──彼は、自分が動くこと自体は全く気にしていない様子だ。ただし目の前に人などいないかのように自由に突き進むため、砦内で“交通事故”が多発している──。
ルドヴィーコもご多分に漏れず、食事を載せたトレイを片手に、席に着く。ラウラは腕を伝って、トレイに移動した。
千切ったパンの一欠片が口元に差し出される。ラウラがゆっくりと咀嚼している間に、ルドヴィーコの口には吸い込まれるように残りのパンやら何やらが消えていく。それはなにもルドヴィーコに限った話ではなく、砦にいる者はみな同じだ。人間とは忙しい生き物だな、と何度見ても思う。
空になった容器を食堂の返却口に持って行く。さて次は訓練の準備だ。踵を返したルドヴィーコに、「あ、ちょっと待ってください!」と焦りの滲む声が掛かった。あの少女だ。
ぱたぱたと走り回っていた彼女は急に方向転換すると、ほんの少しの間、ルドヴィーコたちの視界から消え、すぐさま復活した。
手には、小さな皿がひとつ。皿には見るからに美味しそうなケーキが乗っかっている。
「これ、どうぞ。前に食べられなくて残念そうでしたので……是非、ラウラさんとご一緒に」
自分の名が出たことに驚いて頭を高く持ち上げると、少女は「ミラさんに伺いました」と微かに悪戯っぽく笑った。
その微笑みは、あるいはこの光景は、周囲からの注目を集めた。無理もない。元々若い女性はほとんどいない職場だ。そこで“逢引”などしようものなら、目立つのはある種当然と言えよう。
あまり話を長引かせたくない、というのは共通認識であったのか、少女は早口で言葉を続けた。
「お忙しいようでしたら、次の休憩時間にでも。今日中なら大丈夫なので」
訓練の時間も迫っているし、なにより人が集まるこの時間では、落ち着いて食べることも難しい。ルドヴィーコは苦笑気味に答えた。
「ああ、ありがとう。後で食べに来ます。お代は」
「斡旋料、ということでお願いします。──それから、敬語も無しでよろしいですよ。私は後輩で、かつ年下ですから」
「……分かった」
微かな間を置いてから、ラウラの主は頷いた。つまりこの少女に対しては、自分も敬語でなくていいということだろう。元々敬語など使う気はさらさら無かったが。
「もう知っているみたいだけど、俺はルドヴィーコ=クエスティ。名前でも苗字でも、ジーノって短縮してくれても、呼びやすいように呼んで構わない。こっちは相棒のラウラ。改めて、これからよろしく」
「ご丁寧にありがとうございます。私はアレッタ──アレッタ=ジネストラと申します」
淑やかに頭を下げた彼女を前に、うん? と首を捻った。アレッタ=ジネストラ──それは。その家名は。
「あ、アレッタ……?」
震えた声は、ルドヴィーコの背後から聞こえた。振り返れば、ルドヴィーコの同期──ランベルト=ジネストラが、顔面蒼白な様子で立ち尽くす姿が飛び込んでくる。
「お兄様、お久し振りでございます」
対する妹には、さして動揺の色は無い。兄との対面がここで発生することを、最初から分かっていた様子である。あるいは、それが狙いだったのか。俄かに鋭くなった彼女の目を見て、ラウラはそう予想する。
「どうしてここに」
掠れた声は、辛うじてルドヴィーコたちの耳にも届いたようだ。
「どうしても何も、お仕事をしに来ただけです」
「仕事って……きみが?」
「ええ、そうです」
「……ここで?」
「ええ」
間髪を入れず頷いたアレッタに、ランベルトはしばし言葉を失い立ち尽くした。あまりにも衝撃的な出来事であったのか、言葉としての意味を成さない音が、口から漏れ出す。
「──駄目だ。それは、駄目だ」
四方八方へ散らばった後、ようやく掻き集めた言葉は、存外に強い響きを持っていた。
「きみは屋敷にいるべきだ。ここにいてはいけない。早く帰るんだ」
彼にしてはやけに断定的な発言を、念じるように繰り返す。気持ちの良い朝の空気の中、ジネストラ兄妹の周りだけが、尖っている。
まるで今から一戦交えるような二人を制したのは、甲高い金属音だった。カンカンカン、と頭に響くその音に、蜥蜴は不快さを表すように目を細めた。
音を発生させた本人であるミラは、鍋とお玉をそれぞれの手に持った状態で、フンと鼻を鳴らした。
「はい、退いた退いた! 話すなら後でじーっくり話せばいいさ、今は忙しいんだ。この子にも働いてもらわなきゃならないし、あんたもやることがあるんだろう」
なおも何か言いたげなランベルトに、ミラは声を低くした。
「ここに“いるべき”だとか、“いるべきじゃない”だとか、そんなこた、あんたが決めることじゃあないね。本人と、それから、我らが団長が決めることだろう」
“ハイドィル南部国境警備騎士団”は、そういうところなのだ。その前提で、全てが成り立つ場所だ。
だからこそ、厄介な事情を抱える者も、ここにいる。──この場所に、それだけの“価値”を見出し、選んだ。
無論、相応の能力を持ってして、騎士団に貢献する必要はあるが。
初日、物憂げに王都方向に戻っていく電車を見送っていたランベルトの後ろ姿を、ラウラは思い出していた。
なるほど、妖精つきのジェラルドといい、どうもここにいるメンバーは漏れなく、厄介ごとを抱え込んでいるらしい。
トレイに物を置く時に、“乗せる”なのか、“載せる”なのか非常に困る。
“積載する”という意味で“載せる”にしましたが、実際どうなのでしょう。




