05
ザワザワ。ザワザワ。
人の声があちらこちらから、まるでさざ波のように押し寄せてくる。さざ波の方が方向がハッキリしている分、まだマシかもしれない。
ラウラはルドヴィーコの肩に乗りながら、チロリと舌を出した。魔界でも、こういう催しはあった。八割がたは、途中で無礼講という言葉が可愛らしく思える程の乱闘騒ぎになったものであったが。
ラウラもよく喧嘩をふっかけられた。あちらのパーティは、ダンスに誘うのと喧嘩をふっかけるのは同義なのではないかと疑ってしまう程、頻繁に拳が飛んできた。鬱陶しかった。
唯一の楽しみは、パーティで出される美味しい料理だったのだが(いろいろと倒される前に確保するのが重要だ)、この身体ではそれもできそうもない。極めて暇である。
(あー、早く終われ……!)
着飾ったルドヴィーコの燕尾服を、べちべちと前足で叩く。
しかしそんなラウラの願いも虚しく、仮面舞踏会は、今まさに開幕しようとしていた。そう、まだ開幕すらしていなかったのだ。
「つまらないって顔してるな、蜥蜴っ子」
蜥蜴を肩に乗せていることから、仮面を被っているのに、既に周囲に自分が何者たるかを暴露しているルドヴィーコは、ラウラの鼻先をツンと突く。腹いせに、かぷりと噛み付いた。
「痛いよ。悪かったって」
ご機嫌ナナメな使い魔に、笑いながら謝る姿には、誠意を感じられない。絶対に悪いなどとは思っていなかろう。
(お前は美味いものが食べられるから良いだろうが、こっちは違うんだぞ!)
思わず出そうになるグルルという唸り声を気力で抑える。蜥蜴は、グルルとは鳴かないらしいので。
それにしても、平和なものだ。
誰も暴れたりしない。
ルドヴィーコのところには、ルドヴィーコにお近付きになりたい者が、蜥蜴を話のキッカケにしたり、はたまた本人と気付かないフリをして話し掛けたり、裏の顔がありそうな者が集まってくる。
これなら、喧嘩をふっかけてくる方が楽だな、と思った。
「あらあら、隠れてすらくれませんのね、残念ですわ」
この仮面、意味があるのだろうか。声とニオイで丸分かりだ。
普段のイメージにはない真っ赤な豪勢なドレスを着て、黒い扇で口元を隠している。栗色の長い髪は丁寧に上げて結われている。扇が少しズレると、真っ赤のルージュがチラリと覗いた。普段よりも更に妖艶な雰囲気を醸し出している。
「ジュリア殿下」
名を呼んだ瞬間、ジュリアから怒気が漏れ出てきた。
「ウフフ、この場で名を明かすなんて、無粋ですわよ」
つまり、楽しませろ、と。この人はルドヴィーコと違い蜥蜴などいなくても、見ればすぐに本人だと分かるだろうが。そういうことではないらしい。
「スリルをお楽しみになりたいのであれば、どうぞ他の殿方にお声掛けください」
俺を巻き込むな。
暗にそう言えば、「まあ、相変わらずつれない方ですこと」と扇で顔を撫でられた。ルドヴィーコの身体に鳥肌が立ったのが分かった。その反応に気を良くし(嫌がられるのが好きなのか?)、ジュリアはくすくす笑いながら去って行った。相変わらず嵐のようだ。
「俺は絶対に、騎士になる。アレの婿とか、絶対、無理」
ボソッと、ラウラにだけ聞こえるくらいの声量で、ルドヴィーコが呟いた。
それから、煌びやかなパーティ会場をゆっくりと眺めた。目がチカチカする。
「こういう雰囲気は、やっぱり俺には合わない。なあ、そう思うだろう、蜥蜴さん」
どうだろうか。ラウラはルドヴィーコを見た。格好的には、全く問題無い。むしろキマっているだろう。けれど、彼の“内面”が拒絶反応を示しているらしい。それならば、きっとどれだけ見た目が似合っていても、駄目なのだ。だからラウラは、ルドヴィーコの呟きに同意の意を込め、チロチロと舌で首筋を舐めた。
ありがとな、と小さく呟いたルドヴィーコは、パーティの中央に背を向け、庭に出た。
一転して暗くなる。扉一枚挟むだけで、人々の喧騒は随分と離れたようだった。
はあ、とルドヴィーコは大きく息を吐いた。まるで、ようやく息が吸えた人間が、そうするように。
「ああ、静かだな……落ち着く」
しばらく夜風を楽しむ。
目を瞑り、身を委ねる。このままパーティの終わりまで、静かに過ごせればいいのに、と思ったラウラの耳に、直後、小さな悲鳴が聞こえた。
ピクリと、身体が震える。
(おい、ジーノ。今の、聞こえたか?)
たしたしと、前足を使って彼を叩くが、彼は目を閉じたままだ。
(普段は鋭いクセに……なんで気付かない!)
無理もない話だ。魔界人たるラウラの聴力と、いかに才能溢れるとはいえただの人間のルドヴィーコの聴力は、能力にかなりの差がある。
気付け気付け、と念じたところで、当然通じやしない。
仕方ない、とラウラは蜥蜴にあるまじき鳴き声を出した。
「グルル……」
「ん? どうした、蜥蜴っ子」
「グル、グルルル……!」
よじよじと、彼の肩を前方へ進むと、ヒョイと飛び降りた。ビタン、と着地する。
「おい、危ないぞ蜥蜴っ子」
「グルル」
唸りながら、前方と、それからルドヴィーコの顔を交互に見る。気付け、早く。
「……庭に出たいのか? もう暗いぞ?」
(ええい、暗いとか関係無いわ! 庭には出たいが、庭を見たい訳じゃない!)
非常に歯痒い気持ちで、尻尾をゆらゆら動かす。いいからさっさと行くぞ、という意思を伝えるため、一歩、また一歩と前に踏み出す。
……蛇とか、出ないといいのだが。
ラウラが内心で非常に怯えながら進んでいると、「分かった分かった、俺が連れて行くからお前は無理をするな」とどことなく観念した声をしたルドヴィーコが、ラウラを摘んで肩に乗せた。
「ほら、行くぞ」
そうして、悠長に歩き始める。
もっと急げと言いたいが、しかしラウラの短足よりも余程速いので、我慢することにした。
「暗くて、花も何も見えないぞ、蜥蜴っ子。お前、こんなのが見たかったのか?」
(見たかった訳じゃないと言っているだろうが!)
いや、正確には、言えていないが。
悲鳴は、この方向から聞こえた。もう一度叫んでくれたら、人間の耳でも拾えるかもしれない。
「…………っ、……か……!」
聞こえた。今度こそ、ルドヴィーコの耳にも届いたようだ。ピタリと足を止める。耳を澄ますと、方向も分かった。
「誰かいるのか!」
ルドヴィーコが、わざと大きな声で、叫んだ。動揺したのか、ガサッと草が擦れる音がした。
「いるんだな!? どこだ!」
脇道に逸れ、突き進む。足取りに迷いは無い。武器をひとつも持っていないが、ルドヴィーコは体術も得意だ。それにいざとなったら、ラウラは魔法を使うつもりだった。
ラウラさん初仕事の巻!
もうちょっと続きます。