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予定通り、朝食を家族と共にすると、列車の時間に合わせて実家を後にした。弟の方は、もう少しこちらに滞在するようだ。
(昨日は存分に話せたのだろうか)
蜥蜴は別れの挨拶代わりにチロリと舌を出しながら、手を振る家族を一瞥した。
昨晩、ラウラが部屋に戻った時には、既に弟の姿は無かった。鉢合わせるとマズイと考え、かなりゆっくりと散歩をしていたためかもしれない。
食われていなくて良かった、とルドヴィーコはあからさまに安堵していた。人型で外を歩いていたのだから、食われるはずがないのに。
ともあれ彼の表情が幾分か明るかったので、自分が席を外したことは良かったのだろう。ラウラはそう思うことにした。
列車が王都に止まる。
前回と違い、命を狙われている訳ではないので、気楽なものである。足取りも軽い。適当な手土産を購入すると、まず向かったのはコレットの家である。
彼女は元々寮生ではなく、実家暮らしだ。女性にしては珍しく、大学部に進学し、薬学を専攻しているらしい。
ルドヴィーコの実家とは比べ物にならないまでも、庶民と比較したら随分と立派な屋敷の前で、ルドヴィーコは立ち止まった。
「はー」
考えてみれば、高等部を卒業してから、初めて顔をあわせる。つまり、最終日に告白を受けて以来、である。
“過去のこと”と言っていいのかは、コレットの心境による。
しばしその場に佇んだ彼は、やがて覚悟を決めたように前に進み始めた。
事前に訪問の申し入れはしている。突然の訪問は礼を失する行為で、場合によっては門前払いだ。だから、あちらもあちらで、覚悟を──
「ルドヴィーコ様! ラウラさん!」
ふわりとした花柄ワンピースというラフな服装をしたコレットが、栗色の髪を揺らしながら、入り口付近で手を振っている。
……極めて、元気そうだ。
「ようこそいらっしゃいました、お二人とも。元気そうで何よりです」
部屋に通され、茶と菓子の持て成しを受ける。菓子は、コレットが自ら焼いたマドレーヌであるらしい。遠慮なく頬張る。近頃食べ過ぎているような気もする。そろそろ太るかもしれない。
「コレットも元気そうだな」
「ええ、毎日楽しいですから」
コレットは、ころころと笑った。
薬学の勉強は、彼女にとって“合っている”ものだったらしい。妙に気難しい者もいるが、気の合う仲間の中で伸び伸びと勉学に励めるので満足だという話だった。
高等部時代よりも、余裕があるように見える。ルドヴィーコ関連で発生していた諸々の問題が、解消されたこともあるかもしれない。主犯格である女性が、大学部にはいないというのも大きいだろう。
「皆さん、結婚適齢期を前に、社交界で新たな王子様を探すのにお忙しいようです」
澄ました顔で語るコレットに、ラウラが「お前は良いのか?」と訊ねる。蜥蜴から人型になり、コレットと目線を合わせる。
「大丈夫か?」
例の仮面舞踏会で、コレットは失礼な男の被害に遭っている。それが何かのトラウマになっているのか、あるいは──。ラウラは真意を見定めようと、彼女の顔を覗き込んだ。
「ええ、平気です」
憂いを帯びながらも、芯の通った眼差し。半年という歳月はとても短いくせに、人が一歩踏み出すには十分な期間でもあるのか。彼女もまた、少しずつ前に進んでいるのだ。
「それにしても、ラウラさんはルドヴィーコ様に、その姿をお見せになったんですね」
腰に手を当てたラウラと、人型のラウラを前に平然としているルドヴィーコを交互に見ながら、コレットは微笑む。眩しいものを前にした時のように、目を細めながら。
「ああ、つい先日に……」
「そうですか、それは──良かった」
「コレットは知っていたのか?」
ルドヴィーコの問いに、コレットが首肯する。「俺は知らなかったのにな」と恨みがましい呟きは、聞こえないふりをした。事情があったんだ、と心の中で反論しておく。言うのが怖かったんだ。
自分も、ここ半年で、少しは前に進めたのだろうか。
国境警備団の話をすると、コレットは知らない世界に目を丸くしていた。特に掃除の話をすると、「普段の訓練が大変だから、なかなかそこまで手が回らないんでしょうね。大学にもいますよ」と妙に達観した顔付きになっていた。
どこにだってある光景らしい。良くも悪くも。
しばらくの間、話に花を咲かせる。
それを止めるように、ゴーン、と時計が鳴った。もう昼だ。
「──悪い、長居したな」
「いえ、こちらこそ長くお引き止めしてしまって。お話、楽しかったです」
ラウラは最後にひとつ、菓子を口に放り込んだ。お気に召したのなら包みますよ、という申し出に首を横に振る。時に我慢も必要だ。
コレットに見送られ、屋敷から一歩出る。差し出された手の中に、蜥蜴は飛び込んだ。腕を伝って定位置に辿り着く。
「ルドヴィーコ様」
温かい声に、ん、と振り返る。
「私の予言、当たりました?」
「……半分は」
「もう半分もその内当たりますよ」
ふふーん、と胸を張るコレットに、「どうだろうな」と苦笑を返すルドヴィーコ。
はて、なんの話だろう。小首を傾げたラウラに説明をしてくれるつもりはないようだ。
(まあ、二人が幸せそうだから良いか)
蜥蜴は、ふー、と息を吐いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
“友人たち”の背中が見えなくなってから、コレットは空を仰いだ。
雲ひとつ無い、いい天気。
どうかこの先も二人が大きな怪我無く過ごせますように、と祈る。
それから。
「……今晩、第二回失恋パーティを開催しまーす」
諦め悪いなーもう、と自分で自分を笑ってから、踵を返した。
ちゃんと隠せていたはずだ。
寂しい気持ちも、切ない気持ちも、実はまだあるけれど。それよりも大事なことがあったから。
次に蜥蜴さんが来たら、何をご馳走しようか。
クッキー、マドレーヌときたから、次は──。
つ、と伝ったものを振り払うように、一歩前に出る。
半年は、長いのか、短いのか。
★★★★★
私的メモ! 参照:15話




