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蜥蜴が喋ったり人型になったりするということが判明した後も、特に何かが著しく変化した訳でもなかった。
無理もない。かれこれ三年半、蜥蜴として暮らしてきたのだ。今更人型で暮らせと言われても、戸惑ってしまう。魔界では人型がメインだったというのに、おかしなものだ。
これまで通り、主人の肩に乗り、行動を共にし、ご飯を分けてもらう。
蜥蜴の生活など、精々このくらいのことしか起こらない。
国境警備とはいっても隣国と交戦中というわけでもなく、基本的には平和だ。それでも有事の際にはすぐ動けるよう、気は引き締めておかなければならないが。
“隣国”といえば、王女一行は無事に兄殿下の元に辿り着けたようである。無事に回復したという“噂”を掴んだ。
良かったな、とランベルトと言葉を交わし合っていると、ドナートからの呼び出しを食らう。ついでにジェラルドも連れて来い、と言うので、蔵書室に引きこもっていた彼を引っ張り出し、共に団長室へ向かう。
「ジェラルドは、何か探し物?」
最近は暇があれば蔵書室に篭っていることが多い同僚に、ランベルトが訊ねる。
「ああ……アドアール山脈の坑道について、少し、な」
「なんでまた」
「気になることがある。それだけだ」
それ以上は踏み込むな、という合図だろう。その空気を敏感に感じ取った他の二名の手によって、別の話題に移っていく。
新人三人の仲は良い。
しかしそれは、お互いがお互いの壁を認識した上で、それを破らずにいるが故に保たれた“仲の良さ”だということを、おそらく全員が理解していた。
誤って坑道に落下した事件から、何ヶ月も経った訳であるが、結局ジェラルドがルドヴィーコに“相談”をする気配は無い。ランベルトに関しても同じだ。
(魔界なら、拳で語り合って、全て解決されるのになぁ)
まったくもって、人間というのは面倒な生き物である。
「失礼します」
「おう、ようやく来たか。並べ」
大きな椅子にどかりと座り、いったい何が可笑しいのか、呵々大笑とするドナート。そんな彼を少しも気にしていない様子のソフィアが、その傍らに控えている。
「さーて、新人らよぉ。お前らが来て、半年経った訳だが……」
ギラリと目が輝くのを見、総責任者の前に並んだ三人は身体を硬くする。一体全体何が飛び出してくるのかと身構えた。
「そろそろ、休暇を取れ」
「……は。休暇、ですか」
「そう、一人ずつ交代でな」
予想外だった単語に、間の抜けた返事をする。確かに、気にする余裕など無かったが、まともな休みなど無かったように思う。任務自体は交代制なので、砦での休息時間が“多い”日もあるにはある。しかし基本的には多忙だ。訓練は毎日決まって行うものであるし、新人が担当する砦の掃除は、毎日慌ただしくやらねば追いつかない。
ちなみに、誉ある騎士団の一翼を担っている『ハイドィル南部国境警備騎士団』であるが、その人気は──まさに無い。つまり、来年度に配属される団員がいるかどうかは、……正直、望み薄、だ。掃除当番はいったいいつまで続くやら、分かったものではない。──よしんば掃除担当から外れたとしても、武器等の整備やら指導報告やら、諸々の仕事があるので、仕事量はどこにいたって“それなりに多い”だろうが──。
掃除に関しては半年も行ってきたので、流石に三人とも慣れてきてはいる、──が。
「二人で、掃除を担当するのは……」
はっきり言って、無謀である。
こればかりは気合いでどうのこうのできる問題では無い。
「ンなもん、できるところだけで良いんだよ。なーあに、多少汚れていようが、気にしねぇさ」
「団長、冗談は顔だけにしてください。不清潔は、健康を害する要因のひとつです。いかに団員が体力馬鹿といえども、酷い環境が続けば、戦力の低下に繋がります」
心配無い、と笑うドナートの言葉を、ソフィアが一蹴した。
こと生活面に関しては、なかなかにだらしのないところが目立つ“ここ”で、唯一清掃の重要性を認めているのが、この副団長である。彼女にとっての新人三人は、騎士団員としてというよりも、大事な掃除要員としてカウントされている節はあるが、──ともあれ、彼女がこの砦での貴重な味方であることに違いはない。
「団員数名を送り込んででも、これまで通りの清潔感を」
「しかしなあ」
「数日の話です。団員への協力要請は、私自ら行いましょう」
説明のついでに、なんらかの圧力をかける心積もりのようだ。いったい何が彼女をここまで動かすのか。
ソフィアから“お願い”された団員の屍を想像し、合掌。掃除担当が増員された場合の皺寄せは、最終的に誰に来るのか。あえて考えないことにする。
「休暇は一人三日だ。順番はお前達で決めればいい」
ハイドィルの王都に行くなら、二泊三日が可能だ。ルドヴィーコはどうする気だろうか。バルトロやコレット、家族に会いに行くのであれば、当然ラウラはついていく。
「団長、せっかくのお話ですが、僕は用事も無いですから、砦に残ります」
三日の休暇を貰っても、持て余して終わりそうだ。苦笑するランベルトに、ドナートは眉を寄せる。
「休む時にしっかり休む、ってのも大事なことだがな? ここにいたんじゃ、気が休まらんだろう」
「いえ、大丈夫です」
ランベルトが上司に意見することは珍しい。女装すらも──顔に出ていたことは大目に見るとして──文句ひとつ言わずやりきったのに、だ。
ここに来た初日、彼は戻る列車を見て物思いに耽っていた。あれは決して、『戻りたくない』と思っている顔ではないように思えたが。
「……まあいい。他の二人は?」
ジェラルドが口を開く。
「外泊するのは、一日目だけで十分、です」
残りの二日、ないし一日半は蔵書室にこもるつもりらしい。あんなの──砦の蔵書室に保管されているのは、小難しい単語が並ぶ生態報告書がほとんどだ。娯楽小説などは無いに等しい──読んで楽しいか、と活字が苦手らしいドナートは嫌そうな顔をしている。「なんならこの書類も片していってもいいぞ」と自分の机の上を指差した瞬間、「機密事項も含まれているのですから、良いわけないでしょう」とソフィアが眉を吊り上げた。
「ルドヴィーコ、お前は?」
「俺は、実家と友人に顔を見せに行くつもりなので、外で二泊してきます」
他の二人が残るというので、半ば“やりにくい”ところはあるが、腹を括って取るしかない。今取らなければ次にいつ休みが取れるのかわからない勤務地だ。
魔界でも休みを取るのは、──いや、あちらは比較的、楽だったような気もする。というか、働く・休む、という概念があっただろうか。今思うと首を捻りたくなる。なんとなくわらわら集まって、なんとなく何かしたり拳で語ったりして、なんとなく散っていくことの方が多いような。
セルジュのように観光開発などと面倒なことを考えたり進めたり、真面目に地域統治する魔界人は本当に一握りだ。しかしそれすらも「働くことは美徳である!」という意識によるものではなく、要は暇潰し、あるいはただの趣味だ。
基本的に、『今日楽しく過ごせたらいいじゃーん。とりあえず戦おうぜー』という連中である。
(…………)
自分もその一味だ、と考えると、少し悲しくなってきた。
ラウラが肩の上でべったりと萎れている間に、休暇の日程は決定したようだ。
一番手にルドヴィーコ、二番手にジェラルド、三番手にランベルトの順だ。
ソフィアが掃除要員を三日後には確保すると言うので、休みは来週からとなった。
というわけで、実家に帰らせて頂きます。