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「団長に報告してくる。ラウラは彼らと一緒にいてくれ。積もる話も……ある、よな?」
無い。そんなものは無い。
大体魔界人が顔を合わせたところで始まるのは、手合わせだ。昔話なんて柄じゃない。
──だから、ついていく。
とは、言い出せない“何か”が、その時のルドヴィーコにはあった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「事情は分かった。魔界人、なぁ」
そりゃあ強そうだな、と笑い飛ばす。相変わらずの豪胆だ。それだけか、と声を掛けたくなる。自分も人のことは言えないが、しかしルドヴィーコとドナートでは立場が違う。
その気持ちは眼差しに表れていたのか、ドナートはにんまり笑う。
「ここは元々、“訳あり”連中が集まるところだからな。──な、ソフィアよぉ」
「そうですね」
ドナートからの意味深な振りをさらりと流すのは、副団長たるソフィアも、美麗な見た目に反して肝が据わっているからだろう。例によって頑丈そうなゴーグルを付けているため、目から感情を読むことはできないが、平然としていることは分かる。
配属先がここで良かった、と喜ぶべきところなのか。他の場所ではこうはいかなかったはずだ。
「だがな、ルドヴィーコ=クエスティ。ひとつだけ確認する」
空気が変わる。答えをひとつ間違えれば取って食われる、そう感じてしまう程の、威圧感。
ギラリと光った獰猛な眼差しが、ルドヴィーコを射抜いた。
「お前の使い魔は、魔界の姫だと言ったな。もし魔界の連中が、人間界に攻め込んだら、お前はどちらにつく」
「──どちらにも」
不思議と、迷いはなかった。
「俺の相棒は蜥蜴だけです。彼女の隣に並びます。それだけははっきりしています。……可能な限り、大切な人達を護りたいとは思いますが」
「場合によっては、俺に歯向かうということか」
「はい」
目を背けそうになる。その衝動を堪えて、真っ直ぐに前を見た。ここで引いてはいけない、と本能が告げていた。
額に汗が浮かぶ。その状態で、しばらく。
「──がっはっは! そうかそうか!」
威圧感が消えた。はっ、と息を吐く。「大丈夫ですか?」と無表情なまま、ソフィアに訊ねられ、首肯で応える。声を出す気力は、まだ無い。
「結構、結構! そのくらい気概がある方が良い! その時が来たら遠慮無く掛かってこい、全力で潰してくれるわ!」
「いや、それは、ちょっと……」
もしこの山のような男が目の前に立ったら、潔く逃げよう。ルドヴィーコは心に決めた。意気地無しと言われようが、構わない。この人は殺しても死なないような気がする。そんな相手に奮闘するのは不毛だ。正面きって剣を振るうことだけが戦いではない。
「しかし、何故貴方はそこまで使い魔に執着を?」
一人大笑いをする上司に目を向けながら、ソフィアは訊ねた。
意識して自然な笑顔を作る。昔からよくやっていた。朝飯前だ。
「理由は重要ではないのでは。知ったところで何が変わるわけでもない。団長も気にしてないようですから」
「……確かに全く興味が無さそうですね」
会話に入ってくる素振りすら見せないドナートを、二人揃って眺める。興味が無いことには、とことん何をする気も起きないらしい。だから机の上に、あんなにも大量の書類が溜まっているのだ。
「そういえば」
ジャンカルロから預かっていた薬を取り出す。任務が終わった今、自分が持っているのもおかしな話だ。ガイルから受けた『もしも自分たちが失敗した時』のことも含め──けれど誰が受け渡し人だったかという情報は伏せて──薬を受け渡された時の話をすれば、ドナートは受け取った薬を顔の前に掲げた。彼の太い指が薬の入った瓶を持つと、えらく小さく見える。
ふん、と強い鼻息。
「お前が持ってりゃいい」
世界的にもかなり貴重な薬だというのに、ドナートはそれを、ルドヴィーコに向けて無造作に放る。慌ててキャッチしたので事なきを得たが、落としていたらどうするつもりだったのだろう。
「“殿下”がお前に託したっつーことは、そういうことだろうよ」
薬を渡しに来た相手がジャンカルロであったことは、話していないはずだが。おそらくクルトから報告が上がっていたのだろう。あるいは、“別ルート”で情報を仕入れる先があるのか。
「そいつは、この国、いや、世界一の万能薬だ。大切に持っておけよ」
渡された意味を、噛み締めろ。そう言われているようにも思った。
手の中にある小瓶を見下ろす。こちらの胸中を知ってか知らずか、厄介な枷を嵌められたものだ、と苦笑する。
「……報告は以上です。それでは、俺はこれで」
旗色がよろしくないことを勘付き、さっさと退室することを決める。手の中に潜めたソレは、自分には妙に重く感じる。
ルドヴィーコは団長室の扉を閉めると、しばらくの間、瞑目した。
『何故貴方はそこまで使い魔に執着を?』
頭の中で、繰り返される言葉。
「ほんとに、なぁ……」
答えは、出ているようで、出ない。もう少しで掴めそうな気もするのに。長く息を吐くと、前を向く。
ともあれ相棒を迎えに行かなければ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
扉の前で立ち止まる。音は聴こえなかった。人の気配も感じない。
──扉の向こうには、誰もいないかもしれない。
その可能性も、考えていた。それならそれで、仕方がない。
少しの覚悟を胸に、開け放つ。果たして、白銀の髪を持つ少女──いや、もう“女性”と称すべきか──は、そこに立ち尽くしていた。髪がふわりと揺れる。縦長の瞳孔を持つ金眼が、ルドヴィーコの方を向いた。
身体に付着した血液は、既に乾いているようだ。頰に固まった赤を貼り付けた彼女に、しかし恐れは抱かない。単純に、そこにいたことに安堵する。
──ただ、それはそれとして。
「この惨状はなんだ?」
壁が若干、傷付いている。その近くにはひしゃげた椅子が落ちている。あれは修理しても、もう使えないだろう。他にも大破した物が多数……。
問われたラウラが慌て始めた。
「私じゃないぞ! いや、三割……? くらいは私だが、それ以外は違う!」
「ふーん。犯人は帰ったのか」
「……あ、あぁ」
自分じゃない、と言いつつも、同郷だからなのか、それともなんだかんだで暴れたメンバーに自分が含まれているからか、ばつが悪そうな顔をしている。
部屋を確保した時から、こうなることは半ば予測できていたので、今更どうというわけではない。修理費や家具の購入費は給料から天引きされるだろうが、致し方ない。
「じゃあま、さっさと片付けて身体を洗うか」
「え、あ……?」
「血の臭い、嫌いなんだろ?」
ぱちぱちと目が瞬く。その後、素直にこくんと大きく頷いた様子に、笑みを浮かべた。
二人掛かりで取り掛かれば、片付けはすぐに終わった。人型から蜥蜴に戻ったラウラは、当然のようにルドヴィーコの肩に乗る。
「ジーノ」
呼び掛けに、どうした、と応える。
「その、……これからもよろしく頼む」
改めてそう言われるとは思っていなかったため、多少面食らう。
「あぁ、こちらこそ。よろしくな、蜥蜴っ子」
手の甲で、蜥蜴の口先にタッチする。挨拶を返しているつもりなのか、蜥蜴は舌を出し、チロチロとルドヴィーコの手を擽る。
いつも通りの──今となっては“当たり前”となったその触れ合いを楽しみながら、ルドヴィーコは足を緩やかに前へ進めていった。
第4章 魔界 過去編[完]
読んで頂き、ありがとうございます。
主人公二名が、改めて相棒として歩き始めたところで、幕を落とします。
さてさて、物語はこれにて折り返し地点。後半に突入!
三桁……実はいかないかもなぁ、と最近の進み具合をチラ見しつつ。
後半もがんばります。お付き合い頂けたら幸いです。




