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帰らない発言に過剰に反応したのは、それまで暴れていたアドルフォとセルジュだった。二人は揃って目を剥く。
一瞬の無音。
直後に、自分たちが作り出した静寂を打ち破って、「なんで!?」「帰りましょう!」とぎゃあすか喚き始めた。
「あー、うるせ」
ヴィゴールが渋面を作り、人差し指で二人が立っている側の耳を塞いでいる。確かにこの合唱は、どちらも大声で主張し合い、かつどことなく不協和音で、正直煩い。
「“なんで”もなにも、お前たちが父から頼まれたのは、私がどうしているか、という“確認”だろう? 帰って来いとは言われていない」
「い、いやいやいやいやいや、口にはしませんけど魔王様めちゃくちゃ寂しそうですよ、ラウラ様!?」
それは否定できないけれども。
だばだばと涙を流して、部屋の隅で蹲っている魔王、もとい父親を想像する。
「しまいには単身、こちらに出向きかねません!」
「あ、阿呆か! 魔王が人間界に、そんなに簡単に来るな。侵略かと勘違いされて、下手したら戦争に発展するだろうが!」
しかも、そこで周囲が止めるならまだしも、なんだなんだ戦いか、とにやにやにまにましながら便乗する輩が多いのが、また問題なのである。筆頭がヴィゴールだ。現に今、「そいつは面白そうだな」とにやにやしている。殴りたい。
「絶対にそれだけはするな、と伝言を頼む。お前なら止められるだろう?」
「う……」
セルジュは昔からラウラの“お願い”には弱い。彼は、ラウラとルドヴィーコを交互に見ると、「あああー」と意味の無い叫びを口から漏らし、しばらく頭を抱え込んだ。やがて渋々であることが明白な声で「……分かりました…」と返事をした。
「他ならぬラウラ様のため。このセルジュ、しかと全うして見せましょう──しかし何故戻られないのです」
その目が、語っている。魔力補給の目的であれば、魔界に戻った方が効率が良いのに、と。
ラウラはむっつり黙り込んだ。
「ラウラ様?──ハッ、ま、まさかそこの男に不埒な真似をされ……!? 弱みを握られているのですねラウラ様ああああ! 私めがお助け、」
「違うわ阿呆!」
脳天にチョップをお見舞いする。慌てていたのでつい思い切りやってしまったが、魔界人は丈夫なのでこのくらい大丈夫だ、おそらくは。そう、おそらく、は。
自分が手加減を誤ったことに動揺しながらも、間髪入れずに続ける。
「に、人間界は! 興味深いからな! この機会に異文化に触れるのも良いと思っただけだ。魔界には、私がいなくても滞る物なんて無いだろう」
「観光事業が──」
「それは頓挫すればいい」
素気無く返し、ラウラは顔を背けた。
「こうして“戦闘もなく”会話を交わしているということは、無理にでも連れ戻せとは命じられていないのだろう?」
連れ戻すことが目的であれば、今頃手っ取り早く勝負を掛けていたはずだ。出会い頭に襲い掛かってきたアドルフォを止めることもしなかっただろう。
「それはそうですが」
苦虫を噛み潰したような顔をしたセルジュが、ルドヴィーコを不躾に睨んだ。
殺気の混じるそれを感じ取ったラウラが、ルドヴィーコを隠すように前に立つ。
「セルジュ、お前、ジーノに、」
「ラウラ」
その声は静かに響いた。自分よりも弱い“人間”。なんの強制力も無いはずの、言葉。それでもラウラにとっては、他にはない、特別な。
──しかし。
それは“いつも”とは、少し違うような気もして。
ジーノ、と呼び掛けたつもりで、口から漏れたのは、音にならない、ただの息だった。肩に大きな手が置かれ、立ち位置が逆転する。
「俺が」
自分よりも、余程高い身長。違和感。ああそうだ、こんな風に、彼の背中を見たことはなかった。いつもは肩に乗り、その横顔を見ていた。
「俺が、ラウラを必要としているんだ。……だから、すまない。まだ帰せない」
真っ直ぐに背筋を伸ばす。そのまま、腰からしっかりと上体を曲げ、頭を下げた。
「ラウラ様の力を利用しようと?」
怒りが滲ませるセルジュに、「そう取ってもらっても、構わない」あくまでも真面目な声で返す。利用? ルドヴィーコが、ラウラを? ピンとこない。どういうつもりなのか。しかし、口を挟むのも憚られ、ラウラはどこに留めれば良いのか分からない視線を、宙に逃がした。
ヴィゴールがセルジュの腕を掴む。そこまでだ、と告げるように。
「このガキだけならまだしも、姫サンも承知してんだろ。魔界人は“生きたいように生きて、死にたい場所で死ぬ”がモットーだ」
「……分かっています」
顔を上げてください、と言えば、ようやくルドヴィーコは上体を戻した。
「別に、“許可”した訳でも、貴方に絆された訳でもありません。が、ラウラ様がそう願うなら、致し方ありません」
あくまでも、ラウラの意思を尊重するだけだと言い切る。「本当は連れて帰りたいのですが」と続いた言葉に、本音が漏れ出ている。
「俺も! ラウラがこっちいるなら、俺もこっちにいる!」
人型に変化し、手を勢いよく上に突き出したアドルフォの頭を、セルジュがスパーンと叩いた。
「貴方は帰りなさい」
「えー、なんでだよ。ラウラが良いなら俺だっていいっしょー?」
ぶー、と突き出す唇を容赦なく捻る。上がる悲鳴をスルーしながら、言葉を連ねていく。
「貴方はラウラ様と違って、魔力補給源がいないのですから、こっちにずっといたら死にます。いかに“死に場所は自由”と言っても、人間界で死なれると後が面倒なんですよ。更に付け加えるなら、私は貴方の意思はどうでもいいです」
などと言っていたが、その心の半分くらいは、ラウラが戻らないことに対する憂さ晴らしのような気もした。
その時はその時だ、とボソボソ反論するアドルフォだったが、しかしセルジュの剣幕に押されているようで、勢いが足りない。
「というか、この私でさえ残れないのに、貴方が残るなんて。そんなこと、私が許すはずがありましょうか!」
「無ぇだろうな」
だんだんとジッとしているのがつまらなくなってきたのか、ヴィゴールはアドルフォの頭を掴んで左右に振り始めた。あわよくば落としてしまおうということなのか。彼にしては非常に“平和的”な手段である。
「だあっ、じゃあ、たまーに遊びに来る! それくらいなら大丈夫!」
ヴィゴールの手から逃れながら、アドルフォが叫んだ。「来られても……」と言い淀むルドヴィーコの発言など、気にも留めていない。
「妨害されても行くからな!」
ドンと胸を張った彼の傍らで、セルジュが大きくため息を吐いた。まるで自分はマトモだと言わんばかりだが、観光事業のことを思い出して欲しい。ことラウラが絡むと、アレ並みに面倒だ。
「悪い、蜥蜴っ子」
前に立っていたルドヴィーコが、突然に振り向く。
「……なんでジーノが私に謝る?」
少しの不快感が伴い、眉を寄せる。謝る必要がどこにある。そも、何に対する謝罪なのか。
ふん、と鼻を鳴らす。
「私はお前の使い魔だからな。精々頼れ」
一拍置き、ルドヴィーコの手が、ラウラの頭に乗る。ゆっくりと髪を梳いていく。
「ああ、──そう、だな」
彼は何故か、困ったような顔をしていた。
“精々”って、嫌味以外の意味もありますよね。
日本語っておもしろい。
さて、この後活動報告でも告知させて頂きますが、作者が今月でなろう歴1年となります!
セルフ祝いとして、10月の蜥蜴さんの更新は、週二にしたいと思います。月曜・木曜となります。
今後とも何卒よろしくお願い致します。




