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「う、うむ。そうだな。その通りだ。さあ話せ。すぐ話せ」
セルジュの首から手を離したラウラは、ぱんぱんっと手を払った。視線が泳いでいるのは、気のせいだ。そのはずだ。
「つってもなぁ」
ヴィゴールが乱暴に頭を掻きながら、嘆息する。
「俺らは、姫サンがなかなか戻らねぇってんで、心配して胃を痛めた魔王サマの命令で捜してただけだぜ」
脳裏に、らうらーあいたたたた、と腹を押さえる父の姿が浮かんだ。あり得なくはない光景だ。むしろ平然としている姿が想像できない。
「最初の内は耐えていらしたんですよ、魔王様。でも数年経つと……待てなくなったみたいで」
「そしたら、人間界で姫サン見たって噂が出てな、ちょうど半年前か? 捜すためにセルジュと二人で、……あー、……なんとかっつー学校? に行ったんだけどよぉ」
学校、という単語に、ルドヴィーコと顔を見合わせる。ハイディーン学園のことだろうか。行ったのか? この二人が?
「……問題は、起こさなかっただろうな?」
恐る恐る訊ねると、「俺にしちゃ耐えた」「嘘おっしゃい。私が止めなければ蹴り飛ばしていたでしょう。相変わらず足癖の悪い」「あ? 校舎入る前にぎゃーすか騒いでたのはそっちだろ」と不安感を煽る応酬が始まった。何かをやらかした可能性だけが濃厚になっていく。とりあえず人選ミスであることだけは確定している。
……もとい。所詮は魔界人だ。誰がなっていても、穏便、とはかけ離れたことになるか。
思わず頭を抱えたラウラを慰めるように、肩にポンと手を置かれた。
「俺、ねえ俺! 俺その話知ってる!」
否。慰める、つもりは無いらしい。
目を輝かせているアドルフォの後ろでは、興奮しているからだろう、飛び出た尻尾が高速ブンブンしている。
余程構って欲しかったようだ。
「その話って、そこの二人が学園に行った時の話か?」
無言で寄って来たルドヴィーコが、間に割って入る。後方に一歩分よろめいたアドルフォは、しかし「そう!」と気にした様子も無くニカッと笑った。
「あのなー、セルジュとヴィゴール、警備の人に不審者だって止められて、結局学校に入れてもらえずにすごすご帰って来たんだ!」
「余計なこと言ってんじゃねーよ」
蹴りが決まった。壁に突っ込んだアドルフォを一瞥したヴィゴールが、チッと舌打ちした。
「大体、なんなんだよあそこは。規則だなんだと、いちいち……堅っ苦しいんだよ。魔界の学校とはえらい違いだ」
そりゃあ、不意打ち、多勢に無勢、得物もなんでも良し! という魔界の学校と比べたら、人間界の学校は“堅苦しい”だろう。
まず、大きな違いとして、学園の敷地内を彷徨くには、許可証が必要だ。首からぶら下げておく必要がある──かたや魔界は『侵入? ドンと来い! 暴れていい理由になるからな!』という精神だ──。
「くれって言ったのにくれなかった」
「だろうな」
いかにもな不審者に、許可証をくれと言われて、素直にあげる程、馬鹿ではなかろう。特にあの学園の警備員は、いつぞやのルドヴィーコ襲撃事件以来、剣術教師に扱かれて、強化されている。
「それで警備員を蹴ろうとしたから、私が慌てて止めたんですよ。まったく」
「お前も最後はキレて相手を絞め殺しそうな顔してたじゃねぇかよ」
「あれは丁寧に説明差し上げたのに、ちっとも融通を利かせようとしない、向こうが問題です」
さも、自分は悪くない、と言わんばかりの不満顔である。
「おい、どっちも同じじゃないか」
ルドヴィーコは呆れ顔だ。そろそろ彼らの性質が見えてきたのだろう。
「そこで、俺の出番って訳だ!」
この二人よりも鼻が効くから、という理由で、魔王城の牢屋に突っ込まれていたアドルフォに白羽の矢が立ったのだそうだ。
「……良いのか、そんな簡単に出して。主犯格だろ?」
「魔界での反乱は、滅多なことが無い限りお咎め無しだ。精々が王に恨まれる程度。いちいち処罰してたらキリが無いんだ」
だから逆に牢屋に入っていたことが珍しい。余程、魔王の腹に据えかねる何かがあったのか。それとも、単にそれ以上暴れられると鬱陶しかったので、押し込めておいたのか。
アドルフォは、阿呆だが、これでもかなりの実力者だ。
野に放った後にまた問題を起こされると、止めるために“それなりの”人員を派遣しなければならない。
なにしろ、アドルフォは三段階の変化ができる程、優秀だ。
三段階の変化ができるのは、相当魔力が強くなければできない。魔王の側近であるセルジュ、ヴィゴールでさえ二段階までなのだから。
とはいえ、三段階目は基本的に力が弱い──まさしく省エネモード、だ。
ラウラやアドルフォのように力が強い場合、獣の姿──竜や大狼の姿を保つためには相当量の魔力が必要となる。通常の魔界人とは訳が違う。
常時その姿を保つことは、いくら魔力を補給しやすい魔界でも無理だ。下手をしたら人型を保つことすら難しくなる。
だからこそ力が強い魔界人には、魔力消費が低い姿がひとつ、必要なのだ。
攻撃力は低いが、その分、探知能力か防御力が高いことが多い。ラウラとアドルフォは、揃って探知能力が優れているタイプだ。
「人間界に連れて来たところで、役立たずだったけどな」
ハン、とヴィゴールが鼻で笑う。
こっちからラウラのにおいがするような気がする! と散々連れ回されたらしい。それも数ヶ月間。こっちから美味しそうな匂いがする! と走り出したことも、同じくらいの回数あったそうだ。
(……って、私と食料は、同レベルか)
それに関して、思うところが無かった訳でも無いが、この際だ。捨て置く。
当然、アドルフォが捜したところで、ラウラが街にいるはずもない。半年前といえば、ルドヴィーコと共に砦にいた。
大変だったな、とラウラは憐憫の視線をセルジュとヴィゴールに向けた。しかしこの二人も二人で、いろいろやらかしているから、お互い様のような気もする。本当に憐れみを向けるべき対象は、それによって迷惑を被った人間界の住民だ。
……しかしながら、この件に関しては、連絡ひとつしなかった自分が根源、とも言える。
そこを突かれると面倒なので、ラウラは口を結んだ。幸い、その事実には誰も気がついていないようであったので。
「そんな状態だったのに、どうしてここが?」
「だってラウラ、一昨日、街に来ただろ?」
アドルフォが不思議そうに顔を捻る。
どうやら、そこからにおいを追ってきたらしい。砦と学園程に場所が離れていれば、探知のしようが無いが、同じ街であれば追うことができる。こと探知に関してだけいえば、ラウラよりもアドルフォの方が“上”だ。
「ああでも、ようやく見つけた、ラウラ! さあ帰ろ! で、俺と結婚!」
「調子に乗らないでくださいね、馬鹿狼」
獣耳をぐわしっと掴んだセルジュが、笑顔でギリギリと押し潰した。痛い痛いとアドルフォが悲鳴を上げる。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ彼ら──否、騒いでいるのはアドルフォ単体だが──に呆れの眼差しを向けてから、ふとルドヴィーコを見やる。
彼は無表情で自分と違う世界で育った者たちを眺めていた。自分を見つめるラウラに気付くと、視線を絡めた。
「…………」
「…………」
無言。ルドヴィーコの瞳は、揺れてなどいなかった。
しばしその瞳を眺めてから、ラウラは毅然とした態度のまま、口を開いた。
「私は魔界には帰らない」
ちなみに、赤青コンビも動物になれるですよー。
本編で出てくるかは……謎ですが!




