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状況を確認したルドヴィーコは、クルトを見やる。この後の行動を決めるためだ。
クルトが踏み出す。ルドヴィーコはラウラと共に防御に回った。
彼の剣技は、とにかく速い。瞬時に方向転換ができるので、予期せぬ攻撃で相手を翻弄するのだ。培った経験もあるのだろう、三匹を同時にいなしている。
「ふっ──」
右脚を軸とした回転と共に放たれた剣は、四肢を切断した。更に止まる時の反動を利用して、背中側にいた一匹に対し、身体を捻りながら袈裟懸けに斬る。そのまま地面に叩きつけると、小刀で地面に縫い付けた。
残る一匹を真正面から迎え入れようとしたところで、鋭い魔力の塊が、腐犬の胴体を貫いた。相当な魔力が込められていたのだろう。貫いた先から傷が広がり腐犬は胴のところで真っ二つとなった。
「やっぱ、ほらー、いいとこ全部取られちゃ、立場無いのでー」
に、とセフィが魔銃を構えたまま不敵に笑った。
最初の攻撃にて前脚を失った腐犬が、ようやく追いついた。
「まとめて還します」
ランベルトが宣言をし、先程還した時よりも大きい魔法陣を作り出す。
呻きが叫びに変わる。光による浄化魔法は、魔に侵された身には辛いのだろう。痛覚が無い彼らさえ、叫び出す程。あるいは既に一度死したからこそ、浄化は無への恐怖に繋がるのか。
短く黙祷を捧げると、一行はまた歩みを進めた。
「それにしても腐犬か……これまで、こんな時間に出なかったはずだが」
クルトの困惑を滲ませた声が、ラウラの耳にも届いた。彼の言う通り、腐犬は通常夜に出現する魔物だ。こんな朝方に活動することは本来あり得ない。
ラウラの察知能力に引っ掛からなかった坑道の魔物といい、何かがおかしい。
魔界で何か天変地異でも起こっているのか。しかしそれならば、もっと魔界人が騒いでいるはずだ。魔界全体が騒げば、さすがのラウラも気付く。
(しかし、今はそれを気にしている場合ではないか)
まずは無事に砦に戻ることだ。油断と雑念は敗北の可能性を作る。どの道、今すぐにできることもないのだ。この件に関しては、安全圏に入ってから考えても遅くはあるまい。
それよりも気になるのは、近くに襲撃者の気配が無いことだ。諦めたとは考え難い。どこぞの魔物と同じで、察知に掛からない特殊な能力でもあるのか、もしくはどこかで待ち伏せをしているのか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
結局その後、砦付近まで辿り着くまでに出会ったのは、魔に侵されていない獣だけだった。
「気を抜くなよ」
クルトの言葉に、ルドヴィーコとランベルトは、改めて身体に力を入れた。ここまで来たのだ。初めての重大な任務を、終了目前で失敗に変わるのは嫌だ。
あと少し、そこで──ざわりと蠢く気配を、ラウラは感知した。
「グルル……!」
警戒音。それに反応し、ルドヴィーコとクルトが剣を抜く。
「ガイル殿」
名を呼ぶ。意図は伝わったはずだ。
三羽のザルダー鳥が同時に駆ける。中央にガイルの乗るザルダー鳥を配置した形だ。光る物が飛んできたことを見て、ラウラは口から炎を吐いた。炎の勢いに押し負けた飛び道具が、ラウラたちの後方で地に落ちた。遠距離攻撃を得意とするセフィも、魔銃をぶっ放している。
「よくやった、蜥蜴っ子」
(フン、この程度朝飯前だ)
自慢げに身体を反る。すぐに激しい揺れに耐え兼ねて、止めざるを得なかったが。
とにかく砦に入ればどうにかなる。ドナートたちの護りは鉄壁だ。
しかし、突然セフィの攻撃が止まった。
「ひ、めさま……? 隊長、姫様が!」
「なに?」
部下の悲鳴に、ガイルはザルダー鳥の手綱を握りながら、前方へと目をやった。視線の先には、確かに黒装束の男に捕らえられた少女がいる。
「そんな馬鹿な……」
信じられない、と言外に滲ませた声が、クルトから発せられた。姫は、彼が敬愛し信頼している団長が警護しているはずだ。あの団長が、負けるはずはないのに。
戦闘においては、一瞬の動揺が、決定的な隙を生む。
「ギャアアッ!」
甲高い悲鳴と共に、クルトの乗るザルダー鳥が崩れ、クルトとセフィが地面に投げ出される。胴体に矢が撃ち込まれている。クルトが崩れたことに、まだ戦場に慣れないルドヴィーコも動揺する。戻るべきか? ガイルも、姫の存在をどうすべきか、考えあぐねているようだった。
「ルドヴィーコ、気にせずに早く砦に向か、」
「──こちらに来てはなりません!」
クルトの声を遮り、鋭い女の声が響いた。姫様、と呟いたのはセフィだ。
拘束されたマリリア王女は、顔を青くしながらも気丈に振る舞っていた。
「何故……」
その言葉は、果たして誰が発したものであったか。
「油断して……申し訳ありません」
悔しそうに顔を歪め、王女は目を伏せる。
「王女を殺されたくなければ、薬を」
「渡してはなりません! わたくしは覚悟できております」
「そんな! いけません、姫様! ああもう、他のやつは何してたのよ!」
セフィの言葉は、王女への制止と、ただただ心からの悲鳴、それから仲間への悪態が混ざっている。王女はその言葉に、目を潤ませた。
「他の者たちは、みなわたくしを護ろうと……。とにかく、薬を早く持って行って! 砦は危険です!」
王女の出現に、完全に動けなくなった。そうこうしている間に、周囲を取り囲まれている。ガイルは苦々しい顔で、唸った。
「姫様を見捨てるなんて無理です。隊長……!」
「落ち着け、セフィ」
取り乱すセフィを一喝する。
「薬を渡した瞬間に、全員撃たれる、という可能性もゼロじゃないな」
「では王女を見殺しに?」
昏く笑った黒装束の男に、セフィの顔がカッと赤く染まった。
「なんですって!」
「セフィ!」
ガイルの声も、しかし、セフィを制止することはできなかったようだ。一歩前に出る。
「あ、く」
王女から、小さな悲鳴が聞こえた。ナイフを突きつけられた首から血が伝う。ただの擦り傷だ。──今はまだ。
「武器を持ったまま近寄るのは止めて頂きたい。……そうですね、全員、武器をこちらに投げてください」
敵に囲まれた状態で、武器を失う。そうなってしまえば、薬を届けることはほぼ難しいだろう。
「……すみません、隊長」
セフィが、自身の魔銃を前に放る。ガイルはしばし目を瞑ると、隠し持っていたナイフを投げた。クルトが手持ちの剣を手放せば、ルドヴィーコとランベルトもそれに従う。
「そちらの使い魔も」
「……こいつは武器じゃない」
ルドヴィーコが怒りに満ちた目で睨み付けるが、相手は表情を変えるでもなく「どちらでも構いませんが……それは武器と同様、危険です」と言い、早くしろと命じた。
躊躇う主に大丈夫だと告げるため、蜥蜴は口を彼の首に押し当てグルルと鳴き、自ら肩から飛び立った。着地点は、ルドヴィーコの剣の上だ。
「その蜥蜴を殺せ」
「止めろ!」
声が聞こえた。聞こえていた。
口元に、微かに笑みを浮かべる。蜥蜴のソレに、いったい誰が気付けるか。
ラウラには、いや、おそらくこの場にいる者が、分かっていた。このままでは、薬を渡し、もし仮に王女が戻ってきても蜂の巣だ。
──だから。
坑道で、ルドヴィーコが死ぬかと思った時に。
(私は、躊躇わないと決めた)
既に覚悟はあった。




