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ルドヴィーコとラウラを目覚めさせたのは、この非常事態において妙に快活な声だった。
「朝だよー。起きろー」
起きないと悪戯しちゃうよー、と続いた言葉に、ルドヴィーコがパチリと目を開ける。「あ、起きたぁ」とケラケラ笑う声に、夢現で聞いた単語を繰り返す。
「悪戯……?」
「そう。例えばほっぺに猫のヒゲを書いたりとかー」
「止めてくれ」
思わず素で嫌そうな顔を作った。その顔がおかしかったのか、セフィは更に笑う。
「と、いけない。こんなことしてる場合じゃないんだった。隊長から、準備でき次第出発するから食事を、って伝言でーす」
放り投げられた食事を受け取ったルドヴィーコは、袋を開けると中身にかぶりついた。
彼女の示す“隊長”は、クルトではなくガイルだろう。とはいえ、“上”が決めたことに変わりはない。
いつも通り、ひとかけらのおこぼれを目の前に差し出されたラウラは、しかしふいと顔を背けた。
「お気に召さなかったか」
苦笑したルドヴィーコが、固いそれを齧る音が響いた。
ふと違和感を覚える。
この音、昨日はこんなにハッキリと聞こえなかったはずだ。
何が違う?
その問いに対する答えは、外にあった。ルドヴィーコも同じことが気になったのだろう。外に出る。
快晴だった。昨日までの砂嵐が嘘のように。見渡す限りの荒野。遠くで、魔物の遠吠えが聞こえた。長く続いた砂嵐が通り過ぎ、腹の減った彼らにとっても、狩りの時間がやってくるのだ。
ガリ、と最後のひとかけらを歯で砕く音がした。
「食べ終わった? さ、行くよー」
元気だと思ったセフィの顔は、どことなく引き攣っている。先程までの態度は空元気だったのだと、よく分かった。
とはいえ、もう砦のだいぶ近くまでは来ている。一大事、という程でもない。荒野を進むと決めた時から考慮には入れていたことだ。
グエ、と元気にしゃがれた声で鳴いたザルダー鳥をブラシで毛繕いしながら、撫でる。
「今日も頼むぞ」
「グエッグエッ」
嬉しそうに鳴くザルダー鳥から視線を外す。ここに泊まった形跡は無いといって過言ではない程に、綺麗に片付けられている。
「ルドヴィーコ、準備はできたか?」
「はい。いつでも出れます」
お前も大丈夫だろう、と確認するように頭を撫でられた。グル、と返事をする。
視界が開けた分、昨日よりもスピードアップして進む。やけに上下するルドヴィーコの運転にもそろそろ慣れた。が、昨日よりもスピードが上がっている分、油断すると酔いそうだ。
なにしろ、本人も「下手したら酔う」と零していたので……。
「前方から、魔獣接近。数は……六です!」
声を上げたのは、セフィだ。昨日は揺れにやられて喋ることもままならなかったが、今日は舌を噛むことはないようだ。
彼女はラウラが警告するよりも先に、正確な数字を告げた。ラウラの探知とは違う、純粋なる“視力”で察知したようだ。
接近速度と数からして、腐犬の可能性が高い。
死亡後、瘴気に当てられ“狩猟本能”のままに生きる者を襲い、死肉を食らう魔獣。その醜悪な見た目と腐臭は、慣れていなければ吐き気を催す。
「セフィ!」
「わーかってますってー」
魔銃を取り出し、すかさず一発。反射的に腐犬たちは反応し、軌道上から左右に跳んで回避する。一匹は左後ろ脚に着弾したはずだが、中程からもげた脚をそのままに、残る三本の脚で駆けてくる。流石にバランスは取れないらしく、速度は格段に遅くなっているが、痛覚などはもはや無いのだろう、『殺す・食らう』の本能のまま前進している。
整列を崩した腐犬の群れは、次のステップで再び同じ位置に戻った。集団で狩りをすることを、身体が覚えているのだろう。
二撃目。走る腐犬の足元に落ちた。意思あるモノ相手なら威嚇になったであろうソレを、彼らは何も気にしない。
「ほんといいな、それ」
ルドヴィーコの羨む言葉は、真剣な響きがある。本気なのだろう。
「悪いけど今回は貸せないよ!」
言いながら、三撃目が放たれた。
距離が詰まった分、軌道は的確になり、腐犬の頭を破裂させた。脳漿が飛び散る。しかし犬の脚は四本とも無事だったので、走り続けている。
──憐れだ。
ルドヴィーコが、ラウラの思考とシンクロしたように、顔を歪めた。いちいち憐憫など抱いている場合ではないのだが。
すぐに思考を切り替える。
ザルダー鳥が怯えたように嘶く。
三羽のザルダー鳥を素早く囲んだ腐犬の姿は、近くで見れば一層醜悪だった。
中途半端に取れた目玉。腐敗し、虫が沸く体躯。肉が削げ骨が見えた前脚。
少し離れた場所でも、腐臭が漂う。──死の臭いだ。本能的な恐怖を誘ったのか、ザルダー鳥は落ち着かない様子でいる。
「蜥蜴っ子、行くぞ」
グル、と返事をした直後、ルドヴィーコはザルダー鳥から降りた。様子見から一転、目の前のご馳走にありつこうと腐犬が飛び出す。
ルドヴィーコの剣が、腹部から斜めに斬り上げる。バランスを崩した身体は後ろに倒れたが、“致命傷”には至らなかったようだ。ボタリとやけに粘着質な液体が傷口から溢れたが、体勢を立て直すやいなや、再び飛び掛かる。もう一匹も、狙いをルドヴィーコに定めたようだ。セフィが頭が吹き飛ばした腐犬である。
前方と左の二方向から迫る腐犬に対し、ルドヴィーコは慌てず、剣を振るった。前脚を完全に斬り落とし、距離を取る。
「正しい死に還れ、光は道を示す──」
ランベルトの詠唱が聞こえた。動きが鈍くなった腐犬の足元に、魔法陣が発生する。この一匹はもう“大丈夫”だろう。
断末魔を聞きながら、ラウラは顔を横に向ける。迫る腐犬に対し、炎を吐いた。炎は腐犬を包み、一気に燃え上がる。跡形も無く、燃やすつもりで。
その末路を見届ける前に、再び視界が大きく動いた。ルドヴィーコが動いたためだ。まだ腐犬は三匹いる。──それとは別に、脚が欠けた個体もまだ動いているが、あれはザルダー鳥で問題無く撒けるだろうし、近寄って来たとしたらランベルトのターゲットとなる。このため、積極的に倒す対象とはせず、あくまで留意するに止めた──。
残りの三匹を相手取るガイルたちは、セフィの魔銃でなんとか牽制しているようだ。
腐犬は、瘴気を放つ。人間が直接触れると毒だ。それ故、体術を扱うガイルには不得手な類だった。
ランベルトの光属性とは相性が良いのだが、彼はまだ素早く動くモノを相手にすることは慣れていない。だからといって足手纏いになるつもりはないようで、状況把握に努め、結果ルドヴィーコを加勢に成功したようだ。
三匹を相手に実質的に動いているのは、セフィとクルトだ。クルトは剣技で応戦するためにザルダー鳥から降りている。三羽のザルダー鳥を護りながらでもあるので、防御に寄っているようであった。
中途半端なところですが、いったん切ります。




