31
国境警備団に配属され、早半年が過ぎた。魔物との戦闘は数回経験したが、初回の任務ほど危険な目に遭ったことはない。むしろ、初めにあれだけ危険な目に遭ったことは、気を引き締めるという観点においては、幸運だったかもしれないとさえ思う。
ただ、怪我せず無事に帰ることができている理由の一端には、ルドヴィーコの日頃の努力もあるだろうが。
強くなる術を、と願い出た次の日から始まったのは、ひたすら自分の身体を苛め抜く鍛錬の日々だった。お陰でこのところ、ルドヴィーコの身体は、他人から見て分かるほど、筋肉量が増えている。体質的な問題か、団長であるドナートのように山のような体型になるわけではなく、あくまでも一見では軽そうな身体である。その実、脱ぐと引き締まった筋肉がついている。これはこれで、王都でも人気が出そうだ。
「……よくやるな、お前」
「僕は流れ弾や剣を避けることができたらいいから」
同期二人は、少々引いている。
強さを求めるルドヴィーコに引いているというよりも、鍛錬メニューを見て「うわぁ……」という反応をしている。
それは何も同期に限った話ではなく、先輩を見ても同じだ。「え、お前あれやるの? マジで?」という具合だ。当然、通常の勤務(普通の鍛錬含む)に追加という形になるので、この反応には頷ける。自分ならやらない、とラウラは思った。
必然的に、ルドヴィーコの肩から振り落とされない練習もすることができた。初めのうちは飛ばされてばかりのラウラだったが、コツを掴んでからは、強引な身体の動きにも対応できるようになった。仮に落ちても、身の安全と隙を見て元の場所に戻る術を身に付けたので、ルドヴィーコとしても、ラウラが落ちたとしても前ほど動揺しなくなった。
「がっはっは! その蜥蜴も根性があっていいな! 主人と同じメニューをこなすか、ん?」
それは御免被る。
蜥蜴は抗議のために、舌をチラチラと出し入れした。
新人いじめは、この無謀な鍛錬をするラウラの主を前に徐々に収束していった。認められたというよりは、異常な体力に引いている、という方が正しい認識だろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──同期三人が半年経っても在籍したままという非常に稀有な状況の中、その話はやって来た。
呼び出されたのは、クルトとルドヴィーコ、それからランベルトだ。
目の前でどっしり構えたドナートの言葉を、クルトが繰り返した。
「……要人警護、ですか」
「そうだ、隣国の王族な」
それなら、自国の近衛騎士団が警護すれば良さそうなものだが。ラウラが内心で眉を寄せるのとほぼ同時に、ルドヴィーコも訝しげな顔をする。
『とある事情でお忍びでお越しになる隣国の王族を国境から王都まで警護せよ』というのが今回の任務だ。国境を越えれば、後は基本的に列車での移動である。逆に言えばそれ以外の交通手段がなく──荒野を歩くのは自殺行為だし、何より目立つ──、待ち伏せされていれば、鉢合わせするのは確実だ。
しかし、荒野を通る以外のルートというと、『かなり遠回りをした上で、魔物が徘徊する山脈を越える』である。これもこれで無茶な話だ。止むを得ずこのルートを選んだ可能性は高い。
「その事情というのは?」
できれば聞きたくない、と言わんばかりの表情で、ルドヴィーコが口を開いた、王都まで送るというのは、王城まで送るということだ。王城には、高確率で王子がいる。王子というと、──つまりあいつだ。うげ、と顔を顰めたルドヴィーコであったが、今は仕事中。軽く頭を振り、雑念を払い除けた。
国境は、一見すると情報が入手し難い場所であると思われがちである。最近の食事や服飾の流行だとか、そういう面においては確かに疎い。
だがしかし、こと政治的な事柄においては、下手に王都で生きている人間よりも知っている。でなければ、警戒のしようがないからだ。
ルドヴィーコは、その知識の山から探し回っているが、今のところ“お忍びで国境を越えてくる他国の王族”に心当たりは無い。
ある程度は事情を把握しておかなければ、適切な対処はできない。しかし情報が無い。だからこそ訊ねたのである。
「隣国リヴォーリアスで、王権争いが起きているのは知っているな?」
「はい。しかし、国王は未だ健在。それに第一王子であらせられるリトマ王子が次期王としてほぼ確定である、と聞きましたが」
つまり、激しい争いが起こっているとは思えない。それに、そのレベルの王権争いは、別段珍しいことでもない。
クルトの言葉に、ルドヴィーコとランベルトも、合わせてウンウンと頷く。
「うちとしても、リトマ王子が王になることを望んでいる。第二王子のクリスト王子は、いささか喧嘩っ早いからな」
後先を考えず、目の前のことに夢中になる傾向のある第二王子が王座についた場合、傀儡政治になる可能性も高い。別段それでも国が安定するならば構いはしないが、どうも第二王子を担いでいる連中は、あまり良い噂を聞かない。
ハイドィル王国としては、リヴォーリアス王国とは、友好関係を保っていく方針である。リヴォーリアス王国は、この国では取れない鉱石が大量に取れる土地を持っている。採掘とその後の取り扱いに専門知識と技術が必要な鉱石であるため、攻め落として無理に配下に置くよりも、交易国として関係を続けていく方が有益である。
「そのリトマ王子が、“病”に倒れた」
「病……ですか」
「ああ、城内では“毒を盛られた”と噂が広まっているがな」
今のところは箝口令が出ており、みな水面下でヒソヒソと話しているレベルだ。ドナートの耳に入ったのは、間諜か、あるいは“隣国の王族”からの情報提供だろう。
「“正解”はどちらでも構わん。問題はその病に対する回復薬が、王都にあるということだ」
「……恩を売りますか。失敗すれば、第二王子が立つ。リヴォーリアスに目を付けられますね」
成功すれば、“絆”を深められる。失敗すれば、敵が増える。要は、諸刃の剣というこだ。
「しかし、その“隣国の王族”の方にはどんなメリットが?」
危険を承知で、王族自らが城を抜け出し隣国まで行くとは、なんとも不可解ではある。
「第二王女マリリア──リトマ王子の血の繋がった妹君だ」
熾烈な権力争いの中、信頼できる者は少ない。兄妹愛か、あるいは今後の自分の未来を切り開いていくためか。
「現在は慰問のために、昨年災害に見舞われたゾーマ村に滞在しているそうだ」
ゾーマ村は、アドアール山脈に最も近い──つまり、国境に最も近い村だ。
事実、昨年ゾーマの地では大雨の被害が出ていたと聞いたが、慰問訪問は建前だろう。土地柄、隠密に薬を運ぶことも難しい。毒は今も第一王子を蝕んでいる。
ならばいっそ、という強硬手段であった。
当然、移動には危険が付き纏う。
そこまで聞き、ん、とルドヴィーコは首を傾げた。彼が口を開く前に、「あのー」とランベルトが恐る恐る挙手する。
「それなら、ゾーマ村、この国境までならともかく、マリリア王女が自ら王都まで行く必要は無いのでは」
瞬間、にまー、とドナートが笑った。よくぞ訊いた、と言わんばかりだ。
地雷を踏んだか、とラウラはランベルトに合掌した。ランベルトは早速、嫌な予感に顔を引き攣らせている。
「何のための、この人選だと思ってるんだ」
何のためでしょう、とは、誰も訊かなかった。いや、訊けなかった。
(せめて人型であれば先陣を切ったのにな。残念だなー)
ラウラは自分が蜥蜴の身であることを言い訳にした。
ルドヴィーコがちらり、と視線を動かすと、不安げなランベルトと目が合う。それから、もはや諦めの境地といった表情のクルトが視界に入った。
──これが付き合いの差なのか。
何故かちっとも羨ましくは無い。
引かれる主人公……。
★7/10 12:35 31話として誤投稿したモノ、削除しました。
混乱された方、大変申し訳ありません。
教えてくださった方、本当にありがとうございます!




