03
噂をすればなんとやら、だ。
「あら、ジーノ。お久し振りですわ」
「……昨日もお会いしましたね、ジュリア殿下」
ジュリア=ハイドィル=ベルサーニその人が、ルドヴィーコの眼前に躍り出た。たおやかな笑顔だが、目が狩人のようである。
「そんなつれないことを仰らないで。どうかジュリアとお呼びくださいまし」
「いえ、そのような不遜、ご容赦ください、ジュリア殿下」
寒いな、とラウラは思った。空気が冷たい。ラウラは、きゅ、と小さな手で服を掴んだ。
「そちらの蜥蜴さんも、元気なようで何よりですわ。どうです、わたくしにも触らせてくださらない?」
物欲しそうな目が、ラウラに向けられた。ラウラは知っている。過去に彼女がこちらを見て、「綺麗な白銀の皮ですこと。剥ぎたいわ」と呟いたことを。そしてそのことは、ルドヴィーコも知っていた。
尻尾は再生可能だが、皮は無理だ。剥がれる段階で死に至るだろう。冗談じゃない。本当に。
以前に攫われた時には、本気で心臓が止まるかと思った。文字通りの意味で。小さい身体でちょこまか逃げて、なんとか助かったのだ。
この娘は、猫より性質が悪い。
「申し訳ありませんが、人に慣れない種ですので」
ルドヴィーコが、触るな、と言わんばかりに半歩下がり、片手で蜥蜴を隠した。そうでもしないと、いつぞやのように掻っ攫われそうだ。
「でも毎日顔を合わせているのだもの、もうそろそろ慣れたのではないかしら」
「まだですね」
「試してみるだけよ。いいでしょう?」
「それには及びません。まだ慣れていないことは、はっきりと、これ以上なく、分かりきっておりますので」
両者が笑顔で牽制しながら、言葉を交わす。気のせいでなければ、周囲の人間は、可能な限り二人から離れたところを足早に通っていく。関わりたくない、という意思が丸見えである。
学園の廊下が、半ば通行止めのような状態になっている。周りはさぞかし迷惑だろう。そう思いながらも、ラウラは、この無能な蜥蜴を護ってくれる主に大変感謝していた。はて、使い魔とは本来、主を護るものだったような気もするが。
「殿下、申し訳ありませんが、次の授業の時間が差し迫っておりますので、失礼いたします」
じりじりと後退りながら、ルドヴィーコは笑顔で言い放つと、もはやこれ以上は付き合わないと、足早にその場を去った。
「やれやれ……蜥蜴さん、お前もなにかと大変だなあ」
掛けられた言葉に、全くだ、と答える。今は力無き蜥蜴だが、本当は高名な魔王の娘なのだから、皮を剥ぐとか止めて欲しい。
ちなみに。
娘の方は蜥蜴に興味があるようだが、息子の方はルドヴィーコに興味があるらしい。
「ジーノ! 手合わせ願おう!」
「申し訳ありません、ジャンカルロ殿下。次は私のクラスは魔法学科の座学ですので、失礼いたします」
二人目の登場に、もはや付き合っていられない、と彼は華麗に礼をすると、さっさと退散した。
人間界の輩も、一部は脳筋だな、とラウラは嘆息した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「見る者によっては、喉から手が出る程羨ましい状態だよな。将来有望だ」
バルトロが眉間に皺の寄ったルドヴィーコを見やり、苦笑した。無論、王宮に入れば、の前提条件が付く。ルドヴィーコは皆が疑いさえしない、その前提を蹴るつもりだ。
「お前は羨ましいか?」
「いやー、俺は良いよ。刺されそうだ」
カラカラと彼は笑う。屈託無く笑う彼は、実のところ剣術はからきしだ。暗殺者など向けられれば一巻の終わりだと笑う。若くして死んでいいからと思う程、出世に興味がある訳でもない。
「程々に楽しく過ごして、長生きして、孫を抱きたい」
「……何をジジくさいことを言ってる」
まだ十八だろうが。
呆れた眼差しを向ければ、「俺は本気だぞ」とバルトロはムッとした。
「でも、周りの輩には、お前を快く思わないやつもいるってことは、心に留めておいた方がいいぜ」
お前のことだから、知ってるだろうけどな。ガシガシと髪を掻く友人に、ルドヴィーコは珍しく微笑んだ。
「忠告、感謝する」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
まさにその一連の出来事が、この状況を暗示していたのではないか、とラウラが思う程、タイミングがよかった。
剣術の実技を終え、程よく汗を掻いた彼が、練習用の剣を教師に返した直後の出来事だった。
突然、光の槍が、突っ込んで来た。無差別では無い、それは真っ直ぐにルドヴィーコへと向かってくる。
素早く動いた教師が、自身の腰にあった剣を目にも留まらぬ速さで抜剣すると、ザ、と槍を斬り捨てた。
「警備は何をしている!」
苛々した口調に、これは人間界では異常事態であるらしい、とラウラは理解した。魔界の学園では普通だ。あそこは基本的にバイオレンスだ。ラウラの在籍中も、力こそ全てだ、とか言って襲ってくる輩が後を絶たなかった。そして教師はそれを止めず、面白がる。
襲いかかってきた身の程知らずは、心底馬鹿にした上で、地面に沈めてやったが。それにしたって鬱陶しかった。
思い出したら、当時の怒りがむくむくと湧き出てきた。光の槍が降り注ぐ中、短剣を手にした男連中がばっさばっさと降ってくる。その姿が過去のあいつらに重なり、余計にイラッとした。
ああ、本当に、本当に、本当に、…………
「────鬱陶しい」
突風が、全てを吹き飛ばした。
光の槍も、不届きな侵入者も、等しくその対象だった。
突然の風に驚いたのは応戦している側も同じであったが、この好機にすぐに気を持ち直した。
「今だ、畳み掛けるぞ──!」
こうして、襲撃は数名の怪我人を出したものの、死者はゼロで収束した。
「警備が鈍っとる! 直々に鍛え直してくれるわ!」
剣術学科の教師の、妙な闘志に火をつけてしまったが……。
「実は国境付近の方が、自分の命を護る意味では、良いのではないかという気がしてきたな」
ルドヴィーコは、無事に寮に辿り着いてから、ラウラに向かって真顔で言った。それは確かにそうかもしれない、とラウラも同意した。ここにいるだけで、こちらにその気がなくとも敵が増えていきそうだ。
……ところで。
つい、人の言葉を口にしてしまった気がするのだが。
ラウラはちらりとルドヴィーコを見やる。
(……バレて、ないよな?)
だって何も言われない。
「……ん? どうした?」
じっと見つめていたら、不思議そうな顔で首を傾げられた。なんでもないよ、という意味を込め、ラウラはぺろ、と舌を出した。
剥がれるのは、嫌です、ね!