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結局、砦の前まで竜が運ぶと、要らぬ騒ぎになる上、ラウラの存在がバレてしまうので、可能な限り近付いた上で、降りることにした。そこからはジェラルドが一人で運ぶこととなる。
地面に降り立つ。ジェラルドがルドヴィーコを支えたことを確認すると、ラウラは一気に萎み、蜥蜴姿でポトリとルドヴィーコの肩に落ちた。ジェラルドはそれだけ確認すると、砦に向かって歩き始めた。
蜥蜴姿になったことで、魔力の消費量が一気に収まる。流石にまだ長時間竜になれる程には回復していない。人間界は魔界と違い魔力に溢れている訳ではないので、そう簡単に空気中の魔力を集められないのだ。
例えば、あの坑道であれば、魔物がうじゃうじゃいたことからも分かる通り、魔力が満ちている。ああいう場所であれば例外だが、そうでなければ、大抵の場所は空気中の魔力が少ない。否、人間や下級・中級魔族にとっては十分過ぎる程だが、上級魔族には、余程燃費が良い個体で無い限り、魔力不足に陥る。
その点でいうと、ルドヴィーコは“燃費が良い”のだろう。普通の人間ではあり得ない程の魔力は、ラウラがごっそりと持って行っても、たった一日で戻っている。だからこそ、ルドヴィーコと共にいると、少しずつ回復をしているのだ。
──しかし、人型を保てる程度になったなら、魔界に戻った方が効率的に魔力回復をできるはずだ。
不意に浮かんだ“正論”に、ラウラは慌てて蓋をした。
正しい言葉は、今は、要らない。
「見えた」
黙々と足を動かしていたジェラルドが小さく声を発した。ラウラはその声に反応し、これ幸いと思考を中断した。前方に目を向けると、確かに砂嵐の隙間の向こうに、いつも生活している砦が見えた。あと少しだ。
──ザッ、と土を蹴る音がした。
その瞬間、ジェラルドは警戒体勢を最大まで引き上げた。ラウラも妙に重い身体を持ち上げる。どうやら竜化は予想以上に体力と魔力を奪ったらしい。しかし、あと少しならば持つだろう。
ジェラルドは物音を立てないようにルドヴィーコの身体を下ろし、体勢を低くしたまま、剣の柄に手を掛ける。心臓の音が、大きく聞こえた。
「──ジェラルド、か?」
響いた声は、見知ったものだった。
「……クルト隊長?」
ジェラルドは確認するような声色で訊ねた。それでも警戒を解かないのは、これまで旅をしてきた中でのノウハウなのかもしれない。
班のメンバーが次々と現れ、その真偽を伺っていたジェラルドは、ようやく警戒を解き、立ち上がった。剣の柄を握ったままなのは、わざとだろう。
「どうしてここに……いや、まずは無事を喜ぶべきか。ルドヴィーコは?」
「ここに。怪我をしていますが、無事です」
クルトは促されるままに視線を落とし、眉を寄せた。腹部に目がいっている。
しまった、と思ったのはおそらくラウラとジェラルド、同時だっただろう。
明らかに血で濡れ、切り裂かれた制服があるにも関わらず、患部と思われる場所には既に傷が無い。──不自然だ。
先に動いたのは、クルトだった。彼はルドヴィーコを軽々と背負うと、さり気なく腹部を隠した。ラウラは慌てて肩にしがみつく。ルドヴィーコの身体が安定してから、彼の背中側まで這って、一呼吸おいた。
「事情は後で聞く。今は砦に戻るぞ」
彼は冷静なまま、他の班員にも帰還の指示を出した。
そうして、初任務は終了した。
ルドヴィーコは、到着早々、医務室に運ばれた。ジェラルドは付き添いという名目で共に医務室へと向かった。実質的には、そこで事情を説明することになるのだろう。
幸い腕の怪我に関しては、それほど深い怪我でも無かったようだ。利き腕ということで、しばらくは不便があるだろうが、命に別状はなかろう、とのことだった。
そうと分かってはいたが、やはり安堵する。ラウラは胸を撫で下ろしてから、未だに固い顔をしているジェラルドを見やった。これからの事情説明は、言えないことが多過ぎる。
「確認したいことは多々あるが……まず、坑道を脱出してから、何故、信号弾を空に打ち上げなかった? 個別に支給していただろう?」
「……信号弾?」
ジェラルドは眉を寄せた。ラウラも首を傾げる。そんなものは知らない。ルドヴィーコだって持っていなかったはずだ。
さっぱり思い当たらない、という面持ちのジェラルドに、クルトは事情を把握したようだ。「……あいつら」と苦々しい顔で悪態をついた。
「魔物に襲われた時に二班が使った、アレだ。本来なら全員に支給されているはずだが、……申し訳ない、両班とも“指導”が徹底していなかった」
新人に対しても、“先輩騎士”に対しても、だ。新人指導は先輩騎士の役目だ。物の支給に関しても説明義務がある。しかし、先輩騎士はそれを意識的にか、無意識的にか、怠った。
生意気な新人を困らせてやろうという魂胆があったのかもしれない。定期偵察は、大きな魔物が現れるようなものでもないから、とも思っていたのかもしれない──この意識も正す必要があるのだろう。定期偵察は、普段と変わらず魔物がいないかチェックする目的もある。当然“不測の事態が発生する可能性”を念頭に置かねばならない──。
当然、最終確認をしなかった班長にも責がある。準備について確認をしなかった新人にも、問題が無かったとは言えない。しかし、それにしたって。
確執が、最悪の形で──命に関わる形で露呈した。嫌な予感は、当たるものだ。
「それにしても、普通なら二人揃って生還することは難しい。……運が良かったな?」
含みを持たせた言葉に、ジェラルドは押し黙った。ちらり、と一度ルドヴィーコを──正確には、ラウラを見る。
「……はい。俺たちは運が良かった」
間違ってはいない。
偶然にもルドヴィーコの使い魔が、強大で、かつ人を運べる能力があった。
偶然にもジェラルドの使い魔が、治癒能力に長けていた。
それを幸運と呼ばず、済ませられるだろうか。
何故、クルトたちよりも早く砦に辿り着いたか。何故、ルドヴィーコの怪我は綺麗さっぱりなくなっているか。
その質問は、突っ込まれても答えられない。ジェラルドにもラウラにも、答えられない事情がある。
しばらく、睨み合いが続いた。
「……まあ、いい。人には触れられたくないこともある。ここは、そういったことには寛容だからな」
だが、とクルトは続けた。
「団長には報告を上げる。その結果、どうなるかまでは俺は知らん」
クルトは、椅子から立ち上がり、「俺はやることがある。お前は少し休め」と言うなり、医務室を後にした。医務室にいるのは、意識の無いルドヴィーコと、ジェラルドとラウラのみだ。
医務室在籍の医師は、空気を読み、先程から席を外している。そういうスキルもここでは大事なのだろう。何かあれば叫べ、あるいはボタンを押せ、と言われているので、いざとなったら駆けつけることができる場所にいるのだろうが。
「ルドヴィーコにも話さないのか?」
ジェラルドが思い出したように、ゴーグルを外した。黒い瞳が、蜥蜴を見据える。いつも通りの無感情な瞳は、けれどどこか責めているようにも見えた。
ラウラは何も返さない。蜥蜴は、言葉を発しない。
しばらく答えを待ったジェラルドだったが、ラウラに返答をする意思が無いと悟ったのだろう、無言のままルドヴィーコの傍を離れ、隣のベッドに身体を投げ出した。
砂が落ちる。ベッドを汚すと、後で怒られるかもしれない。そんなことは、今は誰も気にする気力は無かった。
聴力の発達したラウラにさえ聞こえるか、聞こえないか程度の声量で呟く。
「それは、信頼関係と呼べるのか?」
グサリと、心に刺さる言葉。
余程疲れていたのか、しばらくすると寝息が聞こえ始めた。
「……お前に何が分かる」
ラウラは不貞腐れたように、小さく鳴いた。
他の誰に疎まれたっていい。けれどルドヴィーコには、嫌われたくないのだ。
人のことは言えないよ、ジェラルドさーん。
“言えない”彼だから、口にしたのかもわかりませぬが。




