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「いいだろう」
にやり、とラウラは口元を歪めた。
──久々に、空で思い切り翼を伸ばしたいと思っていたのだ。
魔力を開放する。なんとかギリギリ、砦までなら保つだろう。視界が高く、広くなる。長く伸びた首が天井に当たりそうになり、慌てて前へ傾けた。翼も同様に折り畳む。
坑道中の魔物が、ひどく怯えている。無理もない、と最上位の魔族は思った。いくら知性が低いとはいえ、本能は訴えるだろう。
死にたくなければ、これに関わるな、と。
白銀の鱗に覆われた、スラリとした、それでいて硬そうな体躯。手足の爪は鋭く、人の身などいとも容易く引き裂くことができるだろう。折り畳まれた翼は、もし広げたとしたら、この巨体を支えるだけあって、かなりがっしりしている。身体と同じく鱗に覆われた長い首の先には、厳つい爬虫類顔。金色の瞳が、曇らぬ強い輝きを放っていた。
それはそれは、大きく、そして大変綺麗な竜だった。
その最強の生き物と謳われる竜に逆らうなど、命知らずのすることである。
とはいえ困ったことに、魔界にはその“命知らず”が非常に多いのだが。
自分の死よりも楽しく戦い抜いたかを気にする種なので、ある意味では正常なのか。
肝の据わったジェラルドも、これには怯んだようだ。愉快になって、グルルルル、と唸る。ああ、愉しい。
顔を動かし、前足を見ると、銀の鱗の光沢は、最後で魔界で見た時よりも、艶が戻っていた。それに満足し、また鳴く。
やはり、この身体は良い。
解放感から、思いきり咆哮をしたかったが、それはグッと堪えた。
「……それで、どうしたらいい?」
『ジーノを連れて、背中に乗ってくれ。飛行中に落ちないようにな』
「分かった」
ジェラルドは短く返事をすると、壁に寄りかかっているルドヴィーコの腕を自分の肩に回し、引き起こした。半ば引き摺るようにルドヴィーコの身体を運ぶと、屈んだラウラの背中によじ登り、落ちないようにと紐で繋ぎ留めた。「大丈夫だ」という声を聞き、ラウラは動き始める。
初めはゆっくり。
次第に速く。
一歩分の距離感が徐々に大きくなっていく。
坑道から出た直後、ラウラの身体は完全に地面から離れた。外に抜けた瞬間、砂嵐がラウラを襲う。高度を上げていく。ぐんぐん進んでいくと、やがて砂嵐を抜けた。背中にある違和感は、自分の主がそこにいる証だ。落ちなくて良かった。本当に。
速度を落として、ゆったりと翼を動かす。そうすると、だんだんと楽しい気分になってくる。こうして飛ぶのは、何年ぶりだろうか。召喚されてからは一切無しだったので、余計に愉快な気持ちになってくる。
むずむずと、“吼えたい”という衝動が、心の奥から湧き上がってきた。
──この地において、誰が君臨者たるか。
とくと見よ、この存在を。そうして、知らしめてやりたくなる。
自分がこの地にいる限り、二度と我が主に手を出そうなどと思わせないように。
(身の程を弁えるが良いわ!)
心の中で吼えたのと、現実で吼えたのは、同時だった。
空気を大きく震わす咆哮は、聞いている者に、本能的恐怖を覚えさせる。ビリビリと震える空気を、切り裂いて進む。
ああ、どうせなら、この状況を生んだあの魔物も見つけ出して、成敗してくれようか──
「……蜥蜴っ子……?」
破壊衝動に駆られて踵を返そうとしたラウラを止めたのは、ルドヴィーコの譫言だった。夢と現実を彷徨う意識は、ここがどこか、そしてどんな状況かなど理解できていないだろう。しかし、それでも、ラウラを呼び止めた。
途端に大人しくなったラウラは、黙って砦まで飛ぶことにした。主がそれを望むなら、ラウラはそれに従う。従わなくてはならないから、ではない。彼の望みなら、叶えてやろうと思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
見えない竜の姿を空に探し、男は嘆息した。
「失敗しましたか……」
やれやれ、と肩を竦める。まあ、初めから大した期待はしていなかった。この程度の魔物に、彼女の相手など到底不可能だろう。
男は、自分の下に敷いている、人型獣の魔物と、それからモグラの形をした魔物を見下ろした。人型魔物は既に事切れているのか、ピクリとも動かない。モグラ系魔物も、虫の息だ。
「ぐ……」
か細く声を上げたソレを鬱陶しそうに一瞥すると、男は無造作に手を振り下ろした。急所を貫かれた魔物は、断末魔の叫びを上げると、しばらくビクビクと痙攣を繰り返した後、動かなくなった。
さしたる興味も無さそうに、男は手を上下に動かし続ける。ぐしゅ、ぐちゅという不快な音が、辺りに響き渡った。既になんの意思も持たない骸が、その刺激に反応して、ビクリ、と震えている。
おぞましい光景だ。
「いけませんねえ。私ともあろうものが、生きていると分かるまでに随分と時間を使ってしまいました。お陰で、せっかく削った魔力も6割がた戻っていそうですね」
娘は運が良ければ、あの戦いで殺すか、そうでなくとも無効化するはずだったのに、とんだ誤算だ。彼女の存在感は魔界において大きい。だからこそ、あの戦いを引き起こすことができたのだから。
──完全に復活する前に、計画実行の時期を早めるべきか。
男はそこまで考え、不意に笑った。
「しかしそれでも、恐るるに足らないですね。なにせ、たかが人間に飼い慣らされる程、優しい性格になったようですし」
いざとなったら、その人間を使ってもいい。そうすれば、ラウラすらも自分の手駒として使えるようになるだろう。
むしろこれは、好機だ。
手を下方から一閃すると、魔物の首が吹き飛ぶ。離れた場所で、ゴトリと音がした。男は愉快そうな表情を深めると、闇に紛れた。
ようやく三段階変化!
……気が高ぶっている蜥蜴さん。




