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「……癒しの妖精か」
ラウラが感心したように呟いたのは、癒しの妖精が、非常に稀有な存在だったからである。
一般的な妖精が、“祈り”によって自然治癒能力を高める能力が備わっているのに対して、癒しの妖精は傷自体を治す能力を持っている。
徐々に塞がっていく怪我を見ながら、「しかしこの妖精、まだ幼いな。もしくは弱っているのか」とラウラは小首を傾げた。
妖精は、幼体こそ手のひらサイズだが、成体となると人間と同じくらいの大きさになる。
しかしフィリンティリカは蜥蜴版ラウラよりも少し大きい程度だ。幼体にしては治癒術を使いこなしていることからすると、どこぞの蜥蜴と同じく、弱って省エネモードに入っていると見るべきか。
「……あんた、癒しの妖精に関しても詳しいのか?」
警戒心と期待の混ざった声で、ジェラルドがラウラに訊ねた。訝しみながら、「特別詳しくはない。これ以上は知らないからな。この程度は一般常識レベルだろう」と返すと、あからさまに落胆された。どうやら彼は、この妖精について、抱えるものがあるらしい。
もしかすると、騎士団に入り、この砦に来たことにも起因するのか。
そんなことが頭を掠めたものの、ふうん、と心の中で呟くだけに留める。踏み込んで訊ねる気にはならなかった。
彼とて、蜥蜴に理由を話す気は無いだろう。
そういったことは、ラウラの主が起きてから、彼に話せばいい。
フィリンティリカが腹部から離れた。続いて腕に向かおうとした彼女を止める。
「腕は止血だけでいいだろう」
癒しの妖精は、自分の蓄えた魔力を使って怪我を癒す。幼い、あるいは弱っている彼女にとって、怪我を治すことは、自分自身の身を削ることでもある。
物言いたげなフィリンティリカを「フィー、もう止めておけ」と主人が止めた。「やり過ぎると倒れるぞ」と続けたことから、やはり無理をさせたのだと思う。それでも、彼女がいて助かった。
「気休め程度にしかならないが……」
ラウラは、自分の胸あたりの高さに手を持ち上げた。魔力を集める。手のひらの上に、小さな球体が現れた。集まった魔力が、球体に巻き付いていく。
しばらく空中に留まっていた球体は、やがてラウラの手の上に落ちた。
「持っていれば、少しは楽になるだろう」
妖精は、自力で魔力を回復させる力が無い。だからこそ、花の蜜など、自然界のものから魔力を補給している。
魔王級が自身の魔力によって作り出す魔石は、強大だ。漏れ出た魔力を浴びれば、嫌でも魔力は溜まるだろう。体質に合わなければ、回復量は微かなものだろうが。
ラウラは自身の手に落ちた魔石を、フィリンティリカに押し付けた。
フィリンティリカはあたふたと魔石を抱き留めて、はふう、と息を吐いた。少しだけ、頰に赤みが差した気がする。
どことなく安心したように視線を緩めたジェラルドは、フィリンティリカに戻るように命じた。小さな妖精は、主人の言葉に寂しそうな顔をしてから、こくりと頷く。そうしてラウラに、ぺこんっ、とお辞儀をすると、来た時と同じように、ぽんっと音を立てて消えた。
それを見届けてから、ジェラルドは一変、ゴーグル越しに鋭い目付きでラウラを見やった。
「あんた……さっき、ルドヴィーコのことを“主”と呼んでたが、……あの蜥蜴か?」
何拍か置いてから、「いかにも」と答える。この期に及んで隠しても致し方ない、と思った。
ジェラルドは動揺を押し殺したような声で、「……なるほど」と呟く。予想はしていたが、といったところか。
「“あんた”が“何”なのかは、訊かない方がいいみたいだな」
「ああ。お前だって、訊かれたくないんだろう?」
暗に、お互いに黙っていよう、と持ちかけると、ジェラルドは無言で返した。漂わせる雰囲気が、その提案に同意している。
「……ま、気が向いたら、ジーノに話すといいさ」
そう声を掛けたのは、ほんの気紛れだった。
言葉を交わしたことは無かったものの、一ヶ月は共に生活していたのだ。
今に限ったことではない。普段から過剰とも呼べるほど世界と自分──そしてフィリンティリカを切り離し、内に篭ろうとする彼の様子が、多少気に掛かったのだ。
眠っているルドヴィーコを見下ろす。腹部の怪我はどうにかなったはずだが、腕の傷もある。顔は険しいままだ。
「こいつは、お人好しだからな。お前が何かで困っているなら、きっと一緒になって悩むだろうよ」
「……“お人好し”を利用して、面倒を押し付けるぞ」
それでもいいのか、と脅すような声色で告げたジェラルドに対して、く、とラウラは笑った。
「その時は、私が全力で妨害する。面倒ごとだって、さっさと退ける。今みたいにな。お前が心配することじゃない」
ジェラルドは、目を揺らした。
「…………あんたも大概、お人好しだ」
心外だ、と言わんばかりに、ラウラは片眉を吊り上げた。事実、自分がお人好しになったつもりは、一切無かった。
「私が? お人好し? 馬鹿なことを言うもんだ。私は自分がやりたいようにやるだけだぞ」
お人好しというのは、ルドヴィーコのような他人のために動くことを苦にしない人間を指すのだ。ラウラは魔界人らしく、基本的に自分の欲求通りに動くのみだ。
人間の発想は、よく分からない。
まあいい、とラウラは肩を竦めた。そもそもこんな場所で長居をしている暇はあまり無い。ラウラにだって、時間制限がある。
「とにかく、──ここから出ることが先決だ」
ラウラは気配を巡らせる。今のところ、大きな反応は近くには無い。しかしあのもぐらもどきが自分のレーダーには引っ掛からなかったことを考えると、余裕に構えている場合では無い。救援を期待して待っていては、時間が掛かる。
「もうひとつ提案があるんだが」
金色の瞳が光を放ち、ジェラルドを捉える。
「お前も、怪我無く砦まで戻りたいだろう? 私もなるべく早く戻って、ルドヴィーコを休ませたい。お前が口を噤むなら、私がお前達を運んでやろう」
「できるのか?」
ジェラルドは、臆することなく訊き返した。大抵の者は怯む視線に晒されても、引く様子は無い。それを小気味いいと感じながら、「できなきことは口にしない」と笑う。それもそうだ、と納得した様子の彼は、「あんたが蜥蜴である件と含めて、誰にも──ルドヴィーコにも、他言しないと誓おう」と真摯な声で言った。
人型になってる内に活躍しなくちゃ←ぇ