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「だがよ、ソフィア」
山のように積み上がった書類を摘みながら、ドナートはニヤリと笑った。
「それは、今決定的な衝突を回避してもいずれは必ず起こる。なら、逆に今の内にぶつかった方がいいんじゃねーか?」
どちらかを喰らわねば止まらないのであれば、それまで。強い方が生き残れば良い。今時点で衝突させると、勝率が高いのは、当然二年、三年の連中だが、果たして……。
「せっかく、ちゃんとした清掃をする団員が手に入ったというのに、残念です」
心底残念そうに言うソフィアに、それほどまでに汚いだろうか、とドナートは首を捻った。確かに最近の食堂は、前よりも居心地は良い気がするが。はて。
しかし、それにしても。
「まだ負けると決まった訳じゃねーだろうよ」
「……貴方は、一ヶ月の新人に肩入れしますね」
来た時には、つまらねー、と言っていたではないですか。小声で反論する。「面白くなっちまったんだから、仕方ないだろ」とドナートはシレッと告げた。
「ヨシ、副団長殿にも了承を得たし、決定だな!」
がはは! と笑うドナートに、「全面的に承諾した訳ではありませんけど……」と複雑そうな顔をしたソフィアは、防砂を兼ねた頑丈な窓から外を見た。
今日も鍛錬場では、彼らの訓練が行われている。
ふう、と息を吐くと、彼女は上司に向き直った。
「さてそれでは、私たちは私たちの仕事をしましょう。さっきから捲ることしかしていないその書類に、いい加減目を通してください」
「お前が目を通したんだろ? もうその通りで良いさ」
「駄目です」
定例となったやり取りを済ませてから、仕方なくやりたくもない紙を手に取る。「俺も外に行きてーなぁ」と愚痴ったドナートに、ソフィアは容赦なく「それが終わったらいくらでもどうぞ」と言い放った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「と、いうわけだ。分かったか?」
早朝の鍛錬を終えたところを召集されたルドヴィーコたちは、小隊長であるクルトに呼び出され、初めての仕事として『魔物偵察』の任を命じられた。
無論、新人組で行くわけではない。
ジェラルドが所属する二班と、ルドヴィーコが所属する五班が出動する。後方支援隊でもある、ランベルト所属の四班は、今回は任務から外れる。
元々、難易度は低い任務だ。魔物が巣食う奥地まで行く訳でもなく、単に国境近くの魔物の活動を確認する程度なので、戦闘にすらならないことも多い。
危険度は低いため、新人の初めての仕事としては妥当だ。
懸念点があるとすれば。
(……この空気、だな)
出る杭は打たれる。まさにそれそのものか。
窺うような視線の代わりに向けられ始めた敵意が、業務に支障を来さないという保証は無かった。その危惧はルドヴィーコ達も明確に感じており、表情には出さないものの、若干表情が固かった。ラウラは内心で嘆息する。
「計画実行は、三日後。各自、心の準備をしておくように」
心の準備か。
ある意味で一番困る要求に、ルドヴィーコは肩を竦めた。
結果的にその忠告は非常に重要であった。心の準備が、必要だったのだ。しかしこの時、ここにいる誰もが(それを告げた上官でさえも)、まさか“あんな事態”が起こるなどとは露ほどにも思っていなかったのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
唯一、初出陣から外れたランベルトは、いつも以上に扱かれて戻ってきた同期二人を、自室で出迎えた。
「二人ともお疲れ様。今から掃除だけど、動ける?」
「辛うじて」
ベッドに片手をついたルドヴィーコが項垂れながら答えた。辛うじて、大丈夫?……大丈夫だろうか。本当に。
呻きながらフラフラ歩いたルドヴィーコは、しかし部屋の外に出ると、毅然として歩き始めた。痩せ我慢だ。
この砦にいる“仲間”が、みんながみんな、背中を預けられる対象ではないと、一ヶ月も経てば嫌でも分かった。それならば、弱みを見せることすら、極力避けたい。
今現在、ルドヴィーコが心から信用しているのは、蜥蜴を除けば、同僚たる二名のみだった。
ルドヴィーコの所属する五班には、クルトがいるため、表立った嫌がらせは無いが、ジェラルドのいる二班は、なにかと露骨に敵意を見せてくる。
「俺より、お前は大丈夫なのか?」
「…………別に問題無い」
バンダナとマフラーの間から覗く三白眼は、無理をしているようには見えないが、彼が纏っている荒れた印象よりも余程真面目であることもまた、ここ一ヶ月で分かったことである。
友好的か、と問われると、未だに首を傾げざるを得ないが。仲間としての信頼は芽生えたが、友情は芽生えていないのが現状だ。それはそれで、ひとつの在り方だとも思うが。
歩みは止めずに、話を展開する。主にランベルトが質問し、ルドヴィーコがそれに返す形だ。
「当日は、班ごとに別行動だっけ?」
「ああ、そう聞いてる」
大人数で動くと、魔物に見つかるリスクは高くなる。今回は、対魔物の戦闘が目的ではない。短時間で広範囲な調査をするためにも、少人数で動くことが理想だ。
「ま、坑道に入らなければ危険度は低いだろうから、大丈夫さ」
殊更明るい声で言う。
今回の調査地域であるアドアール山脈には、地下に広がる坑道がある。過去はこの土地も、それなりに人がいたらしい。縦横無尽に張り巡らされた坑道は、その時代の象徴だ。
しかし今は、魔物にとって非常に住みやすい場所となっており、特殊な事情が無い限り、踏み入れるのは自殺行為だと言われている。
「うん、だけど、……気を付けて」
非常に慎重な性格をしているランベルトが、不安を隠さずに言った。「二人は優秀だけど、何が起こるか分からないからね」と眉を寄せる。
「魔物見たら、すぐ帰ってくるさ」
「……ああ」
(いざとなったら、私もいるしな)
心配するな、と伝えるように、グルルと鳴いた。「うん、お前もいるもんな」とルドヴィーコが笑う。
「……“それ”は置いていかなくていいのか」
ジェラルドが、戸惑いを含ませた視線を寄越した。下手をしたら潰されるぞ、とその目が語っている。間違ってはいない。ラウラ自身も、もし魔力が戻っていなかったら、御免被る! と思っただろう。常々思っている通り、蜥蜴は戦闘仕様ではない。馬鹿正直に全ての困難に立ち向かっていると、死ぬ。
しかし、ラウラは自分の魔力が戻っているのは知っているが、ルドヴィーコはどうなのか。
「こいつがいないと、身体が重いんだ。……苦労かけるな、蜥蜴っ子。大丈夫、俺が護るから」
魔王の娘を召喚している代償を、まるで素晴らしい利のように語るのは、本当に彼くらいだと思う。
シラーッ、とした目で見返したラウラの心中に気付く者は、残念ながらこの場にはいなかった。蜥蜴の表情から感情を正しく読み取るのは、至難の技なので、仕方ないと言えば仕方ないが。
ドナートとソフィアの関係性が好きなのですが、なかなかこの二人について触れる機会は無く……。
どのキャラにも、表に出さない裏設定ばかりができていきます。なんたる。