17
部屋は、既にほとんどのものが片付いた後で、ガランとしている。それが余計に、寂しさを誘った。
ルドヴィーコは鞄と卒業証書を机の上に置くと、肩の上のラウラを摘んで、鞄の横に置いてある籠に入れた。布が敷いてあるそこは、ラウラのための部屋みたいなものだ。
制服のコートを脱ぎ、ふとポケットに手を入れたルドヴィーコは、「ああ、そうだ」と声を上げた。彼はポケットから、ラッピングされた袋を取り出した。二つある。その内のひとつを、ラウラの籠に置く。
「コレットから、クッキーだと」
袋には、蜥蜴の一口サイズになっている小さなクッキーが何枚も入っていた。口はリボンで止められ、そこにメッセージカードが挟んである。丸っこい、コレットの文字だ。
『私の大切な友人、ラウラさんへ。
また会える日を、楽しみにしています。どうか、お身体に気を付けて。』
──彼女は、やはり気付いてしまったらしい。
この様子だと、ルドヴィーコには何も言わなかったようだが。
失敗したな。そう思う気持ちと同じくらい、気付いてくれて嬉しい気持ちが湧き上がった。
きっと。本当は。
たくさん喋ってみたかったのだ。
今更ながらそんなことに気がついて、ラウラはポロポロと涙を零した。ルドヴィーコは、泣く蜥蜴を見てぎょっとしている。小声で、「飛膜が出てくるんだもんな……驚かないぞ」と呟く声がした。
それから、優しい声で、囁く。
「また次の長期休暇の時に、顔を見せに来ような」
その時には、ちゃんと顔を合わせて、話すことができるだろうか。
できるといいな、と思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
次の日、無事に荷造りを終えたルドヴィーコと共に、自室を出た。
扉の前の壁に、バルトロが背中を預けて立っている。特に何も約束はしていなかったはずだが。
経営学を専攻することとしたバルトロは、大学部へ進むにあたり高等部寮から出ることになるが、同敷地内に併設された大学部寮へ移るだけなので、これまでの生活とそう大した差は無い。このため、ルドヴィーコと同じく本日中に寮を出なくてはいけないことは変わりないが、朝から活動する理由は無い。では何故、ここに?
「駅まで見送る」
その理由について、彼はそう言った。普段は朝が弱く、休みとなると可能な限り寝ているバルトロが、珍しく起きている。眠いらしく、目を擦りながら、ボサボサの頭を掻いている状態だが。
「とりあえず顔洗ってこい、自室で」
ああ、そうだ。それが良い。ラウラは同意の眼差しで、ルドヴィーコとバルトロを交互に見た。「あー、そうする」と返事をし、ふあぁ、と欠伸をしながら戻っていくバルトロの背中を見送ると、ルドヴィーコは「その間に寮長への挨拶を済ませるか」と別の方向に歩き出した。
ここは三階、寮長の部屋は一階にあるので、バルトロとは寮の入り口で落ち合うことにした。バルトロへの連絡は……まあ、なんとかなるだろう。おそらくは。
寮長には、ラウラも大変お世話になった。
寮長の使い魔というのが、珍しくもラウラ同様、常に召喚し続けるタイプだった。番犬たる風貌の犬だ。
これというのが、隙あらば蜥蜴を一飲みにしようとするので、常に警戒を張り巡らさねばならなかった。
そんな訳なので、“寮長への挨拶”は非常に危険を伴う行為だ。ラウラが身体を強張らせたことを察したルドヴィーコが、大丈夫だと言うようにソッとラウラを撫でた。
寮長は、この時期だからだろう、卒業生が挨拶に来ることは承知の上のようだった。「寂しくなるよ。お前で何人目だったかな。ま、入れや。そこ座れ」という言葉を貰いながら、今後のことについて世間話程度に話す。
部屋の奥で、お座りをした犬が、目を光らせている。ハッハッハ、と荒く息を吐きながらルドヴィーコの肩をジッと見ている。見るな、と言いたい。食べても美味しくないんだから、と。
なるべく存在感を消そうと──それはあまりにも今更のようにも感じたが──身動ぎすらしないように心掛けた。しかし、犬の目は明らかにラウラをロックオンしている。
(今すぐ人型になって蹴散らしたい……!)
到底無理な願いを吐き出し、ラウラはひたすら時が過ぎることを待った。
「それじゃ、騎士としても頑張れよ」
「はい。三年間、お世話になりました」
その願いを叶えるように、会話が終了した。ホッとしたのも束の間、犬が駆け出す。助走を利用し後ろ足で勢いよく地面を蹴ると、真っ直ぐにラウラのところへ飛んでくる。
反射的に魔法で対抗しようとした直後、ラウラの主の手がぐんと伸びて、犬を容易く止めると、落ち着いているのに威圧感のある声を発した。
「こら、ケイル。駄目だぞ」
そういえば、この犬の名前は、ケイルだったな。と最後まで憶える気もなく、ラウラは思う。
ルドヴィーコに捕らえられたケイルはジタバタと暴れ、終いには魔法を発動しようとまでしたが、「ケイル、ハウス!」という本当の主の鋭い声で、途端に大人しくなった。声のトーンから、叱られたことを自覚したようだ。
ルドヴィーコが拘束を解くと、しゅんと項垂れながら、部屋の奥に帰って行く。しかし時折、ひどく物欲しそうにチラチラとラウラを見ることは忘れない。
「お前は……いつもいつも、クエスティの蜥蜴ばかり付け狙って……何回駄目だと言った?」
「くぅん……」
主人の呆れた眼差しに晒されて、ケイルは、ますます項垂れた。それでも本能が疼くんです、と、もし口が利けたなら言ったことだろう。だからといって、食われるのは御免だ。
「犬猫に狙われやすいですからね、うちの蜥蜴っ子は」
「そうなのか?」
「ええ、なのに、この前も──」
目の前で、ルドヴィーコと寮長の話が再開された。それを横目に、ラウラは内心で嘆息する。
本当に、昔から蜥蜴の姿になる度に、犬猫から好かれる体質なのは、どうしたものか。おそらく、濃厚な魔力の残滓が、必要以上に蜥蜴を美味しそうに見せるのだろう。国境でも、自分の天敵は多いだろうか。どうなのだろう。
未来に想いを馳せながら、未だにチラチラとこちらを窺うケイルに、(世話になったな)と念を送る。大概はそれで尻尾を巻いて逃げ出すのに、彼は尻尾を振ってきた。流石は番犬、肝が据わっている。あるいはただの馬鹿者か。
(ラウラ様からお言葉を貰えるとは、大変嬉しく思います。最後に一戦したかったのですが、残念です)
その返事に、ラウラはしげしげとケイルを見やった。……ああ、そういえば、魔界にこんな厳つい顔が特徴の犬族がいたような気がする。
ルドヴィーコが止めてくれて良かった。でなければ、この犬はラウラが蜥蜴である前提など捨て置き、全力で襲ってきていただろう。
蜥蜴は脱力し、そして不意に気付いた。
ケイルが自分の正体に気付いているということは、他の者にも気付かれている可能性があるのだ、と。
いや、それどころか、目の前の犬から情報が流れる可能性すらある。そうなると、魔力不足の身で、我先にと襲ってくる魔界人の相手をすることになる。下手したら人間にも『魔王(の娘)討伐!』などと旗を掲げられる危険性すらある。それは無理だ。そんなの今の魔力ではいちいち相手をしていられない。
となると、まずラウラがするべきは、目の前の蛇口を締めることだった。
わんこ型魔人。ほんとは人型にもなれるよ!