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では今度はわたくしの番ですわね。
とでも言うかのように、卒業式当日の朝、もう一人の殿下であるジュリアと遭遇した。一介の姫君が下駄箱にいるはずがないから、待ち構えていたのだろう。偶然ではない。
昨日の件もあり、身体を強張らせたルドヴィーコに対し、ジュリアはころころと鈴が転がるように笑った。
「そんなに警戒しないでくださいまし。わたくし、非力な女性ですのよ。あんな野蛮なことはできませんわ」
「そうですか……」
彼女の口撃も、なかなかに野蛮だと思うが。
「それで、何か御用ですか」
「あら、今日は卒業式ですのよ。せっかく挨拶しにきたのに、つれないのね」
わたくしと貴方の仲なのに、と誤解を生もうとしている発言をして、ジュリアはまた笑った。どうでもいいけど、チラチラとこちらを見ないで欲しい、とラウラは思った。最後だから、なんて理由で皮を剥がれたら堪ったもんじゃない。
「それで、本当のところは?」
ジュリアは困ったように笑った。「本当に、挨拶よ」と小さな口で告げる。
「貴方には、ジャンカルロと二人、楽しませてもらったわ」
「…………いえ」
全く喜べない、という顔で短く返したルドヴィーコを揶揄うように、「蜥蜴さんにも、ね」と付け足した。完全に遊ばれている。
「──結婚が決まりましたのよ」
静かな声だった。驚いて固まったルドヴィーコに、「正式発表は後になりますから、この話はここだけで」となんでもないように言う。
「これがまた、意外と遠いところですの。なかなか国にも戻ってこれなくなりますわ」
滔々と語るジュリアは、「前から話には上がっておりましたから、別に今更なんてこともありませんけど」と続けながら、ルドヴィーコの顔を覗き込む。
「だから、貴方には是非、わたくしの結婚祝いとして、お願いしたいことがありますのよ」
「結婚祝い? 私が、ですか?」
「ええ、三年間も──いえ、小等部、中等部を入れると十二年間も、同じ学校に通った仲じゃない。それにわたくし、この国のお姫様なのよ?」
だから聞いてくれるわよね、と付き合いの長さと権力を使って脅しに掛かってくる姫君に、この人を国外に出して良いのだろうか、とラウラは思った。上手くやりそうだが、上手くやりすぎてちょっと怖いことになりそうな気がする。
「……なんでしょう」
とうとう観念したルドヴィーコに、ジュリアはにんまりと笑った。
「いつか、でいいわ。いつか、この国の力に──ジャンカルロの力になって欲しいの」
「は?」
「わたくし達の望みは、この国が長く栄えること。その礎となること。……そのために、信頼できる人が欲しいのよ」
真っ直ぐな目をした彼女は、確かに王族の目をしていた。「お願いしたいことは、それだけよ。簡単でしょう?」ところころ笑うと、ジュリアはドレスの裾を摘み、礼をした。
「騎士ルドヴィーコ、お願いよ」
最後に大変綺麗に微笑むと、くるりと身を翻した。
「いつか“王”の隣に立つ貴方と会える日を楽しみにしておりますわ。……その時には、蜥蜴さんがもう少し大きく成長してくれていると良いのだけど」
何のためにかは、あえて訊かない。ただ、その言葉が、ラウラをゾッとさせたのは事実だった。
落ち着けよ、とルドヴィーコは固まる彼女の鼻先を突く。それからやれやれ、と嘆息した。
「二戦二敗。こうも負けが続くのは、珍しい」
バルトロが聞いたら、「お前その発言、下手したら刺されるからな? 気を付けろよ?」と言っただろうが、残念ながらここにいるのは、同じく勝ち続きのラウラだけなので、何事も起こらなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
艶のある茶色と白の壁。上に視線を向けていくにつれ、白の割合が多くなるその壁は、その色合いのためか、開放感があった。
ハイディーン学園、総合体育館。
その場所には現在、所狭しと椅子が並べられている。二千人を優に超えると言われる高等部の在学生、そして本日卒業する卒業生が一堂に会するのだ。
『──卒業生、入場』
響き渡る声。その指示に従い、外で並んでいた卒業生が歩いていく。ある者はまるでなんでもないように歩き、またある者は少し震えながら歩く。ただ誰をとっても、その足取りは、心なしかゆっくりだ。大勢の拍手に迎えられながら、体育館の入場口に吸い込まれていく。
去年は、まだ全員入らないのか、と長い拍手にじんじん痛んできた手に意識を取られていたな、と思う。許せよ、後輩。お前たちもあと一年か二年したら分かるさ。
──中等部の卒業とは違う。
ここからの道では、それぞれの人生を歩んでいくのだ。中には、死ぬまで一生会えない者だっているだろう。会っても、気軽に言葉を交わすことができなくなる者も。
『結婚が決まりましたのよ』
『しばしの別れだ。お前が私の隣でその剣を掲げてくれる日を、待っているぞ』
『信じられるか、これ、明日から見れなくなるんだぜ、俺たちは』
『卒業式の後、少しだけ、お話をしてもいいですか?』
主の揺れる心に気付いたのか、蜥蜴がグルル、と鳴く。この鳴き声は明らかに蜥蜴らしくないから、あまり周囲に聞かせたくないのだが。しかし、主が心配で思わず鳴いてしまったのだろう。心優しい使い魔だ。
大丈夫だ、と返すように、人差し指で撫でた。ザラついた、独特の手触りがする。この蜥蜴とも、もう三年か。長いようで、短い。この高校生活と同じように。
(……コレットとも、きちんと話さないと)
自惚れが強い訳ではないが、特別鈍い訳でもない。彼女が自分に特別な想いを抱いているのは、知っているつもりだ。知っていて、見ないふりをした。彼女は良い友人だったから。
でも、今日は卒業式だ。そして自分はこの地を離れる。すぐには王都に戻れない場所に行く。
だから、話さないといけない。
それぞれの道を、精一杯歩くために。
一歩踏み出す。拍手がルドヴィーコを迎えた。
見上げた体育館の天井は、とても高くて、いつもに増して輝いて見えた。
必死に卒業式のことを思い出す私。