11
「いいですね。私も蜥蜴さんが飛んでるところ、見たかったです」
「一日遅かったな」
コレットは、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「……昨日、ですか?」
「ああ。それがどうかしたか?」
彼女は押し黙った。それからうろうろと視線を彷徨わせた後、ラウラを見る。「ルドヴィーコ様の教室って、確か……」とぽつりと呟き、また黙る。
「コレット?」
ルドヴィーコが眉を寄せると、コレットは慌てて、顔と手を横に振った。
「な、なんでも! ありません!」
「…………」
何かある、という意味にしか見えない。
訝しむルドヴィーコの目の前で、ラウラは嫌な予感がして、じり、と後退りをした。
そんな内心冷や汗ダラダラなラウラを、コレットの透き通った瞳が、再度ラウラを見つめた。
「……蜥蜴さんって、とても綺麗な銀色の身体に、金色の瞳をしてますよね」
びく、とラウラの身体がこれ以上無い程震えた。対するルドヴィーコは、話題を変えられたのだと思ったのだろう、やや納得いかない様子のまま、「まあ、そうだな。綺麗な蜥蜴だ」と言った。
完全に固まるラウラの前で、コレットは、す、と立ち上がった。
「すみません、ルドヴィーコ様、私は次の授業が移動教室なので、これで失礼しますね!」
にこっ、と笑って、コレットは自分のトレイを持ち上げた。彼女が移動教室だからと少し早めの時間に昼休みを切り上げるのはいつものことなので、ルドヴィーコは「あー、もうこんな時間か」と気にした様子は無い。しかし、ラウラにとっては恐ろしいタイミングで話が切れたのである。
そんなに簡単に納得しないでほしい。
無茶な願いを押し付けつつ、ラウラはもう一度、先程の話の流れを頭の中で追った。
(気付いた、のか……? いやでもそれならなんで言わない。やはり気付いてはいないのでは。流石に蜥蜴が人型になるとは思わないのでは!)
ドキドキする心の中で必死にそう考えてみるが、コレットの綺麗な笑みが、頭から抜けない。気付いていない?……あれで? 本当に?
「蜥蜴っ子、何固まってんだ」
ルドヴィーコに話し掛けられるまで、ラウラの動揺は止まらなかった(結局、「気にしても仕方ない。そうだ、なるようになる」と自分自身に思い込ませた)。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その後は、ラウラの脅しも効いたのか、特に問題は無かった。人間界は、短期間でいくつもの問題が起こるところでは無いところのようなので、これが普通なのだろう。
自分が卒業する時は大変だった。これが自由に勝負をふっかけられる最後なのだと言わんばかりに、連日のように「たのもー!」と男連中……どころか、女まで押し掛けてきた。
大抵は一度相手をすれば満足するが、その中でもあの馬鹿は何度も何度もしつこかったな、と思い出す。俺が勝ったら結婚しろよ、が口癖だった。
勝っても負けても、あいつの妻になるのは御免だ。いや、負けないけれど。
「今日でここに来るのも、最後かー」
バルトロがしみじみと呟いた。昼食を食べながら、広々とした食堂を見渡す。いつも通り活気のある場所だ。生徒の笑い声が溢れている。
「信じられるか、これ、明日から見れなくなるんだぜ、俺たちは」
これまでも、今も、これからも、きっとこの活気は変わらないのに、明日からは急にここに自分たちがいないのだ。食堂だけじゃない、教室にも、中庭にも、どこにもいないのだ。
「……ああ」
今生の別れではない。それでも。
「結構、寂しいもんだな」
ルドヴィーコは素直に呟いた。
しんみりとした雰囲気になり、二人は押し黙った。ラウラは、二人の顔を見上げた。グルル、と鳴くと、ルドヴィーコはパッと蜥蜴を見た。それから、ニッと笑う。
「ま、お前とはこれから先も一緒だ。よろしく頼むよ。──バルトロも、戻ってきた時には、顔を出すから」
「おう。……お前、いつ出発だ?」
「一週間後」
もう既に、荷造りは着々と進んでいる。どちらにせよ、寮からは出なくてはいけない。
「バルトロは卒業したら、進学しながら、父親の会社を手伝うんだったか?」
バルトロは貴族であるが、商人の息子でもある。バルトロの父は、所謂成り上がりで、金に物を言わせて貴族の端くれである娘に婿入りしたのだと、新参者に厳しい貴族界では散々言われている。
連中にあの二人のラブラブっぷりを見せてやりたいぜ、と彼はよく笑っていたが。
「ああ、大学部では経営学を学ぶよ。あとは、自分の人脈を広げて、現場で学んで、……ああ、やること多くて今から嫌になってくるぜ」
言いながらも、バルトロの表情は明るい。その様子に、ルドヴィーコは、ふ、と笑った。
「ゼル=バルディ商会も安泰だな」
顔を見合わせて笑う二人に、影が差した。
「ルドヴィーコ=クエスティ!」
屋内の、それも皆んなが集まる食堂だというのに、鞘に収まっているとはいえ相手に剣を突きつけるという、突然の暴挙。これも見納めか、とラウラは思った。しかし、毎度のことながら、この男はあの馬鹿を思い出して、苛々する。
「さあ、我々の最後の戦いをしようではないか!」
「あー、これはこれは、ジャンカルロ殿下……」
ルドヴィーコが面倒臭そうな顔を隠そうともせず、相手を見据えた。そう、この暴挙を許された人物こそ、次期国王の立場であるはずの、第一王子だ。ルドヴィーコが関わり合いたくなくて、辺境の地に行ってまで逃げようとしている相手だ。
今のところ、ルドヴィーコの圧倒的勝利で終わっている相手である。
最後は勝って終わるのだと息巻いているが、勝てる見込みなどないように思える。
こんなのが次の王で良いのだろうか。不安感しか無い。
「ジーノ、どうする気だよ」
「どうするもこうするも」
頭をガシガシと掻く。大衆の前で勝負を仕掛けられ、それがしかも殿下で、しかも最後だからといつも以上にしつこさが増している様子の相手に、ルドヴィーコの選択肢は無かった。
「……では、本日の授業後に」
「なんだ、今からではないのか」
「最後の授業がありますので、ジャンカルロ殿下もご出席なさった方がよろしいかと」
「む、それもそうだな」
変なところで真面目な男である。ルドヴィーコの言葉に剣を引いた彼は、うんうん、と頷いた。「約束だ。忘れるんじゃないぞ」と言うと、彼は颯爽と去っていった。変に姿勢がいい分、妙なところで様になる。
「ジュリア殿下も今日か明日で来るんじゃないか?」
よっ、人気者! と明らかに楽しんでいる様子の友人に、ルドヴィーコは項垂れた。
「勘弁してくれ……」
(ジーノは大変だな。……ん? 私も何か大変なことになっていなかったか?)
ジャンカルロ殿下の登場に、コレットさんに対する恐怖(?)をスッカリ忘れたラウラさん。