01
焦げ臭いにおいが、辺りに充満している。屋根も無く開放的な空間だというのに、そのにおいは霧散してくれない。
それだけ、多くの物と者が燃えたのだ。
(この地は、いずれ悪魔の地と恐れられるのだろうな。──魔界に、“悪魔の地”と呼ばれる場所があるだなんて、おかしいもんだ)
笑ったつもりが、笑えなかった。身体が自由に動かない。自慢である白銀の身体は、砂や血で汚れている。背中に生えた翼にも、いつもの輝きは無かった。
(ああ、参った……)
魔界で、内部戦争が勃発したのは、ここ数年のことだ。それまでは、彼女の父である魔王が正しく治め、たまに人間界を襲うという非常に平和的な世だった。
どうして、壊れてしまったのか。
その答えを知っているから、余計に気が重くなる。彼女は、努めてその部分には触れないようにした。抉られるのは、自分の傷だ。
身体が重い。
いっそこのまま朽ちてしまえたら、この戦争も終わりを迎えるのではないかとも思った。しかし、死ぬのは嫌だな。
彼女は、ふうううう、と重々しく息を吐くと、呪文を唱えた。
視界に映る物が、どんどん大きくなっていく。本当は物が大きくなっているのではなく、自身が小さくなっているのだということを、彼女は知っている。
やがて彼女は、ちんまりとした蜥蜴になった。白銀の鱗に、金色の瞳をした蜥蜴だ。この姿になり、ようやく彼女は、少しは自力で動けるようになった。蜥蜴の身体は燃費が良いので、少ない魔力でもカサカサと動くことが可能だ。
父である魔王は、小さくなった彼女を可愛い可愛いと褒めそやすが、彼女は、小さい蜥蜴に可愛さは要らないと思う。必要なのは、いかに食われず過ごせるか、だ。目に入れても痛くないと父は言うが、目ならまだしも誤って口に入れられては死んでしまう。だから極力見つからずに過ごしたい。
ひとまず、岩の下へ避難しよう、と一歩踏み出したところで、自分の身体に違和感を覚えた。
発光している。いや、確かに元気な時であれば、白銀の身体は発光しているかと錯覚するほど輝くが、しかしこれは何か違う。
とんでもない量の魔力が漂っている。
しかもその魔力は、ちいさな蜥蜴の身体を逃さんとばかりに絡まってくるのである。そんなことをせずとも、体力切れ、もとい魔力切れの身体では、ろくに動けないというのに。
やがて全身を魔力に覆われ、繭のようになった瞬間、シュ、と軽い音を立て、その塊は掻き消えたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ルドヴィーコ=クエスティ、それはなんだ?」
戸惑いに満ち溢れた声が、響いた。
やけに明るい。彼女が目をそっと開くと、闇とは無縁そうな明るい世界が広がっていた。
青い空。非常に澄んだ空気。足元は、明るい緑色を持つ草花が広がっている。チロチロ、と彼女は舌を出し入れした。ここは良いところだ。
ところで、先程の声はなんだろうか。と顔を上方に向け、見渡すと、魔界人とは違う──おそらく人間の集団。その中で、一人前に出ていた金髪碧眼の少年が、苦笑した。髪色は、彼女よりも柔らかさを持った金だった。
「何か、と問われれば──蜥蜴ですかね?」
「何故使い魔召喚で、ただの蜥蜴が出るんだ!」
「犬猫が呼び出されるんだから、蜥蜴だって呼ばれますよ。きっと」
シレッと答えた少年は、周囲の困惑などさらさら気にしていないように見える。
よくよく見ると周囲には、人間だけではなく、人間界や魔界の下級生物や、時折稀有な精霊の姿があった。蜥蜴の姿だからだろう、誰も彼女が魔王の娘だとは気付いていないようである。
「ま、とにかく呼んじまったもんは仕方ない。この蜥蜴さんが俺の相棒だっていうのは、もう決定事項ですよね。使い魔は、自分に相応しいものが一度だけ召喚できるんですから」
少年はへらっと笑うと、彼女に向けて手を伸ばした。
「よろしく、蜥蜴さん。俺は、ルドヴィーコ=クエスティ。ジーノって呼んでくれ」
蜥蜴に向かって挨拶をする姿は、さぞかし滑稽だろう。なにせ相手は、言葉を交わせぬ爬虫類だ。
変な人間、と彼女は思いながら、心の中で返事をする。
(よろしく、人間よ。私の名は、ラウラ=ティグ=オーティ。お前達が恐れる魔界の王族だ。せいぜい食われないように気を付けろ。……このナリじゃ、食われるのは私だが)
自分なりにユーモアに溢れた自己紹介ができたと思うのだが、生憎と聞いてくれる相手がいない。残念だ、とラウラは思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
拾い集めた情報を繋ぎ合わせると、ここは人間が通う学校──ハイディーン学園であるようだった。小等部、中等部、高等部、大学部からなる、ハイドィル王国一の大規模な教育機関だ。
なるほど、魔界の学校と似ているところがある。あちらは血の気が盛んな魔界人も多いので、流血騒動は日常茶飯事だったが、こちらも陰謀渦巻くという観点からいくと、どっこいどっこいだ。
ラウラの主たるルドヴィーコは、ハイディーン学園高等部一年だ。高等部では、魔法学科、剣術学科という実技も兼ね備えた教科がある他、数学や歴史、経済、薬学などの教科もあるようだ。その中に、魔界史学科というものを見つけ、ラウラはス、と目を逸らした。何が話されるのかは知らないが、十中八九自分は悪者だ。
ルドヴィーコは、ハイドィル王国の侯爵家の出らしく、それだけで優良株として注目を浴びている。現に、そこらにいる上昇志向の強いお嬢様からの熱い視線は、共に行動するラウラがすぐに分かる程だ。
初めての剣術学科にて極めて優秀な成績を残した彼は、続く魔法学科において、使い魔召喚に挑戦した。これは、ハイディーン学園の高等部に上がった時の、一大イベントだ。家庭の事情により予め使い魔召喚をしている者もいるが、大半は、初めて自分の相棒と対面する瞬間である。この使い魔のレベルによって、魔法学科における成績はもちろん、学園での注目度、ひいては“階層”が決まるのである。
そして、なんの変哲も無い蜥蜴を召喚したルドヴィーコは、魔法学科において底辺となった。
「あとは魔法さえ使えたら完璧なのに」
いやいや、魔法も使えるんだよ、本当は。
聞こえてくる声に、内心で反論し、ラウラは笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ルドヴィーコは、蜥蜴であるラウラを常に出しておくことにしたようである。
他の人間は、元いた場所に還していることが多い。使い魔の希望もあるし、何より使い魔を出し続けるというのは、相応の魔力を使い魔に払い続けるということである。
「蜥蜴なら、そうそう必要な魔力は少ないはずだから、良いか」
教師は、そう言ったが、しかしそんなはずはない。蜥蜴は何もできはしないが、魔王の娘を召喚し続けるための魔力消費量は途轍もないはずだ。
「お前を出していると、調子が良いんだよな。身体が軽いっていうか」
この人間は、多分馬鹿なのだと思う。身体が軽いとかいう騒ぎではないはずなのに。
お陰で彼は、魔法学の実技は、常にビリだった。当然だ。ほとんど全ての魔力を、この使い魔契約で支払っているのだから。むしろ、倒れないだけ大したものである。
「筋も良いし、素質もあるように見えるのに、どうしてだ……」
かの教師は嘆いたが、理由は単純明快だ。ラウラを召喚しているからだ。
すまんな、と心の中で呟く。
しかし、ラウラにとっては、これほどいい条件は無かった。
彼女としては、早々に戻されては困るのである。なにせ、あちらは戦火の真っ只中で、戦えるのであればそりゃあ帰りたいが、戦えない今は、ただのお荷物だ。いや立場を考えるとお荷物以下だ。
それに、空気中の少ない魔力を取り込んで回復していくよりも、ルドヴィーコから魔力を貰った方が、余程早く魔力が回復する。召喚先に居続けるために魔力を使用する分を差っ引いても、自力で回復するよりも早い。
そんな訳で、ラウラとしては、この少年が何の取り柄もない蜥蜴を傍に置いてくれることに対して、大変感謝していたのである。
始めました新連載!
40話くらいで終わる予定が、すでにズレ気味になっているので……ど、どうしよう。
ゴールだけ決めて、ルート不定のスタートです。
ちょこちょこと更新していきます。
よろしくお願いいたします。