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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

嗚呼、これさえなければ!

作者: 吉舎街

 少女は僅かに顔を赤く染めながら、手の中のものを差し出した。

 薄紅の帯で結ばれた薄絹の袋、その端には国家御用達であることを示す紋章が刺繍されている。間違いなく高級品の類だったが、幼い少女がその価値を正しく理解していたかどうかは怪しい。彼女にとって重要なのは何よりもその中身だった。


 土産として父の親戚に貰ったそれは、城下町で今大流行の焼き菓子……一日の生産量が少なく、欲しいと思っても中々手に入らない逸品だという。食べることがなにより好き、しかも甘いものには全く目がない少女は、それを宝物のように大事に取っておいたのだった。その美味しさはもう既に知っていたから、余計に。


 だから、それを他人に譲るという行為が、食い意地の張った少女にとってどれだけ特別な意味を持っていたのか。


 驚きに目を見開き、けれどすぐ、少し照れたような色を滲ませてそれを受け取った少年が知っていたなら、果たして何かが変わったのだろうか。







 周囲は鉄錆の臭いに満ちていた。紅く染まった大地に転がる無数の魔物の死骸。その中に混じってちらほらと、人々が血塗れになって倒れている姿が見える。国家に反旗を翻したとある魔術師に従い、騒動を鎮圧するためここまでやって来た騎士団に刃を向けた者たちだ。だが彼らにはまだ息があった。


 そう、殺すわけにはいかない事情がある―――彼らは、魔術師の外法によって操られただけの、何の罪もない一般市民だった。

 魔物以外『出来る限り殺すな』という命を守っての戦いは熾烈を極めたが、少数精鋭を誇る騎士団の活躍はめざましく、あれだけ勢力のあった反軍は残すところ首謀者である魔術師と、ひとりの人間だけとなった。


「もう勝負はついた筈だ、……っ、彼女を解放しろ!」

「――――――」


 裏切りの魔術師が騎士の呼び掛けに耳を貸すことはない。言葉を返すことも、また。極悪非道の悪役よろしく、嘲笑を浮かべながら指を鳴らし、また新たな魔物を召喚した。行け、と命ぜられるままに飛び出す魔物たちと……ひとりの人間。

 例に漏れず、“彼女”もまた、魔術師に操られただけの犠牲者だった。他の人々と違うのは、彼女が単なる一般市民ではなく、さる有名な侯爵家の令嬢だったこと。そしてもうひとつ。


「殿下、彼女は私が引き受けます」

「……わかった。だが、気をつけろ、アルフレッド。彼女は――」

「――はい。承知いたしております」


 騎士の集団の中からひとり金髪の騎士が進み出て、令嬢の行く手を遮るように立ち塞がる。邪魔立てされても令嬢は苛立つ様子を見せなかった。その硝子玉のような紫紺の瞳には何の感情も浮かんでおらず、ただゆらりとした動きで、しかし真っ直ぐに金髪の騎士に向けて剣を構える。今までの激しい戦闘で彼女の服はところどころ破れ、乱れた髪が吹き抜ける風に靡いた。彼女の持つ細身の剣、その刀身は常に稲妻のような光を纏っている。

 かの侯爵令嬢は国内有数の魔法剣士だった。女性の身でありながら、地位を持たないそこらの騎士では全く歯が立たないほどの実力を持つ。だからこそ―――今、ひとり残っているのだ。『殺さずに』無力化することが非常に難しい相手であった。


 この戦場は緊迫した雰囲気に包まれている。魔物そのものはたいしたことがなくても、数が多いので決して油断はできない。そしてあれだけの人数を同時に洗脳し操ることの出来る魔術師もまた脅威だった。気を抜けば誰かが命を落とす。『出来る限り』の命令は、所詮、文字通り『出来る限り』だ。誰もが真剣で、誰もが悲痛な覚悟を持っていた。



(っ、ああもう、くっそ格好いいんですけど……!)



 ただひとり。

 親友である王女を庇い身代わりに魔術を受け、自由と意思とを奪われたまま祖国の騎士団と戦わされている……はず、の、当の侯爵令嬢を除けば。





 侯爵令嬢、エリノア・ブランツィーノ。

 その父はかつて近衛師団きっての豪傑と謳われたほどの実力者であり、一線を退いた今でも国王の側近として重要な地位にある。母は隣国一の歌姫だったが、巡業の際父と出会い、大恋愛の末こちらへ嫁いできた。

 兄の一人は騎士団に所属し、もう一人は早くも国政に携わる仕事に就いている。そこに王族に嫁いだ姉と、この春五つになったばかりの天使のように可愛らしい妹を加えた七人家族の次女として、彼女は生を受けた。


 内向的で少し陰湿、割と根に持つ性格をしているとは自他共に認めるところ。特に、食べ物の恨みは十年忘れない。

 漆黒の髪と紫紺の瞳は父譲りで、容姿もまたそうだった。他の家族は皆金髪碧眼の母親に似ていて美男美女の集まり、しかも性格は真逆、という、絵に描いたような「いかにもな」家庭で育ってきた。


 幼い頃は他人のやっかみも含んだ心ない言葉に傷つきもしたが、学校で剣や魔法に興味を持ち、それにのめり込んでからは諸々が吹っ切れ、全く気にならなくなっていた。時が経つにつれ実力者である父への憧れが強くなる一方で、女らしくないと母に叱られながらもエリノアは己の好きな道を歩んでいる。




 兄姉が卒業した数年後同じ学校にエリノアも入学したのだが、周囲からは不思議と覚悟していたような『期待』は掛けられなかった。しかし学校で耳にする彼らの噂、というか武勇伝を耳にすれば、彼らに相当な重圧が掛けられていただろうことは簡単に推察できた。

 母譲りの美しい容姿に、次々と期待に応えてしまえる実力―――。あそこまで突き抜けられたら、正直妬ましさよりも誇らしい気持ちの方が勝る。


 あの両親から生まれたという『価値』はどうしたって他人の期待を生んだ。実技はまだしも、座学などは科目によってはからきし駄目だった彼女が、彼らと同じ期待を掛けられていたなら? 想像だけでぞっとする。早々に潰れて家に引きこもる未来が見えるようだ。


 同じブランツィーノ家の人間なのに、なぜ彼女だけそういう期待を掛けられなかったのか。後々のために兄たちがしっかり釘を刺したとも、姉がにっこり“お願い”したとも、とにかく色んな話が混ざっていて噂は当てにならないし、本人に聞いたところで答えてはくれまい。

 とにかく、ありがたいことにエリノアは特別視されることもなく上手に学校に溶け込めた。そう、全てが順調だった。



 恋愛にも女子の楽しいおしゃべりにもまったく興味がない、剣を振り回すだけが能の堅物令嬢―――などと、なぜか突然周囲に決めつけられるまでは。



 父は厳しい顔つきをしており、娘であるエリノアも彼に似て華やかさなどない容姿だ。ぶっちゃけ近づきにくい印象だった、と、友人達は口を揃えて言う。ややつり目かつ三白眼気味なためか級友にもよく睨んでいると思われ、一時期「睨んでないですよ」が口癖になってしまったこともある。どうでもいいことだが。





「埒があかん、くそ、奴の結界を狙え!」

「お前達は負傷者を離脱させろ、急ぐんだ!」


 親友である王女に話があるからと城に呼び付けられ、彼女の私室でささやかなお茶会をひらいていたときに襲撃にあった。護衛は他にもいたが、向かい合って座っていたエリノアが一番距離が近く、けれど咄嗟に庇うことでしか守れなかったのはとても悔しい。おかげでこの様である。魔術師によって自由を奪われたこの身体はとうにエリノアの手から離れていた。とはいえ魔術師が直接操っているわけではないので、相手の殺気を受け、ほぼ本能で動いているだけの人形と化している。


「―――アルフレッドっ!」


 殿下の命令通り『出来る限り』殺さないよう動く金髪の騎士の隙を突いて、剣の柄をそのお綺麗な顔に叩き込む。防御されたが殺しきれなかった勢いに彼の身体が数歩分離れたが、すかさず距離を詰め、刀身を振り下ろした。もちろん、わかりきったことだが、そこにエリノアの意思はない。彼の仲間がその名を叫ぶのをどこか遠くに聞いている。


 前述したように、エリノアは実技の成績はとても良かった。同学年の女性の中では最も成績が良く、また性別を問わなければ五本の指に入るくらいだったと自負している。ゆえに、時折行われる級対抗大会で、主席のアルフレッドと対戦することが多々あった。

 彼はまともにやりあって勝てる相手ではないが、こういう大会には大抵条件が設定されている。『これとこれを使って』あるいは『これとこれは使わずに』――となると、四度に一度くらいはエリノアに軍配があがった。


 対戦相手が誰であろうとわざと手を抜くことなく、また勝敗に関わらず、終われば互いの健闘を称えあう彼の律儀さ、礼儀正しさはまさに騎士の鑑と言うべきもの。普段はろくに接点のない彼の進路を知っていたわけではないが、当然そうなるだろうと思っていたし、実際彼はその実力を認められ、現在最年少で第一騎士団の副長に就任している。



 学校に通っていた頃、エリノアはただの小娘だった。何の変哲もない、少し実技にのめり込みすぎて日々生傷が絶えないだけの、年頃の娘だった。周囲が主席のアルフレッドを持て囃すように、エリノアもまた彼のことを好ましいと思っていたし、実を言うと憧れてもいた。誰かが彼を格好いいと騒げば全力で同意したくなるし、素敵だとうっとりすれば、その気持ちを分かち合いたいとも。


 だが、しかし、なぜか周囲はそう取らなかった。大会でよく彼とやり合っていたせいなのか、何か他に理由があるのか、とにかく荒唐無稽な噂がいくつも飛び交ったのだ。最初こそ堅物令嬢、冷血、冗談が通じない、などなど彼女の性格に関するものしかなかったが、次第にエリノアとアルフレッドとを一纏めにしたものが増えていった。

 二人は大層仲が悪い、なんて噂はまだ可愛い方で、中には顔を合わせるだけで武器を抜き決闘を始める―――と、意味不明なものまであった。そもそもそれは校則違反だという突っ込みはさておくとして。大会以外ではほぼ接触がない相手との噂にただ困惑するしかなかった。


 流石に卒業間際には、切磋琢磨する好敵手、のように柔らかなものに落ち着いたが、本当にあれは何だったのだろうと今でも思う。とにかく、その妙な噂のせいでエリノアはひどく不憫な思いをした。彼女がいると誰もアルフレッドの話をしようとしないのである。

 全然構わないのに、むしろぜひどうぞと期待しているにも関わらず、変に気を遣われて皆の「今日のアルフレッド様」談義に参加できずじまいだった。



 とある日、級友達が珍しくエリノアがいるときに「同学年の中で誰が一番かっこいいか」という馬鹿話を楽しげに始めたことがある。こういう話で出る名前などたいてい決まっているものだ。

 そう経たずにアルフレッドの名が出てきたとき、エリノアは躊躇なく『ああうん、格好いいよね。すごく』と心の底から同意した。笑顔もつけて。もしかすると少し前のめりになっていたかもしれない。だがしかし。しかしだ。

 彼女の言葉が教室に響くや否や、しん、と突如全員が一様に押し黙ったのである。沈黙は数十秒にも及び、やがて中の一人が、やや遠慮がちに、顔を引き攣らせながら、

「リノ、な、なに企んでるの? ……夜襲?」

と言い出した時には、割と本気でへこんだものだ。




 学校に通っていた数年間、何度、こうして対峙しただろう? エリノアはアルフレッドの剣筋を覚えている。どう動き、どういなし、どう切り込んでくるのか。身体の支配権を奪われていても、意識せずとも呼吸するように容易く、それに合わせることができた。


 激しい剣戟の度に、身体の組織が壊れていくのを感じる。元々、アルフレッドと真正面から打ち合うなど大抵三分までが限度である。技術はそうそう劣っているとは思わないが、何より体力の差が大きい。男と女。その差を埋めるほどの筋力はエリノアにはない。

 だというのに、今こうして何分経っても無様に弾き飛ばされることなく打ち合いを続けていられるのは、あの魔術師のかけた術が、この身体の制限を無理矢理外しているのだろう。

(ああ、もう、―――なんて表情(かお)

 ぞくぞくする。一瞬たりともエリノアから外れない強い視線は、見慣れぬ殺気を乗せている。それだけ余裕がないということだ。それだけ、……普段とは違うということ。


 ああ、認めよう。勝敗に関わらず、大会でのアルフレッドとの勝負はどれも楽しいものだった。そして同時に、ひどく悔しいものでもあった。自分が男であったなら―――男でなくても、彼に匹敵する筋力や体力があったなら―――。夢想したことは数知れない。


 魔法剣士の本領発揮とばかりに、短い詠唱で呼び出した魔力の“矢”を遠慮なく打ち込んでいく。意識はともかく、身体は相手を本気で殺しにかかっていた。自らの持てるあらゆる術を駆使して目の前の存在を殺すために動く。弾かれる。避ける。切り込む。無理矢理力で押すと、ぶしゅ、と嫌な音がして背中のどこかの肉が裂けた。


「――――っ!」


 痛ましそうに顔を歪めたところで、彼のその端正な顔立ちが損なわれることはない。反則的な格好よさである。格好いい。よすぎる。この身体は二度ほど彼のお綺麗な顔を殴ったが、痣も傷も、更に男前度が増す要因になるだけだった。どこからどう見ても感嘆に値するほどの見目麗しさ。

(なんというか、絵になるっていうの?)

 身体が勝手に動くので戦略を自分で考えなくてもいい分、たっぷり舐めるように観察できるのは良かった。アルフレッドの滅多に見られない姿を内心にやにやしながら至近距離で堪能しつつ、……終わりが近いことも感じている。


 相手がこちらを殺さないよう手加減していたことを差し引いてもよくもった方だった。まったく、こんな状態、剣を握れていること自体奇跡である。

(魔力も底をついてるしね。普通なら、とっくの昔に気絶してる)

 意思のない人形はまったく遠慮がない。痛覚がないからか深い傷を負っても動き続け、魔力だけではなく命を削り始めても全く止まる気配がなかった。エリノアにとって―――非常に都合がいいことに。


 掛けられた足払いを、距離を取ることでかわし新たな詠唱に入る。今度は長い、長い、『エリノア・ブランツィーノ』が扱う魔法の中でも最上級の部類に入るもの。もちろん、魔力が底をついた状態で使うものではありえない。魔力が足りないなら、命を、魂を削るだけ―――止められないことは十分理解していたし、アルフレッド一人なら確実に直撃は避けられるだろう。だが、他の人間は知らない。この魔法は効果範囲が広い。さあどうする?


「やめるんだ、そんなことをすれば、君はっ……!」

(あ、殿下も頑張ってる。うわ、今、魔術師直接蹴り落とした)

「―――  !」

(あっちはそろそろ終わるかな。ああ、こっちも、いい加減、終わらせない、と)


 剣を握る手がぬるつく原因は汗か、血か。吹き荒れる魔力の風が周囲の音を掻き消していく。詠唱はまだ続いている。続く、うちに。

(被害が出る前に)

 アルフレッドが剣を構える。魔術師によって能力を底上げされた魔法剣士相手に、手加減などしている場合じゃないと流石に理解しただろうか。その切っ先は間違いなくエリノアの心臓を狙っていた。


 それでいい、と彼女は意識の中だけで頷く。

 『出来る限り』は所詮、『出来る限り』でしかないのだから―――。












 生きるわけにはいかないだろう、と思っていた。身体の支配を奪われた直後はまだ楽観できる余裕があったが、意識がはっきりしない頭で他の洗脳された人々と共に騎士団と相対した時点で、落としどころはひとつしかないと知る。

 高貴なる義務だかなんだか、とにかく騎士団を率いて前線に立ったのが殿下――この国の王位継承権第一位の王子様――であるのを目撃して、エリノアは覚悟をしたのだ。


 いくら自分が侯爵令嬢であろうとも、いや、侯爵令嬢だからこそ見逃してはくれまい、と。


 いかなる事情であれ、国家に弓引いた者を赦す法律などありはしない。他の一般市民と違い、戦闘の中何人もの騎士を傷つけた。まして殿下に剣を向けるなんて、…………。

 そういうわけで、覚悟はした。次に考えたのは、いかに家族に迷惑がかからないようにするか、である。何もかもうまく収めようとするなら、あの場で幕を引くのが一番いいと思った。そうすればエリノアも哀れな被害者の一人になれる。悲劇を彩る一背景として埋没できる。

 筈、だった。


「そういうことだ、いいねエリノア。こら、起き上がらなくていい、楽にしなさい」

「……いえ、でも、お父さま」

「謹慎といっても、名目上そうするしかなかっただけだ。特に屋敷に閉じこもる必要はないが……」


 しばらくは身体を治すことに専念するように、と父であるブランツィーノ侯爵は一年という謹慎期間を提示しながら苦く笑う。告げられた内容が意外すぎて反論しかけるも、宥めるように身体を押さえられ黙るしかない。厳格な見た目と裏腹に、父親としての彼は、家族への愛情に満ち溢れている。心配を掛けたという自覚がある以上あまり強くは出られなかった。


 ひとりの魔術師が起こしたあの事件から一月もの間、意識不明の重体でずっと生死をさまよっていたと、枕元で母に号泣されたのは記憶に新しい。目覚めは最悪、経過も最悪、怪我が痛すぎて寝台の上で身動ぎひとつ出来ない生活が何日も続いた。

 しくじった―――そう思ったのはいつだっただろう。自力で寝台から起き上がれるようになって、固形物を食べられるようになってから、か。


「なぜ……謹慎、なのですか」

 エリノアは語調を弱めて理由を問うにとどめた。

「……。不満か?」

「彼らと違って、私は自分が何をしたか覚えています」

「―――」

「それに、沢山の方を……傷つけました」


 アルフレッド様を筆頭に、と付け加えて口を閉ざす。ここで一年という謹慎期間の長さは重要ではない。謹慎という罰則そのものがおかしいという話なのだ。彼女がしでかした事に対して罰が軽すぎる、という点で。情状酌量の余地ありと判断されたとしても、まだ。

(もし……もしも、何かの取引で得られた恩赦なら……!)

 それが、家族が何らかの犠牲と引き換えに得た「謹慎」であるならば、絶対に自分を許せない。


「―――っこの、馬鹿者!」

「いった!?」


 目の前に星が散る。痛みに思わず頭を押さえて見上げると、心底呆れたという様子を隠しもせずに溜息を吐く父の姿があった。緩く握られた拳が少し怖い。


「お前はまたそういう……いや、今はよそう。ともかく、これは陛下がお決めになられたことだ」


 余計なことは考えず、何よりも怪我を治すことを優先して休めと彼は言った。さほど力を込めてはいなかったとはいえ、九死に一生を得た怪我人に拳骨を落とす人が何を言うか。なんて、冗談交じりのふざけた言葉が頭に浮かぶまでには回復してきている。

 誤魔化された気がしないでもないが、食い下がることはしなかった。あの兄と姉の親だけあって、この人は言わないと決めたことは何があっても言わない。買収もされない。拷問も効かない。敵に家族と国とを選べと迫られたら、迷わず国を選んだ後に家族の後を追うような人だとエリノアは思っている。


 夜にまた来る、と言い残し、父は仕事場へと戻っていった。例の事件で浮上した案件が非常に厄介で、今も北へ南へと人をやるのに忙しいらしい。

 謹慎、か。エリノアはそう呟くと、父に負けず劣らずの深い溜息を吐いた。家の名に瑕をつけないで済んだのだろうか? 外のことが分からないので判断がつかない。もやもやする。仕方がないので気分転換に新鮮な空気でもと、少ない体力と相談しながら寝台から降り、じりじりと壁伝いにゆっくり庭へ向かうことにした。




 城内の医務室からほど近いところにある庭園は他のものより小さいが、花の種類は多い。治療訓練も兼ねた散歩場所として医師に薦められたここは、何の娯楽もない生活に安らぎを与えてくれる。人があまり寄り付かないというのも好感があった。

(……え?)

 けれど今日に限っては違ったようだ。壁に手をつきながら歩くその先に、ひとりの青年がこちらに背を向けるように立っていた。後姿からでもわかるその格好よさには見覚えがありすぎた。奥の花園と相まって、まるで一枚の絵画のよう―――。庭園の花を愛でているのだろうか、じっと外を見たまま動かない彼の右手に握られているのは。


 赤い、薔薇の、花束。



「――――っ――」


 ざっと頭が冷えた。憧れ……の人の、滲み出る格好よさに知らず浮き足だっていた心がすう、と静まる。

 第一騎士団副団長、アルフレッド・ブラックウェル。エリノアは彼を好ましいと思っている。見た目はもちろんのこと、その高潔な性格も洗練された仕草も、戦いの際に見せるあの獰猛な一面も、知れば知るほど素敵な人だと思う。

 けれど唯一、そう、唯一、たったひとつだけ、どうしても受け入れられないことがあった。


「…………アルフレッド様」

 いつまでも気付かない騎士殿へと呼び掛け、こちらに注意を向けさせる。自分でも驚くくらいの低い声が出た。

「エリノア嬢! ああ―――」

「仮に」

 振り向き、こちらを認め、何事か言いかけた彼を問答無用で遮りぶった切る。

「仮に、責任を取るというお話でしたら、今すぐ残りの髪を切りますが」


 髪を切る、それは修道院に入って俗世を捨てることと同義。ちなみにエリノアの長い黒髪は今、ちょうど左半分にあたるところがごっそり顔の輪郭に沿って切られている。

 あの日アルフレッドは最後の最後までエリノアを生かすことを諦めず―――結果、彼女は髪の毛半分と引き換えに、命を救ってもらったのだ。彼は切り落とした髪を集め保管し、付け毛にできるよう計らってもくれていた。

 最初に見舞いに来てくれた時に渡してくれたのだが、まったく、律儀すぎるにもほどがあるだろう。魔法剣士として色々奇異な目で見られることの多いエリノアにとって、とてもありがたいことだったのは事実だ。


 その命の恩人に何を言っているのかと思われるかもしれない。だが自意識過剰と言う勿れ。この男は、紛うことなき本気で、心の底から、こんなふざけたことを言ってのける奴なのである。薔薇の花束などというベタなものを用意して!


「……傷が残ると、聞きました」

「あの状態で残らないほうがおかしいでしょうね。助かったこと自体、奇跡のようなものですから」


 責任云々をまったく否定しないとは恐れ入る。本人は真面目な話をしているつもりだからより一層性質が悪い。殿下の命を守って受身ばっかりでろくさま攻撃してこなかったくせに、何が責任だ。


(もうね、阿呆かと馬鹿かと。あんたは人を助ける度に求婚するのか?)

「その理屈で言うと、私はあの魔術師に責任を取ってもらう羽目になりますけど?」


 話にならないと一蹴して、エリノアは庭園に置かれた椅子に腰掛ける。じっと立っているのはまだ辛い。その際流れるような動きで手と腰とを取られ、座るのを助けられた。こういったさり気なく渡される恩着せがましくない優しさも本当に―――好ましいと思うのに。




 ずっと、ずっと昔のことだ。

 剣も魔法も知らなかった頃、外で友人のひとりも作れないエリノアは屋敷に篭ってばかりで、食べることが日々の一番の楽しみだった。特に甘いものを貰えば、自分の、と確定したものは滅多に誰かに譲らなかった。

 そんな彼女が一度だけ、他人……認めたくないが、目の前の阿呆騎士だ……に秘蔵のお菓子を渡したことがある。けれどそれは彼のところにとどまることなく、最終的には見知らぬ少女の手に渡った。アルフレッドの友人ですらない、ただの部外者の手に。


 その子のお腹が空いていたから、ならまだ許せた。百歩譲って、少し分け与えただけならここまで苦しくはなかった。


 泣いたから。それが欲しいと、泣いたから。ただそれだけの理由で、お優しい彼はエリノアの心でもあるそのお菓子を袋ごと横流ししたのである。彼になぜ秘蔵のお菓子を渡すことになったのかは全然覚えていないが、あの時の胸が潰れそうなほどの悲しみは今でも鮮明に覚えている。




 今回の彼の態度は、あの時のものと何も変わりはしないのだ。今ここに座っているのがエリノア以外の『誰』であっても、同じ提案をしただろう。その美しい薔薇を手に。魅惑あふれる(かんばせ)をわずかに歪めて。


「そんなことより、少しお聞きしたいことがあるんですけど」


 わざわざ高そうな花を手に入れたのに徒労に終わって申し訳ないと……ああ、全然思わなかった。エリノアは少々強引に話をすり替えつつ、折角の情報源がやってきたのだから活用させてもらうに限るとにっこり笑ってアルフレッドに向き直る。未だ納得していなさそうな様子は全力で見なかったことにした。


「さきほど、父が来て―――」

「侯爵が?」


 嗚呼、貴方の、そういうところが。

(―――本当に、大っ嫌い)









 後日。


「んで? アル。どうだったよ」

「……いや、考えてももらえなかった」

「うっわ、マジかよ! お前でそれって、―――ガチで噂通りの堅物じゃねぇか」


 町外れの酒場で落ち込む男と――――


(確か、魔法研究所管轄の騎士団からも就職の話があったはず……)

(合同演習あったっけ?)

(あ、そういえば姫様の話って結局なんだったんだろう)


 ―――癖になりそう、と笑う女。



 二人の道が交わる日はまだ、遠く、遠く。

大会にて。リノ班対アルフレッド班のとある一幕。

「ざっまあwwwwよっし、引っ掛かった!」(策が見事に嵌って嬉しい)

「リノ、リノ! あんたそれ悪役にしか見えないから!」(この子、ほんと生き生きしてるわ……)

⇒噂の発生要因は別としても、勘違いは更に進む、と。



内面うちづらが良いヒロインと、フェミニスト(笑)ヒーロー。

案外割れ蓋に綴じ蓋で相性は良い。

この後、リノが事件に巻き込まれたりして二回ほど死に掛けたら進展します。めでたしめでたし。

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