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短編

地味な彼女の完全犯罪

作者: 秋口峻砂

原稿用紙十三枚、ミステリコメディ

 地味な君は彼と出会って全てが変わった。

 彼の色に染まっていくということは君にとってとても嬉しいことであり、それは「彼が私を独占したいから」だと思っていたのだから。

 君はワンルームマンションの階段下という、このマンションで最悪の物件に住んでいる。

 地味な君らしい地味な部屋。唯一の趣味である自分で作ったテディーベアが何体か、棚に飾ってあるだけ。

 少しだけ本の数が多いかもしれないね。ハーレクイーン・ロマンスが多いのが少女趣味過ぎるかかな。

 昨日まで彼の色に染まっていた自分が、今となっては滑稽だろうね。

(腹立たしいけれど仕方がないわ。だって彼には本命の彼女がいたんだもん)

 確かにそうだね。でもそれで納得できるのかな。

(できるはずがないでしょう。でも今更言ったって何も変わらないじゃない)

 忘れられるのかい、あれは屈辱じゃなかったのかい。君の目の前で彼は本命の彼女や君との共通の友人に何て言ったかな。

『こんな奴ただの遊びだよ。こんな地味な女、俺が好きなはずないじゃん』

 忘れられるのかい、あれは屈辱じゃなかったのかい。それを見ていた共通の友人達の失笑と言葉を――

『やっぱりな』

『この子、本当に地味だからね』

『お前も馬鹿だよなあ。こいつがお前なんかに本気になると思っていたワケ』

 その時、君は心の中で誓ったのではないのかな。彼を殺そう、と。

(そうだけど、どうすればいいのよ。完全犯罪って難しそうじゃない)

 さあね、僕に聞かれても知らないよ。僕はミステリー作家でもなければ警察の知能犯担当の刑事でもないんだから。

「うーん、明日突然殺すってのも芸がないわよねえ」

 芸がないかどうかは別として、少なくとも彼にフラれた直後の明日に殺すというのは、確かに「私を疑って」と自分で言っているようなものだよね。

 だからこそ盲点なのかもしれないけど。

「よし、決めた。明日殺す」

 そんなことを即断即決かい。君は度胸があるのかないのか、僕にはさっぱり分からないよ。

「問題は殺す方法よね」

 君は口元を歪めながら白い紙を取り出し、ボールペンで彼の部屋の間取りを描くと、「うーん」と唸った。

 君は根本的に勘違いしているだろう。彼を殺す場所は何も密室にした彼の部屋でなければならないワケではないのだよ。

「だって、どうせ完全犯罪をするのなら密室トリックって憧れない」

 そんなのは世の中のミステリー作家が生みだした幻想だよ。第一、密室殺人はそんなに難しい殺人ではないよ。

(えっ)

 君は本当に明日彼を殺すつもりがあるのかな。密室殺人はイコール完全犯罪にはならないよ。それに密室にするのはそんなに難しくはないだろう。

 要点は密室であるという部分だけじゃないか。密室にして殺すだけなら難しい問題じゃない。

「確かにそうね。全部の扉と窓の鍵が掛かっていて、他に出入口になる箇所がなくて、それを開ける鍵が中にあればそれでいいんだもんね」

 その通り。

 むしろ完璧にアリバイを偽装しながら、疑われることなく彼を殺すということの方が難しいのではないかな。

「そう言えばそうね」

 気づくのが遅いよ。こんなのは完全犯罪の殺人計画の基本だよ。

「なんのかんの言いつつ詳しいじゃない」

 これはミステリーを読んでいるとか、そんな問題じゃないのだよ。これは物事を論理的に考えれば必然だよ。

 君はあまりにも間抜けじゃないかな。

「間抜けはあんまりよ。せめてドジな可愛い子くらいにしてよ」

 可愛いは余計だね。それにドジな可愛い子は完全犯罪の殺人計画なんて決して練らないと思うよ。

 君はミルクティーに口を付ける。

 秋口、しかも階段下の暗く寒い部屋だからか、さっきまで暖かかったミルクティーはもう冷めている。

 ミルクティーといっても安物の紅茶のストレートに牛乳を入れただけの冴えない君にピッタリの飲み物だ。

 冴えない地味な君のミルクティーには華がないから、無論結論勿論美味しくない。

「うーん、それじゃあ殺すシチュエーションから考えなくちゃいけないんだね」

 そうだね、紅茶は「美味しくない」で済むけど、完全犯罪の殺人計画は「失敗しました、てへ」ってワケにはいかないだろうし。

「直前に携帯電話は使えないよね」

 そうだね、殺した後に携帯電話自体の履歴を消しても電話会社には履歴が残る。警察はそれを見逃すような間抜けじゃないよ。

 君みたいに、ね。

「余計なお世話よ。携帯電話は絶対に無理かな」

 いやそれは発想の転換なんだよ。例えば通話履歴自体はどちらにしても絶対に洗われるはずだ。

「だって話した相手とかがはっきりするし、怪しい人物とのつながりも見えてくるしね」

「明日呼び出して殺人」という短絡的な発想から抜けることができれば、実は電話の通話履歴は大した問題ではない。問題は彼を呼び出したという事実が明るみに出ないということなんだ。

「そっか、でも明日殺したいよ」

 何をそんなにこだわっているんだい。

 君は冷めたミルクティーをぐっと飲み干して、顔をしかめる。

「思い立ったが吉日ってよく言うじゃない」

「思い立ったが吉日」って格言に謝った方がいいと思うよ。多分この格言に対して物凄く失礼だから。

 確かに殺されたのが彼で前日にフラれた君が犯人っていうベタな展開を深読みしたお馬鹿な刑事がいる、という無茶苦茶なシチュエーションが0%とは言えないけどね。

「一番疑われやすいのは無論私だけど、もう一人いるじゃない、疑われ易い人」

 それはもしかして、本命の彼女のことかな。

「そう、本命。彼は私と浮気していたんだから、それを恨んだ本命が――って展開もアリじゃないかな」

 アリだとも思えるけれど、警察だって馬鹿じゃないよ。

「いいんだってばっ、明日殺すって言ったら殺すのよっ」

 まあ君がそれでいいのならいいけど。

「計画はこうよ。明日私は彼に電話をする。そして彼にこう言うの。「私はあなたの裸の写真を持っているわ」って。そしたら彼はそれが嫌だから私の部屋にやって来る」

 それなら殺す前にお金を絞り取れるだけ絞り取った方がよくないか。

「そういえばそうね」

 簡単に頓挫したね、君の計画。

「何を考えているのよっ、問題はお金じゃないわっ。プライドの問題よ、プライドッ」

 地味な君にあるとは思わなかった、プライド。

「失礼ね、プライドくらいあるわよ」

 それでここに誘導してどうするの。

「えーと、次に彼が私の部屋に来たら、まず睡眠薬で眠らせるの」

 ほう、その睡眠薬はどこで手に入れるつもり。「不眠症です」と診療内科で言えば軽い短時間の睡眠薬なら手に入る可能性はあるだろうけど、それでは足がつくし、まあ繁華街の危ないところに行けば手に入らないでもないだろうけど。

「そんなところに行く度胸はないわね」

 君は本当に完全犯罪の殺人計画を考えているのかな。元々どこまで本気なのか分からないからどちらでもいいけれど、さっきから計画がどんどん頓挫しているんだけど。

「睡眠薬以外で眠くなるのって何かあるかなあ」

 普通考えるとアルコールと風邪薬かな。

 大体、本命にバレただけでも問題なのに、更に裸の写真をネタにして呼び出してどうやってアルコールとか風邪薬を飲ませるというんだい。

 一緒にお酒を飲むなんて雰囲気ではないだろうし、風邪薬なんて風邪を引かなければ飲まないよ。

「そうね、じゃあ違う計画にしなきゃ」

 またあっさり頓挫したね。

「うるさいなあ、黙って聞いてよ。あっ、この部屋に呼び出していたら密室も何も真っ先に疑われるのは私じゃない」

 やっと気づいたね。いつ気づくだろうと楽しみにしていたんだけれど。

「よし、じゃあこういうのはどう。肝心なのは私が疑われないことなんだよね」

 そうだね。

「じゃあまず車を盗んで」

 盗んでどうするの。

「明日のよる人通りの少ないところで彼を轢き殺して、車は海に捨てるっ」

 ほう、僕は君が運転できるなんて知らなかったよ。

「そっか、私ペーパードライバーなんだ」

 あっけらかんと言っていてどうするんだい。

「だからと言って自転車乗れないのに原付でなんてもっと無理だし」

 本当に殺したいと考えているのかい。

「殺したいわよ、あいつのせいで私の人生無茶苦茶なんだからっ」

 教えてあげようか、完全犯罪の殺人計画。

「えっ、教えてくれるの」

 でもそれは他の人も犠牲にするよ。それでもいいのかい。

「いいわよ、何人でも死ねばいいんだわっ」

 実は簡単なんだ。完全犯罪での殺人計画には君が考えているものとは全く違うやり方がある。他人に犠牲が出るという方法ではあるがね。

 君の目は極端に怯えていた。肩が震えている。心なしか顔色も青いね。

 ――当然かもしれないよね。何しろ僕は遠回しに君に、「彼を殺して、君も自殺をする」ということを伝えたのだから――

「そ、そんなのって」

 おやおや、出来ないなんて今更言わないよね。完全犯罪の定義が「犯人が捕まらない」ことだとしたら、この計画が一番確実だ。何しろ犯人は死んでいるんだから、警察も逮捕できないしね。

 君は彼の色に染まっていくことが幸せだった。君は独占されている感覚が好きだった。それを全て本命の彼女に奪われて、黙り込んでしまうくらいなら、彼を殺して君も死んでしまおうよ。

 地味な君が彼を殺して自殺したとしても、きっと誰も悲しまないさ。

 唐突に彼女の携帯電話がけたたましく鳴った。彼女が携帯のディスプレイを見て驚いた様子で電話に出る。

「うん、うん、えっ、本命と別れたっていうの。えへへ、実は信じていたんだよー。あなたは絶対に私のところに戻ってくるって」

 ――完璧な殺人計画も彼の優しい声には勝てない、か。

 彼も可哀想に。彼女の側には僕がいるというのに、のこのことこの部屋にやって来るのだから。

「おーい、ぴょんきち。彼本命の彼女と別れたって。もう一度やり直したいって。明日ここに遊びに来るって」

 僕は彼女のペット。猛毒ガエルのぴょんきち。

 僕は明日、彼が彼女とのセックスで疲れ果て間抜けに口を開け寝ているのを確認し、その口に飛び込もうと思う。

 これこそが完全犯罪さ。

「明日が楽しみだね、ぴょんきち」

 ああ、とても楽しみだね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ぴょんきち恐るべし・・・!! [一言] ブラックユーモアっていうんでしょうか。 わたしも明日が楽しみです(笑) それにしても、彼は本当に地味な彼女とやり直すんですかねぇ・・・
[良い点] 素敵でした。面白かったです。ありがとうございました。
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