19, ハイサイおじさん
5月後半、ある日いつものように早朝練習をしていると、校舎の方から背の高い、見慣れない青い帽子のおじさんがバットを持ってのそのそと歩いてきた。怪しい人物かと思ったら監督が歩み寄って握手をし、やはりそのまま集合がかかった。
「今日から夏の大会まで、臨時コーチをしてもらうことになった」
その男は近くの少年野球チームで監督をしている人で、練習に最初から最後までいられない、朝も教務で練習をあまり見ていられない監督が密かに色々な方にお願いしてやっと見つけた臨時コーチだったのだ。
スタジャンを脱ぎ、持ってきた細長いバットで数回素振りをした後、ノックをし始めた。普段少年野球向けに弱い打球を打っているせいなのか、最初は打球がいわゆる”死んでいる”状況だったが、徐々にパワーが上がっていき、早朝練習であってもしっかりとした練習ができるようになれたのだと実感した。
創部以来初めて、常に指導者がいるという体制を経験することになった我が野球部は、それまで指導者がいるといないでは大違いだった練習への態度が大きく変わり、はじめてそれまでの自分たちの練習が如何にサボっていたのかを身をもって実感するようになった。練習途中に息切れすることなんとなかったのに、体がこんなに重たくなることなんてなかったのに、ノックや打撃練習でギブアップなんてしたことなかったのに……創部以来初めて冬の練習以外で死への危機感を感じるようになった。これまで真面目にいうことを聞くことしか出来なかった3年生はまだマシだったが、態度が悪かった2年生は新入生と変わらないような体力だったことが判明したし、1年生はそんな2年生を見て、自分たちが真面目にやれば今レギュラーとして出ている2年生を追い抜かせるかもしれないと一生懸命になり始めた。
面白くないのは2年生である。今残っている真面目な2年生はいわば少数派の2年生。多数派だったかつての態度が悪い同級生たちと同一視され煙たがられたこともあり、俺ら3年生とは表面上ではうまくやっているがどこかまだ壁がある。下からは実力がほぼ同じであるがそれゆえに希望しか抱いていない1年生が猛追してきている。多数派だった態度の悪い奴らは、少し他人よりも野球がうまいからこそ偉そうにたち振る舞っていたが、今残っている2年生はそうではなかったからこそ態度を悪くすることが出来なかったのだ。そのため、野球の技術面も体力面も、そして試合経験が少ないため経験値でさえほとんど1年生と変わらない今の2年生は、真面目にやってきたにもかかわらず先輩としての威厳もなく後輩として可愛がられることもない、可愛そうな世代となってしまった。
こうして1年生と3年生の間にはようやく体育会系らしい上下関係が構築されていった。2年生は3年生からすれば壁があり、1年生からすれば同級生と変わらないため、体育会系らしい上下関係とは違ういびつな関係性を築いていくようになった。
臨時コーチの登場により様々な面での形がはっきりしてきた我が野球部の中で、俺はまだ自分と戦っていた。練習時間内は外野手として、そして主将としてチーム全体を見ていたが、全体練習終了と同時に自主練を開始し、必死に自分の投球フォームを模索した。何度も何度もマウンドからホームベースの後ろにおいたネットに向かって投げてみるが、いざ投球動作に入るとボールが手にくっついて離れない。渾身の一球だと思って投げたボールが、そのまま踏み出した足の爪先に真っ先に向かっていって、自分で自分の体にボールを投げていた。
チームがようやくチームらしくなってきた中で、俺は最後の夏まであとひと月半しかないのに、至近距離のキャッチボールの練習をするしかなかったのだ。




