16, 私を野球に連れてって
秋大会直前に投手をクビになり、野手として、そして主将として秋大会に挑むこととなった。以前から打撃においてはチームの中でもトップクラスだったし、イップスの特徴でもある”距離が長いほど正確に鋭く投げることが出来る”という特徴があったので、秋大会中は常に外野の中堅手として試合に出続けた。
今回の秋大会は前回とは違い強豪校とは当たらず中堅と言われる高校ばかりだったが、即席でピッチャーに仕立て上げた部家が面白いように打たれて、やはり一度も勝てなかった。調子が良いときの俺だったらこんなに打たれないのに。イップスじゃなかったらこんなに四死球で一人相撲を取ることはないのに。センターからみたマウンドは遠く、しかし投手と打者の間隔は狭く見えた。しかしどうせマウンドに立ったら外野から打者に向かって投げるくらい遠く感じるだろうのだ。それでもやはり慣れ親しんだマウンドに立てないのが辛かった。これだけひどい投球をするのなら誰が投げたって同じだろう。俺が投げたって同じはずだ。しかし俺はもう投手としてはやっていけない。試合に出るためには野手として頑張っていかなければならない。投手に未練はあるけれど、これも仕方のないことだと自分に説得し続けるしかなかった。
秋大会ももちろんすべて負け、公式戦はまだ一度も勝てていない。このまま負け続けていると腐ってしまいそうで、主将になった俺は10月中旬、秋大会終了と同時に独断で今年度のチーム全体練習を禁止した。どうせここからは気温も低下しオフシーズンに入っていく。練習試合ではなく合同練習が多くなってくる時期である。ここで人員整理をし、少数精鋭で良いから本気で野球を真面目に取り組める部員だけに絞り込んでチームを再建しようと考えた。監督は最初おおごとにしたくなかったらしく反対の立場だったが、最後の夏にかける俺や他の上級生の気持ちを考慮してくれて、最終的には顧問全員を一旦野球部から離れさせる形で事実上の廃部にした。1年生の保護者からは猛抗議があったそうだが、監督や校長先生がこれまでの経緯を説明してくださったらしく、学校全体としての判断としてその抗議を抑えてくれた。前主将の事件に関与した数名の1年生に関しては、再結成後に入部することを禁止する形となった。
事実上廃部となった野球部の活動が停止したおかげで思わぬ反響があった。それまで学校の部活動予算の大部分を占めていた野球部が廃部したことにより、野球部の予算の残りを他の部活動に分配することが決定した。それによって他の部活動も新しい機材を購入することができるようになり、他の部活から野球部に対する偏見が少し収まった。同時に野球部の1年生の悪い噂が校内全体に流れ、野球部全体を毛嫌いしていた人たちが判官びいきで俺ら2年生の味方になるように態度が急変した。バレーボール部が体育館を使うときは”元野球部の2年生”には特別に体育館の一角を使わせても良いと言われたり、校舎の一部を完全貸切にしている吹奏楽部は、合奏のときは廊下を使わないためその間”元野球部の2年生”に貸すことを許してくれたり、学校全体が徐々に”元野球部の2年生”を応援するようになった。
そのうち徐々に数名の真面目な方の1年生が志願して一緒に“自主トレ”を行うようになった。態度が悪い方の1年生も数名、保護者同伴で、表面上では監督や顧問、俺ら2年生に謝る形になり、仕方なくその数名も仲間に入れてやることになった。
こうして野球ができない期間を自ら用意し、事実上の解散を経て再結成した俺らは、3人の2年生と4人の1年生の合計7名で再スタートを切った。




