14, タッチ
初出場の夏の大会はあっけなく終わってしまったため、校内では野球部に対する扱いが日に日に悪くなっていった。
部活動の予算の中でも野球部の比率が高く、それを他の部活がよく思っていないのである。どうせ大会ですんなり負けるならもっと上を目指せる部活にお金をつかうべきだ、えこひいきだと非難されるようになった。
そんな中、数少ない2年生と多数派の1年生が昼休みに全員集合し、次の主将を誰にするのか決めることになった。投手である俺や豊田は投手メニューが野手メニューとは別であり全体を見渡せないことが多いのでパス。野手の中で最も年長者であり内野の中心、セカンドを守る吉野が次期主将に就任することになった。吉野は背は低いが正義感にあふれており、兄弟が同じ学校にいるなど面倒な条件もない。1年生ともうまくやり合っているように見えていた。
しかし実際には吉野も前主将と同じように1年生からは舐められていた。元々そこまで野球が上手だというわけでもない吉野は、スタメンではあるが競争を勝ち抜いてその位置にいるわけではない。1年生がセカンドをやりたがらないこともあり、練習に真面目に来ている二塁手が彼しかいないからだった。自分に厳しい真面目な吉野はエラーをすると途端に落ち込み、連続して失敗しやすいという負の部分がある。そこを後輩からどんどん突かれてしまい、真面目であるからこそ自信をどんどん失っていった。
吉野にはもうひとつ問題があった。真面目な性格から、朝練は誰よりも早く来て外周を走り、夜遅くまで素振りをしているため、体に限界が来ていた。オスグットとよばれる膝の怪我で練習内容を消化できないようになってしまった。通院生活が始まり、主将が練習に来なくなることも多くなった。来ても見学をするだけで、もちろん1年生はやりたい放題。就任して間もないが、次の主将を選ばないといけないかもしれないという懸念が2年生の間では広まっていた。
4時半からはじまる練習の内、監督が業務を終えて練習に姿をあらわすのはだいたい6時前。そこから1時間は1年生も大人しく監督の言う事を聞き、7時には全体練習終了。俺ら2年生は、1年生の頃からの習慣となっている自主練習をだいたい9時過ぎくらいまでするが、7時半までには1年生の姿は全く見られなくなる。監督の前だけは大人しい1年生に愛想を尽かした俺ら2年生は監督に直訴することにした。
しかし監督の態度は変わらなかった。お前たちは試合をしたくないのか、試合ができなかった期間のことを覚えていないのか、1年生がいるからお前らは今野球部という形で活動できている、でなければ人数不足で廃部になるところだ、1年生に対してしっかり教育してやるのは2年生の仕事だ、お前らの失敗を監督のせいにするな、その前にできることはたくさんあるはずだ……挙げればキリがない。これに最も反発したのは豊田だった。
豊田は もうやってられないとその場で直接監督に退部を告げ、その足でそのまま部室に行き、ロッカーを整理した。止めようと思ったが、彼の気持ちを痛いほど理解できるぶん、体は動けなかった。豊田だけでなく他の2年生も我慢できずに自主退部。この時点で俺と吉野、それに部家という左投げの無口なやつだけが2年生として残った。というより、豊田みたいに退部する勇気がなかっただけなのかもしれない。
部家は無口だし体も小さく中心的な人物ではない。消去法で、俺がしかたなく主将に就任した。
どうせ誰も言うことを聞かない、破綻しているこの野球部。だったら今は自分の好きにしてやる。そして新しい年に入ってくる新入生に期待しよう。そう思った。吉野が通院生活から戻ってきても、しばらくはマネージャーのような仕事しかできない。部家は自分のことで精一杯。1年生と対峙できるのは俺しかいない。このときの俺は、”たとえ1年生全員が退部しても良い。試合ができなくても良い。自分が正しいと思うことをなんとしてでもやり遂げる。理不尽には屈しない。”そう決意していた。




