13, バケーション
「待、ち、ど、お、しいのはぁ〜、ホームラン! 行け、行け、県商! 行け、行け、県商! K、E、N、S、H,O,ゴーゴー県商!」
その日、初めて県民球場に入ると、プロ野球中継ではあんなに小さな球場だと思っていたのにその大きさに圧倒された。看板がまるで上から襲いかかってくるデカい悪魔みたいに見えた。反対側の応援席には県商の応援で大勢駆けつけている。全校応援だろうか、それとも歴史があるからOBか。どちらにしても音が違う。太鼓の重低音に、チアの黄色い声援。華やかなチアと応援団が応援の練習を行っている。対するうちの方はと言うと、選手のお母さん軍団数名。あとは全く知らない人が多分県商を観るために座っている。惨めだ。
試合開始の整列に向かうだけでもファウルグラウンドは遠く感じたし、ホームベースの横に並んでいるだけなのに大きな広場のど真ん中に立っている気になった。俺の打順は1番センター。この頃には豊田が投球技術を磨いて一歩先に行っており、背番号1番。俺は打力を買われて外野での出場が多くなっていて、背番号は8番だった。
先攻なので最初の打席に俺が入る。綺麗な黒土の上に引かれたまっすぐの白線に沿ってつま先を置き、投球を待った。今日の相手先発は1年生左腕。相手のスターティングメンバーは背番号二桁ばかりが並んでいる。初出場だからって舐めてかかって来ているのはわかりきっていた。だから、出鼻をくじくために初級を一気に振り抜いた。
結果は空振り。勢いのあるまっすぐは球速こそそこまで速くはないが、鋭く伸び上がっていくように見える。マシンであんなに打って、練習試合でも何度も投手を相手にしてきたのに、当たらなかった。あの秋大会の苦い記憶が蘇ってくる。下級生に全く歯が立たないまま三球三振。ほんの5分ほどで攻撃が終わった。
対して県商の攻撃は長かった。伝統の流し打ちの連打で内野の間をしつこく抜いてくる打撃。豊田のサイドスローから放たれる変化球も、ことごとく弾き返されてしまう。
実は豊田は元々オーバースローだった。ところが俺と二枚看板として入部し、いつも隣同士で投げ込みをしていると明らかに球速や球威では俺のほうが上だった。当時の豊田は俺のほうが優れた投手だと思っていたので、自らの投球スタイルをガラリと変えて、サイドスローで変化球主体のピッチングをするようになっていたのである。今では豊田のほうが俺より球威も出ていて、自分の投球フォームを見失っていた俺は、ただのノーコン球速投手に成り下がっていた。その豊田が目の前でバカスカ打たれている。こちらのフルメンバーに対する県商の控え選手。初の夏の大会で緊張や焦りがあるだろうが、それにしても力の差は歴然だった。
なんとか一矢報いたい。というかとりあえずアウトを取りたい。自慢の肩を活かすために俺はいつもよりも守備位置を前にずらした。するとそこにちょうどよくお手本通りのセンター返し。2塁ランナーを刺すためにはじめから準備していたので、勢いよく突っ込んで捕球し、そのままの勢いで槍のような送球を投げ込んだ。その結果、いきなり先頭から連続ヒットで6点取られた後、俺のバックホームではじめてのアウトを取ることが出来た。30分用いてやっと掴んだ夏のアウト1つ目。
試合はまだまだ続く。第二打席も三振、第三打席はセーフティを狙ったがそのままサードゴロ。結局チーム全体では主将がかろうじて打ったポテンヒット1本のみ。合計2時間を超えるゲームは、ほとんど芝生の上で立ちっぱなしだった。12対0、5回コールドで完敗。しかしこの初めての夏は、その後大きな意味を持つことになる。




