紫の星見草【2】
「ジリリリリ!!」
工場の機械音に負けない様に、最大音量の電話の音が、工場の事務室から聞こえてきた。同時に部屋にある子機が光り出す。
「あれ……?電気が止まってるはずなのに、何でや……?」
不審に思いながらも、子機を取り、耳に当てた。
「も、もしもし?工藤機械工業です……」
「……工藤さん?私――」
それは思いもよらぬ相手からの電話だった。
「秋津陽子さん?」
「はい。南家工業所の秋津です。実は折り入ってお願いがありまして――」
「え?あ、はい!何でも仰ってください!」
陽子は南家工業所の一人娘で、俺より年下の、気立ての良いお嬢さんだ。先月行われた組合の懇親会でご挨拶をしたのだが、まぁ、誰が見ても美人というであろう女性だった。少し会話をした程度なのだが、この歳まで独身だという。
その女性が、俺を名指しで電話をかけて来た。通常であれば、勤務時間も過ぎている。俺は受話器を持つ手に力が入った。
「実は――」
「はい……(ごくり)」
「お仕事のお願いがありまして……」
「はい……(ごくり)」
「来週の火曜日までの急ぎの納期の仕事が――」
「はい……え?婚期?結婚されるんですか?」
「はい?」
「え?」
「納期ですが……」
「納期?あ、あぁ!納期!はい!大丈夫です!あはは……」
完全に聞き間違えた。頭の中では、陽子が既にウエディングドレスを着て立っている姿を妄想してしまっていた。
「工藤さん!本当ですか!助かります!どこも断られてしまって!すぐに図面をファックス致しますのでご確認下さい!ありがとうございます!」
「分かりました。はい、それではまた連絡します。はい。失礼します」
受話器を置くと、また静かな暗闇の現実に引き戻される。
「しもた!ファックスも止まってたかもしれへん!」
携帯のライトを点け、部屋を出ると、急ぎ工場へと続く外階段を降りる。
工場の事務室も電気が止まっていたが、その中でファックスだけが光っていた。
「良かったわ……電気止まっても電話は使えるんやな」
『ジィィィィィ……』
静かな事務室にファックスの印刷音が響く。1枚、2枚、3枚……と、合計5枚の用紙が印刷された。
用紙を取り、また自宅の部屋へと戻ると、外からの明かりを頼りに、窓辺でそのファックスを見る。
「……え。納期が月曜日?今日が金曜日やろ。土、日、月……もう3日しかあらへん」
指折り数えてみたが、どう考えても無理難題な内容だった。しかし、希望金額が手書きで100万円と書かれている。細かい部品を全部で1000個。納期が2週間でもあれば決して悪い仕事ではない。
「参ったなぁ……これは無理やないか……うぅん……」
頭をかき、また吸い殻入れから吸えそうな煙草を取り火をつける。
「ふぅ……そもそもや。電気どないすんねん……。鋼材は在庫で足りそうやけど、ネジやらは買わなないな」
ファックスの用紙に自分にしか読めないであろう走り書きで、必要な物を書いていく。
「一人……いや二人は作業員おらんと間に合わんな。ちゃう、その前に電気や……」
机の上に置いてあった電気料金の葉書を手に取る。
「無理や。工場の電気代が12万円あんねん……払えへん。あかん……」
とっさに携帯に手が伸び、南家工業所を電話帳で探す。
「断るんなら早い方がえぇ……。せや、謝ろう……もう、税理士にも廃業の話をしたんや。これ以上無理しても同じ事……」
そして、発信ダイヤルを押そうとした時だった。窓から車のライトが机の上を照らす。
「ん?これ何や?」
通電停止のお知らせの葉書の下に、もう1枚葉書が見える。
「あぁ、せや。自宅の電気料金は別に来てて、そのまま見もせんと置いとい――!?」
まだ開いてもいない葉書を開くと、自宅の電気料金が記載されている。払えないと分かり、そもそも開いてもいなかったのだ。
「い、1万2000円……」
机の上には2枚の宝くじが、外光を浴び、キラキラ輝いている様に見えた。
「払える……。払えるやないか!」
それは偶然なのか、父からのメッセージなのかはわからない。
最短で土曜日の朝に宝くじを交換し、電気を通電すれば自宅の電気は使える。
「加工で使う機械は確か100Vで動いたはずや……」
じっとしておれず、ドラムリールを自宅から工場まで引き、何箇所かのコンセントに電源を分散する。
「これでこの3台は動くはずや。しかし、200Vの溶接機だけはどうにもなら……いや、待てよ。そういえば一昨日デモ機を借りて……」
工場の事務室の入り口には、開封する予定が無かった段ボールが1つ置いてある。そこには1週間ほどデモ機として預かった100Vの溶接機があった。
「……背に腹は代えられん。ちょっと使わせてもらうで」
段ボールを開け、半自動溶接機を取り出す。
「業者さん、ナイスタイミングや。これで用意は出来たわ。後は、電気を再開してもらって……人と時間の問題やな」
暗い事務室の椅子に座り、携帯からメールを送る。
『わりぃ。急で申し訳ないんやけど、明日、明後日って空いてないか?』
しばらくすると、携帯にメール受信のマークが付く。
『明日明後日は島根に釣りに行く予定にしとるけど、どないしたん?』
『実は……』
と、打ちかけて電話の発信ボタンを押す。メールで文字を送るより、話した方が早いと思ったからだ。
「もしもし?服部、急ですまんのやけど」
「何や、メール送って来たと思ったらラブコールかいな。きしょくわるい」
「うるせぇ!いや、今はそんな場合やないんや。聞いてくれるか」
「……どないしたん?」
「実は――」
電話の向こうの彼は、高校時代からの同級生で、今は同じ鉄鋼組合の同期でもある。十年来の付き合いで何でも話せる親友だった。
「お前!何でそんな大事な事言わへんかったんや!」
「すまん……ここ数ヶ月、受注が減っとってん。どうにかこうにか――」
「もうええわ、そんな泣き言はいらん。で、明日手伝いに行ったらええんやろ?」
「あ、あぁ……それは助かるが。予定は大丈夫なんか?」
「は?それどころやないんやろ?」
「……すまん、おおきに……うぅ……」
「泣くな!阿呆!泣くんは全部終わってからにしいや!ほな、明日お昼頃に行くで」
「あぁ……頼む」
彼の行動力には昔から頭が下がる。俺が親父の跡を継がず、他社でサラリーマンをしている間にも、彼は実家の鉄工所の跡を継ぎ、立派に会社を経営している。
「勝てへんなぁ……」
そうだ、弱音を吐くのは駄目だった時にしよう。まだやる事がある。
それから出来る限りの準備をし、翌日を迎えた。
――翌日。
朝から予定通りに行動し、11時過ぎには自宅の電気が再開された。機械を同時に動かすと自宅のブレーカーが落ちる事がわかり、別々に稼働させる事になる。
「こんなもんやな。さて、やるで」
早速作業に取り掛かる。鋼材を取り出し、同じサイズにカットしていく。図面と睨めっこしながら、少しずつ制作に取り掛かる。お昼前になると、服部がトラックに乗ってやって来た。
「おぉい!これ持ってきたで!使うやろ!」
「え!助かるわ!」
トラックには発電機と溶接機が積んである。これで機械を全部動かしても大丈夫そうだ。
そして、釣りに一緒に行くはずだった友達も半ば強引に連れて来てくれていた。
「初めまして。服部の釣り仲間の風魔です。俺はよぅわからんですけど、連れて来られました」
「風魔の手でも借りたい言うやろ。そういうこっちゃ!」
「それを言うなら猫やろ!」
「ほんま、おおきにな。この借りは必ず返すよって……」
「ビタ一文まけへんからな!」
そんな漫才みたいなやり取りをしながら、作業は始まった。
「お前、この仕事受けたんか……。うちにもこの仕事が来とってな。職人らとも話したけど、納期が無理やってなって、断ったんや。鋼材取り寄せるのに1週間はかかるやろ?お前んとこ、ようこの鋼材あったなぁ」
「あぁ、それな。先月、業者に泣きつかれて……たまたま在庫切れそうやったから仕入れたんや。代わりに、この半自動溶接機をデモ機で1週間使ってくれって言うてな」
「そうなんか、それはタイミングバッチグーやったな。もしかしてそれって南家工業所の紹介って言うてたんか?」
「そうやで、何で知っとるん?」
「やっぱお嬢さんの差し金やな……。いやな。実は俺、秋津お嬢さんの事が――」
「へ、へぇ……そうなんや……」
「二人共!だべってないで、手動かしてもらえまへんか!」
そんな会話をしながら、三人で黙々と作業をした。
19時になると、工場のチャイムがいつもの様に時を知らせてくれる。
「工藤、どないする?」
「……服部達は今日はもう上がってくれ。明日も頼みたいしな。俺もこれが済んだら、今日は終わりにするわ」
「せやな。風魔、ぼちぼち片付けんで」
「へいへい」
そんな事を言いながら、結局21時過ぎまで手伝ってくれた二人には感謝の言葉もない。発電機の燃料が切れるタイミングで、片付けもほどほどに今日は終いになった。
二人が帰った後、人気がなくなるとまた薄暗い工場へと戻る。工場の入り口を閉め、事務室で椅子に腰掛けた。
「ふぅ……疲れた。せやけどまだ半分も出来とらん……。間に合うのやろか……」
椅子に腰掛けたまま、今日作った製品を眺めていると、いつの間にか、うとうとと居眠りをし……そして夢を見た。
それは幼い頃、父親がランニングシャツ一枚になり、汗だくで働く姿だった。幼い俺は父親の背中を眺め、機械の音を子守唄代わりに聞いてたっけ……。ずっとこんなしんどい仕事してきたんやなぁ……。
「……おおきにな、親父……すぅすぅ……」




