黄の星見草【3】
――午前8時、松江市民病院。
私の運転で車は、市民病院の急患入口へと横付けする。
「微睡さん、車を停めたら待合室までお願いね」
「はい、施設長」
施設長は日和ちゃんを助手席から降ろし、そのまま抱きかかえると病院へと入って行く。
私は第一駐車場に車を停め、急患入口へと向かった。
「大丈夫……大丈夫……」
まだ病院も診察前で電気も点いていない。診察開始は9時からなのだろう。数人の業者が入り口付近を掃除していた。
私はシャッターの閉まった受付を過ぎ、廊下の突き当たりにある急患窓口へと向かう。待合室には日和ちゃんを抱えた施設長が椅子に座っている。
「施設長、どうですか?」
「えぇ、今、看護師さんが小児科の先生を呼びに行ってくれたわ。夜勤明けの先生がまだ残っているみたい」
「そうですか……良かった。ひよりちゃん、もうちょっとの我慢よ……」
日和ちゃんは息苦しそうに肩で息をし、顔を真っ赤にして目を閉じている。施設を出る前に熱を計ったところ、39度の高熱を出していたらしい。
「はぁはぁはぁ……ママ……ママ……」
「ひよりちゃん……」
施設長が心配そうに日和ちゃんの背中をさする。
「どうぞ!先生来ましたよ!」
「は、はいっ!」
なぜか私が返事を返し、施設長が診察室へと入って行く。
「微睡さんは、ここで荷物見ててくれる?」
「はい、施設長」
施設長は日和ちゃんを抱え、診察室へと入って行った。感染性ウィルスの可能性もある。そうなれば他の子供達にも感染する可能性もあり、施設を一度閉め、全面消毒する事になるだろう。
私は待合室の椅子に座り、何気なく横にあった一冊の雑誌を手に取る。それは偶然にも私が施設に買ってきた『月刊不思議』だった。
ペラペラっとページをめくるが、診察室が気になり、頭には本の内容が入ってこない。と、あるページで手が止まる。
「ふぅ……え?うそ……これって……」
――20分程の検査の後、施設長が診察室から一人出てきた。日和ちゃんの姿はない。
「施設長!日和ちゃんは!」
「新型トロイではなかったわ。良かった……。アデノウイルスね」
「アデノウイルス……!それってプール熱ですか!」
「えぇ。今、点滴をしてもらってるけど、熱が高いから2~3日入院した方が良さそうね。施設では看病が出来る余裕はないですからね」
「そうですか……」
感染性新型トロイではなく一安心はしたが、まだ不安は残る。アデノウイルスは高熱が続き、障害が残る子もいるそうだ。
「あ、あの!施設長!私が……夜だけでも付き添いさせていただけませんか!」
「……えぇ、かまわないわ。看護師さんに聞いてみるわね」
「ありがとうございます!」
「あれ?二宮さん?」
そこへ一人の医者が小児科の前を通りかかり、施設長に声を掛ける。
「あっ!先生!その節はお世話になりました!」
「いえいえ、二宮さん。その後、肩の具合はいかがですか?」
「はい。時々リハビリに――」
施設長と先生が何やら話しているが、私の頭の中では日和ちゃんの容態と、先ほどの雑誌の写真がチラついていた……。
その日の夜。施設での夕会を終えると、一旦家へと帰り、シャワーを簡単に浴びると、車を病院へと走らせる。
20時過ぎには病院に着き、急患入り口で手続きをすると、小児病棟の部屋へと向かう。
『澤様』と書かれた大部屋で彼女は一人、点滴を受けていた。六人部屋には他に患者はいない。カーテンも閉めず、うとうとと眠る彼女の横に私は座った。
「……日和ちゃん、頑張ったね。えらいね……」
「すぅすぅすぅ……」
眠る日和ちゃんの横顔を見ていたら、なぜか涙が流れる。
「いけない……泣いちゃ駄目……」
私は荷物を椅子の上に置くと、顔を洗いにトイレに向かう。
まだ幼い彼女はこの1年でどんなに辛い思いをしてきたのだろう。両親が亡くなり、児童養護施設に引き取られ……ずっと心細かった事だろう。
トイレで顔を洗うと、私は覚悟を決め、ナースステーションへと向かう。
「あの、すいません」
「はい」
「ちょっとお伺いしたいのですが……」
「えぇと、ひよりちゃんの付き添いの方でしたっけ?」
「はい」
「どうされました?」
「ひよりちゃんの両親は、1年前にこの病院で亡くなっていますよね?」
「……」
「すみません、急にこんな事を聞いてしまって」
「いえ。ただ守秘義務があって、答えられないんです。すみません」
「……そうですよね」
「……」
「……」
ナースステーションのカウンターで看護婦と私の二人はそのまま無言になり、時計の音がやけに大きく聞こえる。
「もう21時になりますね。そろそろひよりちゃんの点滴が終わる時間です。一緒に行かれますか?」
「え、えぇ。私も部屋に戻りますので」
そう答えると、看護婦は点滴を外す準備をし、小さいカートを押して廊下へと出てくる。
「ここから独り言を言うので、黙って聞いてて下さいね」
「え?はい?」
意味もわからず私は返事をし、看護婦の後をついて部屋へと向かう。
「1年前です。交差点で事故をした親子が運ばれて来ました。旦那さんは即死、奥さんは腕と肋骨を骨折……そして娘さんは……脳挫傷で意識不明でした」
「……」
「娘さんの手術は無事終わりました。しかし意識が戻りませんでした。数日後、医師の方から『このまま意識が戻らない事もあるかもしれません』と奥さんに言ったのを聞きました」
「えっ!!」
私の頭の中で、あの夢に見た廊下と今歩いている廊下が酷似し、そしてあの屋上の場面がチラつく。
「奥さんは病院に来てから、夫を失った悲しみに打ちのめされ、さらに追い打ちをかけて娘さんが目を覚まさないかもしれないと言う現実を受け入れられなかったのでしょう。その日の夜、屋上から飛び降りたと聞いてます」
「うぅっ……!」
あの夢はやはり彼女の記憶が見せた不可解な現象だったのだ。見た事も聞いた事もない映像が頭の中に入ってくる。そして夢と看護師の話がまるで、吸い付くかの様に合わさっていく。
「奥さんは心中を計ったのでしょう。ただ……」
「ただ?」
看護婦は日和ちゃんの病室の前で足を止め、独り言ではなく、私に向かって話しかけた。
「ただ……母親に抱きしめられた娘さんは、屋上から落下後、奇跡的に意識を取り戻したそうです。それはまるで母親の命と引き換えの様にも見えたと……」
そう言うと看護婦は病室のドアを開き、中へと入った。私も看護婦の後に続いて病室に入ろうとした瞬間……廊下の補助灯が一斉に点灯し、それはまるで日和ちゃんの母親が、今も娘を見守っているかの様に思えた。
「えぇ、わかったわ。全部……最後まで面倒を見るわ」
そう私が誰もいない廊下に話しかけると、納得したかの様に、廊下の補助灯が5回点滅してから消えた。
「ありがとう……なのかしらね?」
もう怖くはなかった。不思議と力が湧いてきた。この子をちゃんと導いてあげないといけない。
病室に入ると、看護婦が点滴を外し、日和ちゃんは目を覚ましていた。窓辺に置かれた花瓶にはなぜか黄色い菊の花が挿してある。そういえば、あの交差点にも同じ色の菊の花があった。
「それでは私はナースステーションに戻りますので、何かあればナースコールを押して下さいね」
「はい、ありがとうございます。あっ!看護婦さん。この菊の花なんですが……」
「あぁ……それは別に縁起が悪いわけではないんですよ。黄色い菊の花には長寿と幸福、わずかな愛、そして破れ……いいえ、そんな意味があるんです」
「そうですか……ありがとうございます」
色々な意味でお礼をと思い、病室から出る看護婦に深々と頭を下げる。
「ひよりちゃん、気分はどう?」
「うん、もう大丈夫。お熱も下がったみたい」
「そう、良かった。でもまだ無理したら駄目。横になりましょうね」
「うん。先生、私夢を見たの」
「夢?」
日和ちゃんを横にさせ、掛け布団をかけながら話を聞く。
「ママがね、こうやって手を繋いでくれて……もう大丈夫だからねって言ってくれた」
「そう……」
私は差し伸べられた小さな手を握り返す。
「ねぇ、ひよりちゃん。もしかして、施設にあった本に……ママが写ってたりした?」
「え!先生も見たの!えへへ、そうなの。ママとおんなじ顔だった。あのご本まだあるかな!」
「えぇ、まだあるわよ。ひよりちゃん、元気になったらお手紙書いてみようか?」
「お手紙?」
それは待合室で見てから考えていた私なりの答えだった。
今月号の月刊不思議。そこには、事故で娘を亡くした母親の思いが綴ってあった。ここからそう遠くはない、車云生町と言う町に住んでいると言う。
そしてその母親の写真が掲載されていたのだが、私が夢で見た……屋上で見た彼女にそっくりだった。髪型こそ違ってはいたが、それはまるで日和ちゃんの母親が乗り移ったかの様な面影があった……。
『拝啓、夢乃咲絵様――』
翌日には日和ちゃんもすっかり良くなり、明日には退院しても大丈夫との事。
『――一度お会いして頂けないでしょうか?』
退院するまでの間で、私は日和ちゃんと一緒に手紙を書く。
『――来週以降であれば私も日勤で職場にいますので――』
私は日和ちゃんと彼女を引き合わせる為に、この仕事をしていたのかもしれない。
『――それではご連絡お待ちしております』
まだ病室の外ではセミの声がひっきりなしに聞こえてくる。
「もう9月も半ばだというのにね……」
「先生?」
「ひよりちゃん、ママに会えるといいね」
「うんっ!」
こうして日和ちゃんとの手紙を郵便ポストに入れ、数日後には咲絵達に会う事になる。
もう朝晩が涼しくなり始め、郵便ポストの横には一輪の黄色い菊の花が風に揺れていた……。
菊の花言葉は長寿と幸福、わずかな愛……そして破れた心。
―紫の星見草に続く―




