黄の星見草【2】
『カッチカッチカッチ――』
ウィンカーの音が車内に鳴っている。施設の屋上から人影が落ちるのが見えた。しかしあれは本当に人影だったのだろうか……?
私は覚悟を決め、ハザードを点けると車から降りた。万が一、何か予期せぬ事が起きても逃げれる様にと思い、車のエンジンとライトはつけたまま、施設の方へと向かう。辺りには車のアイドリング音だけが聞こえ、他の物音は聞こえない。
施設に近づくと、自分の影が車のライトを遮り、足元さえ見えない状況だった。私は携帯を取り出し、人影が落ちた辺りにライトを向けた……。
もし職員の誰かが万が一にも、何かの拍子に屋上から落ちたとしたら急いで救急車を呼ぶ必要がある。
「あのっ!だ、大丈夫ですか!」
何とも分からないソレに向かって声をかける。そこには確かに黒い何かがあるのだ。
「あのっ――」
2回目に声をかけたときだった!
『カサカサカサカサッ!!』
「ひぃぃぃぃっ!!」
黒い何かが施設沿いに走って逃げていく!膝上まであろうかという草むらが動き、何かが這って動く様なそんな動きだった。
「え……何……今の……」
数秒の出来事だった。その生き物らしき黒い影はあっと言う間に見えなくなり、辺りでは虫達の鳴く声が聞こえ始める。
「何……?今の……」
他に言葉が出てこない。今のは動物だったのか?それとも人の形をした何かだったのか……?施設では動物は飼っていない。そうなると屋上から動物が落ちると言う予想が真っ先に消えてしまう。
呆然としばらく何かが走って行った方向を見ていたが戻って来る様子もなく、私は車へと戻る事にした。車へと向かいながらも視線はずっと、その暗闇を見続ける。まだ何かいるかもしれない……その恐怖が拭えなかった。
車に戻るとドアを閉め、いつもはしない鍵をかける。窓が閉まっている事も確認し、シフトレバーをパーキングからドライブへと入れ、車を発進させた。この場からとりあえず……とりあえず離れてから考えたかったのだ。
しばらく進むと道は大通りへと合流し、すぐに街の明かりが見えてくる。そこでハザードを付けたまま走っていた事に気付き、ハザードを消した。
「さっきのあれは何だったんだろう……?」
車内ではいつも聞いているドリカムの曲が耳に入ってくるが、頭の中では先程の光景が何度となく繰り返された。
そのまま15分ほど走り、自宅マンションの駐車場に着く。どうやって駐車場まで帰ったかは正直覚えていない……先程の黒い何かが頭から離れず、気が付くと自宅に着いていた。
「ただいま……」
一人暮らしの部屋に自分の声だけが響く。上の空のまま、携帯を見ると着信が数件あった。
「あれ?気付かなかった。施設じゃないよね?」
少し不安になり、着信履歴を見ると同僚の名前が並んでいる。
「あっ!しまった!晩御飯……忘れてた……」
すぐに折り返し連絡をし謝ると、彼女は食事を終え、ちょうど帰る所だったらしい。
「――うん、そう。帰りに施設長に呼ばれて、うん、待たせてごめんね。また明日……はい、お疲れ様でした」
電話を切ると、はぁぁと長いため息を吐く。
「やってもうた……はぁ……」
ベッドに仰向けになり、天井を眺める。色々ありすぎて疲れたせいもあり、目をつむり腕を顔に当て、電気を遮ると、いつの間にかそのまま眠ってしまっていた。
………
……
…
――夢の中で私は私を認識する。頭上より少し高い場所をふわふわと浮き、辺りを見渡すと、大きなモールの入り口が見える。辺りは暗く、早朝なのだろうか……霧も濃くかかっている。
「ん?ここは……サティオン?」
毎日通る、通勤途中にあるモールの入り口を目を細めて見ていると、それは突然起きた。
足元で一台の車が赤信号の点滅で止まらず、交差点へとすごい勢いで入って行く。
「え!危ないよ!!ちょっ――!」
次の瞬間!信号無視した車は左折しようと曲がって来た赤い車の運転席付近に突っ込んだ!
『ガッシャーン!!』
目の前で突然事故が起き、何が何だかわからない。夢である感覚はある。しかし体は言う事を聞くわけでもなく、その場から動くことさえ出来ず、見守る事しか出来なかった。
…
……
………
「はっ!?はぁはぁはぁ……夢……」
腕を顔から下ろすと、いつもの部屋の天井が見える。夢で良かったと思いつつも、妙にリアルな夢だった為か、見た映像が脳内を何度も再生する。
体を起こし、今が現実だと頭に言い聞かせる。鼓動はいつもより早く、少し息苦しい。エアコンの温度を下げ、風量を上げると、幾分楽になり、ようやく夢から覚めた気がした。
私には霊感的なものはない。しかし、今日身の周りで起こっている出来事はさすがの私でも全て繋がっている様に思えて仕方がなかった。
「そうだ、携帯携帯……」
検索画面を立ち上げ、先ほど夢で見たサティオンの事故を調べてみる。
『2016年10月――大型ショッピングモール前の交差点で事故。運転手が死亡、2人が重傷――』
「あった……これだ……」
もう1年も前のニュースだ。どこかで見聞きして、頭に覚えていたのだろうか。夢で見た内容があまりに記事と酷似していて気味が悪くなる。
「加害者の男性は居眠り運転……と、被害者の車には運転席に夫、助手席に妻、運転席後部に子供……。夫は即死、妻は重傷、子供は頭部を強く打ち意識不明……何よ、これ」
読むだけで腹立たしい内容の事故だった。
「え?でも夢と違うわ。あの時、運転手は男性じゃなく――」
ハッとした。いや、さっき見たのは夢だ。しかしこうも話の辻褄が合うと夢かどうかもわからなくなる。記事はそこで終わっており、その後どうなったのかは分からない。
私は関連記事を見ていく。
「2016年10月、ショッピングモール駐車場で事故。ブレーキとアクセルの踏み間違えで6歳の女の子が車の下敷きに――これは別の事故ね。交差点の事故の数日後じゃない。まったく……」
その日は深夜まで記事を読みあさってみたが、それ以上の話を見つける事は出来なかった。
シャワーを浴び、プリンを食べ、眠りについたのは深夜2時を回っていた……。
…
……
………
また……また……夢で私が私を認識している。しかし先程の続きというわけでは無さそうだ。
どこだろう?今度は長い廊下を歩いている。裸足で冷たい床を歩く感じが伝わり、廊下には補助灯が点き、長くそれは続いていた。廊下を突き当たると、また振り向き、来た廊下を戻っていく。そして補助灯は点いたり消えたりを繰り返す……。
雰囲気しか分からないが病院の廊下の様にも思える。
何度か廊下を行き来していると、『バンッ!』とどこかの扉が開いた。そして「残念ですが――」と声がしたかと思うと、急に目の前が開け、風が体をすり抜ける。
『待っててね……』
ふいに彼女はそう言った。私が今、見ている彼女だ。包帯を巻いた腕には寝ている小さな子供を抱いている。
私はとっさに手を伸ばし、大声を出した!!
「だめぇぇぇぇっ!!」
彼女が一瞬こっちを向き、そして……彼女は私の目の前から消えた。
私は今、屋上のフェンスの前に立ち、涙を流し、鼻水を垂らしながら、大声で叫んでいた。
「誰かっ!!誰かっ!誰かぁぁぁ……!!」
………
……
…
「――誰かぁぁっ!……あぁぁっ!?」
自分の声で目が覚める。気が付くと、ベッドに仰向けのまま天井に向かって手を伸ばしていた。
「また夢……?」
伸ばした手の平を、ぐーぱーぐーぱーし、自分の手だと言う事を確かめ、ようやく目が覚めた。
壁に掛けた時計は7時を回り、カーテンが太陽の明かりで透けていた。
「もう……朝」
寝たような寝てないような……重い体を起こし、またいつもの仕事着のジャージを手に取る。
どこだ……?どこからこうなった?ジャージに着替えながら、歯ブラシを咥え、洗面台の自分の顔を見た。
「ひよりちゃん……か?」
思い当たる節があった。昨日、日和ちゃんが『ママ』と言った辺りから身の回りで色々な事が起きている。あの子には何かが見えているのかもしれない。
「確かめよう……」
急いで支度を済ませると、車のエンジンをかけ、仕事先の児童養護施設へと向かう。ちょうど通勤途中でサティオンの交差点の信号に引っかかり、何気にガードレールのたもとを見ると、いくつかの花が供えてある事に気が付いた。
「菊の花……」
昨日まで何とも思わなかったこの風景が、痛ましい事故の現場だと知り、身震いがする。信号が変わると、私は対向車を気にしながら車を発進させた。
『待っててね……』
なぜか夢でみた彼女の言葉を思い出す。
「『待っててね……』あれはここで亡くなった旦那さんに対して言った言葉なのかな……?」
職場に着くまでそれが頭を離れなかった。
職場に着くと、玄関前に施設の車が横付けし、何やら慌ただしい雰囲気だった。私は駐車場に車を停めると、急ぎ足で入り口へと向かった。
「おはようございます!あっ!施設長さん、昨日はごめ――」
「あっ!微睡さん!おはよう!いいのよ、それよりひよりちゃんが熱を出して――」
「えっ!?」
車の助手席には、横になりぐったりする日和ちゃんが一瞬見えたかと思うと、施設長がドアを閉めた。
「微睡さん、それじゃ病院に行ってくるから、朝会をお願いね!」
「――施設長!待って下さい!私も行きます!」
「え?」
私は言うが早いか、施設長の返事も待たずに運転席のドアに手を掛けた……。




