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私の星見草【下】  作者: ざこぴぃ
白の星見草
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白の星見草


 ――2017年8月13日。

「――菩提薩婆訶般若心経……」

『チーン……』

 お寺の住職が我が子にお経を読み終えると、皆で仏壇に手を合わせ、頭を下げる。

 小さな仏壇には娘の写真と、キュウリやナスを動物に見立てた精霊馬、砂糖菓子や、生前娘が好きだった玩具をたくさん並べ、白い花が好きだった娘の為に、菊の花を活けた。

 線香の煙が天井まで立ち上がり、仏壇の横では小さな盆灯がくるくると回り、淡い光が部屋の中を照らす……。


 今日は娘の初盆……母の伝手(つて)で住職を呼び、棚経に来てもらっている。

 お経が終わると住職は、仏壇に向かい手を合わせ、静かに話しかけた。

(ひなた)さん。どうぞ、安らかにお眠り下さい――南無釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏……」

 帰り際、母は住職にお布施を渡しながらお礼を言う。

「お坊さん、今日はありがとうございました。孫も喜んでいると思います」

「はい、きっと空から見守ってくれていますよ。星見さん、今日はこれで失礼します……」

 住職はそう言うと、頭を下げ、次の家へと向かって行った。

「優子……?」

「……うん」

 母の言葉に素直に頷く事が出来ない私は、誰もいない玄関を見つめる。玄関の外には夏の真っ青な空が広がり、ひっきりなしに蝉の鳴き声が聞こえてきた。

 

 6歳になる娘、(ひなた)が亡くなったのは昨年の10月。それは突然の事故だった。

 松江市内で暮らす私達は、いつもの様に夕御飯の買い物をし、スーパーの駐車場で車に荷物を積む際に娘から目を離した……。思い返してみても数秒の事だったと思う。助手席に荷物を積み、いつもの様に娘を後部座席のチャイルドシートに座らせる為にドアを開ける。

「ママ!ドーナツ買って帰ろうよ!ねぇ!」

「ひなた!昨日食べたでしょ!今日は帰るわよ!さっ!車に乗っ――!?」

「ドーナツ食べたっ――!?」

 私が荷物を下ろし、顔を上げた時に娘は車の後ろに立っていた。

 そしてあろう事か、そのタイミングでバックして来た車が、勢いよく車止めを乗り越え、そして娘の頭上へと後輪がのしかかった……!!

「ひなた――」

「ママ――!」

 手を伸ばす娘の最後の顔と、車の後輪が目の前に……もうそこからは思い出すと吐き気と頭痛がし、何もわからなくなる。

 事故の原因は、ブレーキとアクセルの踏み間違え……そんな安っぽい言葉など、私の耳には入らなかった。

 加害者は80歳……なぜそのタイミングで、なぜそこに止めようとしたのか……。もし一台ズレていたら、もし私が目を離さなかったら、もし加害者が運転をしてなければ……!!

 様々な、もしを並べるが娘がまた笑う事は二度と無かった。


……

………


「お前が死ねば良かったのにっ!!」

「原告は言葉に気を付けなさいっ!」

「うるさいっ!!こいつを殺してやるっ!!」

「警備員!原告を抑えなさいっ!」

「離せっ!殺してやる!殺してやる!殺し――」

「落ち着きなさいっ!」

 裁判所で加害者に放った言葉を最後に、私の精神状態が普通ではないと判断され、それからは全てを弁護士に引き継がれると、私は裁判所にはもう呼ばれなくなった。

 その後、しばらくは寄り添って支えてくれた旦那とも最終的には離婚。塞ぎ込んでいる私を母が引き取り、母の実家でもあるこの車云生町(くるいしまち)へとやって来る事となったのだ。


………

……


 ――夕方、母が玄関前でアサガラに火を灯け、燃えた煙を家の中へと仰ぐ。

「さぁさぁ、皆さん。おかえりなさい。ゆっくりして行って下さい」

 お盆の13日、これを迎え火と言い、ご先祖様達をお迎えする習わしだ。パチパチっとアサガラが燃え、白い煙が空へと立ち上がる。

「優子、少し休みなさい」

「……もう死にたい」

「……はぁ。優子、今日はもういいから休みなさい」

 あれから母以外の人とは会話をした記憶がない。母は話しかけてくれるが、私は口を開くと自分を責める言葉しか出なくなっていた。


 ――その日の深夜。

 電気を消し、いつもと同じ様に仏壇の前で横になると、娘に話しかける。盆灯が昼間より明るく光り、部屋の中を花柄模様の絵がくるくるとゆっくりと回り、幻想的な青模様で部屋が満たされる。

「ひなた、ごめんね……私があの時、あなたを先に車に乗せてたら、こんな事にはならなかったのに……。あの日、あなたが欲しがるドーナツを買ってれば事故に遭わずに済んだかもしれ――」

『ガタンッ!』

「えっ?何?」

 不意に玄関で物音が聞こえ、体を起こすと、耳を澄まし、物音がした方に意識を集中する。しばらくそのまま待ってみたが、何も聞こえてこない。

「ひなた……?」

 そんなはずのない娘の名前が口からこぼれる。

 私は起き上がり、玄関へと向かう。母は隣の部屋で寝ているが起きてくる気配はない。私の気のせいだったのだろうか?

 仏間から廊下に出て、そっと玄関を覗いてみると、玄関のドアが開き、海風が室内に流れ込んできている。

 戸締まりは毎日、母がしていた。さすがに鍵は掛けているはずだ。

「誰……かいるの?」

 一瞬、娘かとも思ったがそんなはずはない。娘は自分の目の前で死んだのだ。それなら泥棒か、風でドアが開いたとしか考えられない……。

 ゆっくりと玄関に近付いてみるが、土間には誰もいない。廊下にも誰かが上がった様な気配はない。私は素足のまま土間に下り、玄関のドアを閉めようと手を伸ばした――。

「えっ……」

 玄関の外に、月明かりに照らされた青白く光る人影が見える。しかしその姿はほとんどが透けていて、今にも消えてしまいそうだった。

 しかし、不思議と怖さなどはなく、その透明な何かに声をかける。

「もしかして、ひなた……?」

「……」

「ひなたっ!!」

 返答は無いが、直感でそう感じた。きっと娘の魂が目の前にいるのだ。

 私がその青白い光に手を伸ばそうとした時、タイミング悪く、家の前の道路をハイビームで走る赤いスポーツカーが通過し、一瞬だけ目を奪われる。こんな夜中に、しかもこのタイミングで通らなくても……そう思い、目をライトから逸らし、娘の方を向く。

「……ひなた?そこにいるの?……ひなた?」

 しかし、それっきり透明な人影は見えなくなってしまった。外に出て見るが、湾内を照らす月明かりと外灯、そして波の音しか聞こえない。しばらく辺りを見渡してみたがやはり青白い人影は見えず、いつもの外灯が道路を照らしている。

「幻覚……?」

 その日は玄関のドアを開けたまま仏間に戻ると、朝まで寝たり起きたりを繰り返し、とうとう朝日がカーテンの隙間から見えてきた。

 あれは夢だったのか、現実だったのか、それすら分からなくなり、朝方、ようやく深い眠りに就いた。


 ――夢の中で私は一冊の本を開く。それは幼い頃に、祖父に見せてもらった古い本だった。表題は覚えていない。しかし、祖父が読んでくれたその内容だけはしっかり覚えている。

『生ある者いつかは死ぬ。亡くなった者の魂はまた生まれ変わり、生命を宿す。姿は変われど、それは永遠に続くだろう。仮にその姿をかりそめに留めれば、世にも恐ろしい地獄が待っている――』

 そんなよもやま話だった。祖父によると、死んだ者の魂を別の誰かに移し、代わりの体を持たせるという様な内容だった。小さい私には何の事だかさっぱり分からず、ただ、祖父は難しい話をするなぁ……くらいにしか思っていなかった。


 ――さっきまでは。


 目が覚めると私は夢で見た古本を探した。確か屋根裏部屋に押し込まれ、どこかにまだあるはずだ。

「無い……!無い!どこにしまったの!」

「優子!そんな所で何してるの!」

「母さん……!おじいちゃんが昔よく読んでた本……!あれ!あれはどこにあるの!」

「本……?さぁ……?屋根裏の本はおばあちゃんが全部捨てて……。あっ、そうだわ。確かお父さんがお寺さんにいくつか預けて――」

「お寺……!!」

 私は屋根裏から階段を駆け下りると、サンダルを履き、お寺へと向かう。

「ちょっ!優子!ちょっ!待っ――」

 母の止める声も聞かずに走った。走るのなんて、いつぶりだろう?朝から港町の道路を、ジャージでサンダル姿で走る私はさぞ滑稽だろう。どこかで誰かが見て笑うだろう。かまいやしない。今はなりふり構っている場合じゃない。

 あの古本には……あの古本には……!!


「はぁはぁはぁ……!!」

 髪もボサボサで、サンダルを履いたジャージ姿の私を見てどう思っただろうか?息も上がり、足は震え、まるで幽霊でも見たかの様な表情を住職は浮かべている。

「あ、あの……大丈夫ですか?星見さんとこの……」

「はぁはぁはぁ……住職さん、こちらに祖父が昔預けた古本があると聞きまして……はぁはぁはぁ……」

「祖父の……古本?」

「はい……」

 挨拶もそこそこに、私は玄関の(かまち)に腰掛け、息を整える。

「星見さん、すみません。私が預かった記憶は無いので、もしかしたら先代の父の時かもしれません。そうなると、たぶん蔵の中でどこに仕舞ってあるかとは……」

 今日はお盆の14日……住職は棚経(たなぎょう)に出るのだろう。既に袈裟(けさ)に着替えている。そして私に早く帰って欲しそうな顔をしているのが窺えた。

「住職さん!無理を言ってすみませんが、蔵を開けてもらえないでしょうか?その古本がどうしても必要でして!」

「……」

 住職はしばらくその場で考え、何か思い切った様な表情を浮かべ、私にこう言った。

「分かりました。案内致します。その代わり、私はこれから出かけますので、古本以外にはなるべく触れない様にお願いします」

「は、はいっ!ありがとうございます!」

 他の物には興味はない。祖父の読んでいたあの古本にきっと答えがあると、私の中で何かが訴えていたのだ。

 そして住職に案内してもらい、本堂の裏手にある蔵の扉を開けた……。

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