私の星見草
――2017年9月。
「ご免下さい!」
「はいはい……今、行きますけん」
廊下の方から、バタバタと走る音が聞こえてくる。あれから何年経ったのだろう。ここに初めて来た寒い日の事を思い出す。
「はいはい……あっ、夢乃さんいらっしゃい!上がってごしなさい」
「住職さん、ご無沙汰しています。お元気そうで何よりです」
ここは島根県松江市の車云生町にあるお寺。お寺の名前は輪廻寺と言い、古くは戦国時代から続くお寺だという。
「夢乃さん、大活躍だそうですね。雑誌に小説に……ほら『私の佐葦花』は私も買ってね――」
「ありがとうございます!何だかお恥ずかしいです」
「この町では夢乃さんはもう先生だけんね。夢乃先生!」
「もう住職さん!からかわないで下さい」
「ははははっ!今、お茶淹れるけんね」
「あっ、お気遣いなく――」
私は東京からこの町に引っ越してきた。車云生町の外れ、車で10分程走り、山を一つ越えた所の港町だ。時々、思い出した様にカメラ片手にこの町にも顔を出す。
「住職さん、早速ですが電話で教えてもらった例の本は……」
「これだけん。昔、この町に住んじょった方から預かってた本を、蔵に仕舞っちょっただけど、そこの娘さんがつい先日持って行きましてね。これを機に檀家さんと相談し、一度蔵の中の本を整理したんです。そん時にこれを見つけて……」
住職が私の前に一冊の古い本を差し出す。表紙は古くなり、文字も薄れ所々見にくくなっている。
「『星見草』……住職さん、これが電話で聞いたお爺さんの書かれた本なのですね?」
「そげだけん。祖父が明治から大正、昭和にかけて書いた本だけん。確か日付が裏に……」
「1916年……大正時代。本当ですね。読んでもよろしいですか?」
「構わんよ。ただ読めんかもしれんけど……」
本を開くと、墨で書かれた何とも古い独特の紙質の匂いがする。その文字は古文書でも見ている様な、ちらほら日本語が読める所もあるが、ほとんどが読めない。
「調べた所、当時は変体仮名という漢字を主流とした文書で書かれちょって、私達が使っちょっる日本語とはかけ離れているものでね。漢字を読み解くと意味は分かるものの、かなりの時間がかかりそうで……」
「住職さん……この本をお預かりさせて頂く事は出来ないでしょうか。私の知り合いに古文書に詳しい方がいまして……」
「あぁ、構わんよ。こちらからお願いしたいくらいだけん」
「ありがとうございます。早速、調べてみます。この著者の文字が薄れている所は何と書かれて……?」
「祖父の名前だね。黒木文雄と書かれている様に見えるけど……」
「そう言われたら、そう見えますね。ありがとうございます」
私は住職から一冊の本を預かった。『星見草』……どういう意味なのだろうか。
私は早速、大学時代の友人にメールを送り返事を待つ事にした。
『小春、久しぶり。元気ですか?ちょっと古い本を手に入れたので見てもらいたいのだけど……一度連絡ください。今、松江市の――』
そうメールを飛ばし、本の写真を添付する。
神野小春。大学時代の同級生で、実家が神社の家系だったと記憶している。そして同じ古文書サークルで仲良くなった。二人でよく朝まで怪談や妖怪の話をしてたっけ……。大学卒業後、小春は大阪で就職し、私は東京へと上京した。あれから何年も会ってはいない。
返事はすぐに来た。
『咲絵、久しぶり!今、立て込んでてすぐに行けないけど、用事が済んだらそっちに行きます!』
「ん?そっちに行きます?」
私は慌てて返信を返す。
『小春、ありがとう!そっちにって、今、島根県なんだけど、わざわざ来なくても郵送するからね!まだ大阪?住所を送ってくれたら――』
どんだけ古文書が好きなんだ、そんな事を思いながら返事を返した。しかしそのメールは既読にはなったものの、返事は返って来ない。仕方なく、携帯をバッグに仕舞うと、カメラを取り出し、車云生町の風景の写真を撮る事にした。
何とも奇妙な縁だ。縁もゆかりもないこの土地に、勢いとは言え単身引っ越してきた。東京のざわつく空気感が私には重荷だったのだろう……。同じ空を見上げているはずなのに、東京で見た空は、虚無感を感じた。
今、改めて空を見上げると清々しい感じを受ける。格好を付けて東京に行ったものの、背伸びする私には合わなかったのかもしれない……。
そんな事を思いながら、港町の湾を歩いて巡る。
「お姉ちゃん、こんにちは!カメラマンさん?撮影?ひなたはねぇ――!」
「こら!陽っ!また知らない人に声をかけて――!すみません!急に声をかけたりして!」
ある家の前で、花壇の花を見ていた女の子に声を掛けられた。6歳くらいだろうか。何とも可愛らしいおかっぱ頭の女の子だ。
「あっ!いえいえ!私、夢乃と申しまして、佐葦之浦に住んでおりまして、たまにこっちに出てくるんですよ!」
「まぁ!お近くなんですね!」
同世代であろうか。サンダル姿の女性が陽と呼んでいた女の子を抱き上げる。
「はい、ひなたちゃんは菊の花がお好きなんですか?」
「え?あぁ、花壇のですか。そうなんです」
白い菊の花が花壇に咲いている。
「あの、お写真撮っても良いですか?」
「ひなたも!」
そう女の子が言うと、母親に抱っこされたまま、菊の花の横で女の子がピースをする。
「撮りますよ!ハイ、チーズ――え……?」
『カシャ!!』
シャッターを押した瞬間、背筋が凍る様な、全身に鳥肌が立つ感じを覚える。この感覚は以前にもあった。あれは佐葦之浦で崖の写真を撮った時に感じた……。
すぐに撮影した写真を見返す。やはりそうだ……あの感覚は、写してはいけないモノを写してしまった時に感じる感覚だった。
「お写真見せて!」
「ご、ごめんなさい!手ブレしちゃって!も、もう1枚いいかしら?」
「うんっ!」
女の子はそう言うと、今度は一人で菊の花の隣に座り、またピースサインをした。
「ハイ、チーズ――」
『カシャ!!』
すぐに見返すと今度は綺麗に撮れた。女の子にもその写真を見せ、後日写真をあげる約束をした。
母親と少しだけ世間話をした後、私は足早に車を停めていた駐車場へと戻る。ずっと心臓が悲鳴を上げている。
その写真が怖いとか、早く消したいとかそういう感情ではない。急いで車に乗り込み、ロックを掛けると、周りから見えない様にカメラの写真を覗き込む。
「ははは……嘘でしょ……!!」
写真には、先程の女の子を抱っこしている母親が写っている。……そしてその横に別の母親が別の女の子を抱っこして写っていた。
「は、吐きそう……おえ……」
興奮が限界を越え、嗚咽が漏れる。その母親は髪が長く顔は良く見えないが微笑んでいる様に見え、抱っこされた女の子は顔半分に傷があるものの、こちらも笑ってピースサインをしていた。
「あ、あり得ないから……カメラ目線でしかもピースサインとか……おえ……!!」
何度も拡大し、その写真を見ては車の中で嗚咽を漏らす何とも奇妙な行動を取る女性がそこにいた。
私なのだが……(苦笑)。
――翌日。
小春から連絡が来た。用事が済み、明日には車云生町へ来られるそうだ。わざわざ来なくても――と言おうとして、返事を読み返すと、今、偶然にも松江におり、大阪へと帰る所だったそうだ。昨日はあの世に行っていて連絡が付かなかったと、意味不明な文章もあったが、彼女の独特の世界観は相変わらず面白い。夢でも見ていたのだろう。
――それから小春と久々に再会し、古文書の話から異性の話まで、朝まで随分と語り合った。
帰り際、佐葦之浦の海岸に寄りたいと小春が言い、お墓にあるお地蔵様に線香を立て、手を合わせる。
「咲絵、古文書は少し時間をちょうだい。叔母さんが詳しいから聞いてみるよ」
「助かる。急ぎではないから、分かるところだけでも教えて」
「うん、分かった。そう言えば来年の話なんだけど、陽子の……あっ、覚えてる?大学の頃いつも私と一緒にいたあの子。今は、同じ会社の私の上司なんだけどね。その子の結婚式があって、咲絵もカメラマンとして参加しない?」
「え?陽子、結婚するんだ!おめでとう!でもカメラマンはごめん!行っても会社関係の知らない人ばかりだろうし、気を使わせちゃうよ!」
「それがね……?その陽子がもし本物の妖狐だったらどうする?」
「陽子が妖狐?ぷっ!あはは!もう!小春、大学生じゃないんだから、妖怪ごっこは――」
小春が真顔で私の顔を覗き込むと、一瞬、なぜか私の周りの空気が無くなる感じがし、息苦しくなる。
「こ、小春……?」
「ふふ……」
「本当なの……?」
「来るでしょ?」
「うん……分かった」
そんなはずはないと分かってはいるが、小春にそう迫られると頷くしかなかった。この子の周りでは昔からなぜか不思議な事が起こる……。
記事のネタになる怪奇現象が待っているのなら、私はどこにでも行くのだろう……。
一週間後。
小春から連絡があり、十数枚の原稿用紙が届いた。全て解読出来た訳ではないが、内容が分かる程にはなっていた。
私は机に向かい、『星見草』と書かれた古い本を開くと、原稿用紙の解読文と照らし合わせる様に読んでいく。
そこには作者の思いが綴られていた……。




