赤の星見草【3】
2017年8月14日。
【狐狸田神社】と書かれた古い扁額がお社の脇で、蔦に巻かれひっそりと立っている。その周りを取り囲む様に、辺りには一面赤い菊の花が咲き乱れていた。
ここは松江市にある、狐と狸を祀る珍しい神社……母に言われ来てみると、何ともお化けが出てきそうなくらいに薄気味悪い。自分がお化けかというとそうではない。妖狐はモノノ怪のたぐいだ、お化けとは違う。と、自分に言い聞かせる。
「ごめん下さい!誰かいませんか!ごめんくださ――!?」
その時だった!急に辺りが暗くなり、冷たい風が吹いたかと思うと、目の前にあるお社の扉が、ひとりでに静かに開いた……。
『ギギギギ……』
「ひっ!」
思わず小さく叫び声を上げてしまう。自分がお化けかというとそうではない……と、また心の中で繰り返す。
「……なんや。狐かいな。人間の姿なんぞしおってからに……」
神社のお社から、ずんぐりむっくりした一匹の狸が面倒くさそうに出て来て、お社の階段部分に腰掛ける。
「どっこいしょ……うきち」
「え?そこはしょうい……」
「黙らっしゃい」
「はい……」
なぜか微妙な雰囲気の中で、狸は自己紹介を始める。
「狐の小娘よ。わしは狸霊の小吉、大阪産まれの大阪育ちや。理由あって島根くんだりまで来てしまい、そのまま帰れんくなったぼっちの妖狸……」
「何て悲しい自己紹介……」
「だまらっしゃい」
「はい……」
「ある女性に取り憑き、楽しく暮らしておったのじゃが……5年前に、車云生町で母体が亡くなり、今は新しい人間の体に住み着いておるんや……トホホ」
「車云生町……ですか」
「そうや、後で詳しく教えたる。それより、お主はあやつの遣いで来たのやろ?」
「あっ、はい。母からお土産も預かって来ました。それと以前のご注文の件のお礼も兼ねて――」
「ええんやで。あれはわしも助かったねん。あの部品が無いと、あれが作れへんからな」
「結局あれは何の部品だったのですか?正直、車の部品と言う説明では私は納得出来ませんけども……」
「車の部品は建前や。あれは、わしらが魚や小型の獣を捕まえる道具の一部や。正直に言うても人間は相手にせぇへんからの」
「そうだったんですね」
「せや。それとお土産おおきにな。秋津社長さんによろしゅう言うといてや」
「はい……。それで、ご要件ですが……」
「それや、それ。少々、困っておっての……」
妖狸の話では、ふもとにある施設に夜な夜な幽霊が出るそうな……。
そう言った類いの話は良く聞くが、まさか自分の身でそれを体験するとは思ってもいなかった。それからせきを切った様に、妖狸の説明を30分以上聞かされた。
「――と、言う理由じゃ」
「お断りします」
「なんやてっ!最後まで聞いておいて……なんやてっ!」
「だって私、幽霊苦手ですもん。女の子なんだもん」
「知らんがなっ!」
「こっちが知らんがな!」
そんなこんなで、結局、母の使いで来たわけで……やらざるを得なくなった。
――夕方。
「あなたが妖狐の陽子さんですか。初めまして。人間をしてます早乙女良子と言います」
「初めまして。陽子です。あなたは普通の人間なのね?」
「普通やないわい。色々あってな、こいつにはわしが取り憑いておる」
「お可哀想に……」
「おいっ!小娘!今、お可哀想言うたんか!おぉ?」
「何も言ってません」
「くぅぅぅ!これだから狐は嫌いなんや!」
哀れな幽霊を成仏させてやってくれ、と言う妖狸の頼みをさっさと終わらせて帰ろう……。
「良子、例の物は?」
「はいはい……」
「おぉ!」
早乙女は黒いバックから酒瓶を取り出した。
「おい!狐の小娘!一杯やらんか!」
「……はいはい」
「何じゃ!その態度は!こん酒はなぁ!松江の蔵元の――」
どうでも良い説明を受けながら、神社から車で下り、ふもとの施設まで戻って来た。正直くたくただ。
日が暮れ始めると、私と妖狸と早乙女は鉄のチェーンと南京錠で施錠してあるフェンスを軽々と乗り越え、外階段から屋上へと上がる。早乙女も妖狸の力のおかげか、人間離れした脚力になっていた。
施設は山のふもとの小高い丘の上にあり、町までは幾分か距離があった。その為か、施設の屋上からはきれいな夜景が一望出来る。
「乾杯じゃ!」
「はいはい、乾杯……」
「乾杯……」
「なぁ!お主ら2人はもっとこう、楽しそうにやな……はぁ……」
「いやいやいや!これから幽霊さんと初めましてをするのに、呑気にお酒を飲む方がおかしいでしょう!」
「確かに。陽子さんの言われるとおりです。職務中の飲酒とは駄目な狸ですね。お師匠様の負けです」
「なんでやねん!2人してわしをこけにしてぇ!くぅ!」
「早乙女さん。そう言えば神社の周りに見事な菊の花が咲いてました。あれは……」
「あぁ、あれは昔から自生しているそうよ。確か花言葉は……あなたを愛しています。だったかしら?」
「へぇ……そうなんですね」
「あら?陽子さんは気になる人でもいるのかしら?」
「いっいえ!そ、そんな――」
「恋バナか!わしも混ぜろや!」
「師匠は入ってこないで下さい」
「えぇえ……」
それから妖狸は理由はどうあれ、波々と注がれたコップの酒を煽る。ただただ……飲みたいだけなのだろう。
早く帰り、仕事を片付けたい思いもありながら、かれこれ半月余り幽霊さんは現れず無駄に時間は過ぎていく……。さすがに一度大阪へ帰ろうと思っていた矢先……。
それは9月の初旬の事だった。日課になっていた晩酌を施設の屋上で始めようとしていると、玄関の方から物音が聞こえた。
『ガタガタガタッ!!』
「ん?ようやく来たかの」
「お師匠様、霊気です!」
「鬼太……いや、良子よ。先回りして追いかけるのじゃ」
「はい!お師匠様!」
そう言うと早乙女は屋上から飛び降り、町へと繋がる道路へ走って行く。
「陽子よ、わしらはヤツが出て来たら跡を付けるぞぃ」
「はい」
手に汗をかいているのがわかる。太陽が姿を消し、暗闇が辺りを包み込む。
屋上から身を乗り出し、施設の様子を見ていると、1人の女性が施設から飛び出し、施設の裏にある駐車場へと走っていく。そのタイミングで、玄関から何やらモヤモヤした塊が、町へと続く道路へと現れた。
「出たぞ!奴じゃ!追いかけるぞ!」
そう言うと妖狸は屋上から、下の草むらへと軽やかに飛び降りる。私も続いて屋上から飛び降りた。
何の事はない。空中で1回転し、勢いを殺し、地面へと着地する。
「眩しいっ!」
着地したタイミングで、駐車場から車のライトがこちらを照らしている。
飛び降りる所を見られたか?どうする?
そして間もなくして誰かが近付き声をかけてくる。
「あのっ!だ、大丈夫ですか!」
妖狸とすぐに目配せし、膝上まである草むらに身をかがめ、飛び出すタイミングをうかがった。
「あのっ――!」
2回目に声をかけられたタイミングで、施設の壁沿いに全速力で町の方へと走る。
『カサカサカサカサッ!!』
「ひっ!!」
後ろで女性らしき悲鳴が小さく聞こえた。車のハイビームと施設の影でおそらく見えてはいないだろう。野生の動物だと勘違いしてくれたらいいのだが……。
私達は後ろを振り返らず、四足歩行で走る。私はいつの間にか、狐の姿になり全力で走っていた。
幽霊の後を追いかけ、そのまま走り続ける。時々、妖狸が何やら独り言を話しているが、早乙女と神通力で会話をしているのだろう。
しばらく走ると、松江市民病院と書かれた病院にたどり着く。
「はぁはぁはぁ……しんど……」
「ふぅ、着いたわい。良子、ここにおるのか?」
「はい、お師匠様。先ほど病院の裏手に向かいました」
「うむ、行くかの。おい、鬼太……小娘!」
「はぁはぁはぁ……すいません。今はツッコミが出来る状態ではありません……はぁはぁはぁ」
「……つまらん」
悪態をつかれながら、黙って妖狸と早乙女の後について行く。たぶん軽く10キロ近くは走ったのではないだろうか。疲労が足にきて、子鹿の様に震える。
病院の裏手に行くと、幽霊と思われる何かが歪んでいる様に見えた。それが男性なのか女性なのか、そもそも人間なのかさえ、私には分からない白い塊だ。
「アタシ……コドモ……ドコ……アタシノ……コドモ……」
近づくと弱々しい声が聞こえてくる。察するに、子供を亡くした母親だと推測され、病院と施設を行き来しているらしい。
「おい、そこのお前。わしが分かるか?」
「……アタシ……コドモ……ドコ……」
幽霊は妖狸には気付いてはいる様だ。地面を這いずり回り、辺り一面に咲いている赤い菊の花の合間で何かを探している様に見えた。
「良子、説明してやってくれ」
「お師匠様、面倒くさい事を私に振るのやめてもらえませんか?」
そう言いながら、早乙女が幽霊に近づき話しかける。
「……江川さん、よく聞いて」
名前を呼ばれた幽霊は一瞬動きが止まる。
「あなたはこの病院から飛び降りた。それは覚えているわね?その時に子供を抱いたまま飛び降り、無理心中を図ったの。そして一緒に死んだものだと思い、今でも子供を探している……」
早乙女がなぜか刑事に見えてくるのは気のせいだろうか。腰に手を当て、まるで推理をしている様だ。
「だがしかし!あなたの子供は生きていたのよ!あなたの体がクッションになってね!」
「アァ……アァ……!!」
幽霊らしきその物体から、うめき声が聞こえる。
「あなたがあの施設とこの病院を行き来するには理由がある……それはね?自分の子供に似た子供があの施設に連れて行かれるのを見てしまったから……。でも自分だけが死んで子供が生きているとは考えたくなかった……違う?」
「ウゥ……ウゥ……!!」
うめき声が徐々に泣き声にも聞こえてきた。幽霊にも感情があるのだろう。
「子供はここにいる彼女が責任を持って面倒を見るから安心して逝きなさい。あなたはもう十分に頑張ったんだから……」
なぜか最後、早乙女が自分自身に言っているかの様にも聞こえた。
「そうそう!私が責任を持って面倒を……て、なんでやねん!そんな重い責任持て――」
「小娘!今は話を合わせる所じゃ!」
「うぬぬ……」
妖狸に一喝され、言葉も出ない。幽霊を成仏させるには、未練を絶ってやらなければならないのだ。早く事を済ませたい私は、嘘でも話を合わせる。
「そ、そうよ!私があなたのお子さんの面倒を見るから!だから成仏して!」
その瞬間、もやもやしていた空間が私に向かって動き出し、頭の上から覆いかぶさる様に襲ってきた!
「え……うそ……!?なん……や……!く、苦し……!助け……!!」
息が出来ず、意識が朦朧としてくる!
「小娘!!しっかりせい!」
「陽子さん!陽子さん!」
妖狸と早乙女の声がだんだんと遠くなっていく……。
(あれ?私……死ぬの?)
目を閉じる前、赤い菊の花が見え……そして私の意識はそこで途切れた……。
―青の星見草へ続く―




